第十七話・交渉
〈これまでのあらすじ〉
(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)
ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。
祖父の霊の助けを得て、「悪いもの」と呼ばれる悪霊の仕業と知ったジャスティンは、河野が悪霊の一部になった事も確認する。「悪いもの」はジャスティンの後に、ナカヤマとチョンに移動し、傷害事件を起こさせた。事件関係者の様々な状況や思いをよそに、さらに移動した「悪いもの」は立て篭もり事件を引き起こした。
交渉に関する説明が行われている間、ジャスティンは注意深く周囲を見回した。
店の関係者と思しき白人が、蒼白な顔でレイモンドの班のジョージに何か訴えている。ポリス・カーの間から油断なく店を、いや正確には犯人の動向を窺っているのはSWATチームだ。
その遥か後方、張り巡らされたテープの向こうには、中継を開始したテレビ局の人間と共に、多くの民間人の顔が見える。
中には人質の連れもいるだろう。行き合わせただけにしろ、心配そうな表情で佇んでいる人々の中に、ジャスティンは見知った顔を見付けた。
同時に目が合った彼は、大声でジャスティンの名前を呼んだ。
「ケビンが中にいるんです。覚えているでしょう。俺のルームメイト」
黄色いテープを握り締めた祐司は、アロハシャツに腰巻というヴァレー・ボーイのユニフォーム姿だ。ニュースを聞いて、仕事中のホテルから走って来たのに違いなかった。
「お願いです。俺、ケビンの代わりに人質になります。犯人に交渉して下さい」
怒鳴るように言った祐司に、周囲の警官も目を向ける。立て続けに友人が事件に関係するとは、さぞかし動転しているのだろう。
ジャスティンは足早に近付いて、祐司に顔を寄せた。
「そういうことは出来ない」
「でも『悪いもの』の仕業なら、俺が行かなきゃいけないんですよ」
声は落としたが、祐司は必死の形相だ。
「出来ないと言っているんだ。しかし、ケビンは君の助けがいるだろう。ここにいなさい」
有無を言わせない口調で言い捨てて、身をひるがえす。
待ってくださいと追いすがろうとした祐司に振り向きざま、怒鳴った。
「自分に出来ることを考えろ」
レイモンド達のいるバンまで戻る数秒の間、ジャスティンは自分に言い聞かせた。俺も自分に出来る事をしなきゃいけない。
今やバンのドアは大っぴらに開けられていたが、捜査課と交渉チームの人間だけが取り囲んでいるから、周囲に聞かれる恐れはない。
大勢の人間が見守る中、ニックが張り詰めた表情で電話を握っていた。店内にかけ続けているらしい。指示を出しやすいように、今はスピーカーが接続されている。
レイモンド班の人間を含め、捜査課の人間が息を呑んで見守っていた。呼び出し音が途切れた。
「何だよ?」
スピーカーから流れ出た声には、明らかに地元訛があった。思わず拳を握り締める。エドワード・チョンを取り押さえた警備員、アンディ・カラリヒかもしれない。
さっきネイティブ・ハワイアンと聞いて覚えた引っかかりはこれだ。彼は事件当夜にも三日前も、あれほどハワイアンの権利について話したがっていたではないか。
三日前に、何故その兆候に気が付けなかったかと、ジャスティンは自分を殴りたい衝動に駆られた。
「よう、兄弟。俺の名前はニック・ナハレってんだ。ハワイアンだよ」
「それがどうしたよ? ハオレやボボラに尻尾振ってるヤツにゃあ用はねぇ」
「ハオレ」は白人を意味する方言だ。もう一度声が聞けた事で確信が持てた。バンの中に上半身を捻り入れ、ジャスティンはニックに小声で囁いた。
「名前を聞いてくれ。多分、犯人はアンディ・カラリヒって男なんだ」
周囲にいる警官達が一斉にジャスティンを見たが、理由を説明している時間はない。クリストファーだけが冷水をかけられたような顔をした。
ネビルの姿は見えない。レイモンドが顎をしゃくる。
「あんた、アンディ・カラリヒか?」
「俺を知ってるってのかよ。俺ぁおめぇなんか知らねぇぞ」
誰も声を出さなかったが、わずかな興奮が辺りに満ちた。
犯人の特定は重要だ。後は短時間の間に、どれだけ犯人の情報を集められるかによって交渉が有利に運ぶ。
「アロハ・ガードの警備員だ。会社に連絡を取れ」
クリストファーの指示に、数人が駆け出して行く。スピーカーが鳴った。
「おい、聞いてっか、州知事連れてこい。そんでハワイアン以外の連中は、みんな本土へ移住しろって言わせろや。ニックっていったっけ、な? おめぇもハワイアンなら俺の言ってることが分かんだろ、な?」
「分かっけど、よ。今すぐ皆が引っ越せるわけじゃねぇだろ、な? 兄弟、あんたのやってることはハワイアンのためになんねぇよ。なぁ、せめて怪我人だけでも出してやってくんねぇか?」
「何言ってやがんだ。こんな、くそハオレの店で働く奴ぁどうでもいいぜ。客だってボボラばっかしじゃねぇか。ハワイが汚くなるだけだぜ」
受話器を握ったニックの指の間から、汗が流れている。顔はすでに汗まみれだ。説得に失敗すればさらに犠牲者が出るかもしれない。
アンディ・カラリヒの声が激したことで、ニックの瞳が不安げに揺れた。
「腹が減ってないか、とか何か欲しいものはないか聞くんだ」
オーウェンが落ち着いた声で、ニックに告げる。言われたままに尋ねたニックにカラリヒは、ウイスキーを持って来いと乱暴に怒鳴った。
「そっか、咽喉が渇いてんならレモネードでもどうだい、それともソーダがいいか、な?」
基本的に犯人の要求にはノーと言わないのが交渉の原則だが、アルコールは難しいだろう。ノーと言わずに、巧みに話をずらせとニックは指導を受けた筈だ。
「ふざけんな、ウイスキーって言ってんだ。おめぇ分かってねぇ、な? なんならもう二、三人撃ってみっか?」
同時にカラリヒの声の後ろから悲鳴が上がった。彼の姿は無論見えないが、銃口を人質に向けたのかもしれない。
「やめろ、兄弟。頼むからやめてくれ」
叫んだニックはすがるようにオーウェンを見ている。ジャスティンはまたニックに這い寄った。
「最近、苛々するだろうって。悪い夢も見るだろうって。それは神官に相談しなきゃいけないことだって言ってくれ」
犠牲者をこれ以上出さずにカラリヒを逮捕出来れば、後の言い訳はどうとでもなる。ジャスティンは声を励ました。
今度は手真似で、レイモンドが「やれ」と指示する。オーウェンが「落ち着いて」とニックの肩を叩いた。努めて冷静な声でニックがカラリヒに語りかけ始めた。
「悪かったよ、兄弟。ウイスキーは何だけど、ビールでも用意出来っか聞いてみるからよ。あんたこの頃悪い夢を見るだろ、な?」
穏やかな声で夢の話を指摘されたカラリヒは、初めに驚き、それからニックの説得に応じる気配を見せ始めた。
カフナを信頼する重要性について、「ハワイアンなら分かんだろ?」と、カラリヒが使った言葉を逆に使ったニックはさすがに年の功だ。
「それにしたってよ、なんで俺は、あんな変てこな夢を見んだろうなぁ?」
スピーカーから流れる声は先ほどとはかなり違う。大分弱気になっている。
ジャスティンは必死でニックにすべき返答を教えた。
「それぁ悪い霊がうろついてんだよ。そいつはあんたにとっ憑いて悪さをさせようとしてやがるんだ、な? だからカフナにちゃんとお祓いしてもらわなきゃいけねぇ」
カラリヒの反応が軟化するにつれて、ニックの声も安定して来た。心からカラリヒを心配しているように聞こえる。
自分しか知らない筈の事を言い当てられ、カフナに相談しろというアドバイスと「悪い霊」という理由付けをされて、カラリヒは驚きながらも納得しつつあった。
もう少しだ。「押せ押せ」とレイモンドがサインを送る。
「カフナにお祓いしてもらやぁ、変てこな夢も見なくなっかね?」
さらに弱々しくなったカラリヒの声に、ニックは即座に「そらそうだ」と言い、続けた。
「なぁ兄弟。銃を捨てて出て来なよ、な? 手荒な真似はしねぇって。今なら刑も浅くて済まぁ」
返って来たのは沈黙だった。
本気で投降を考え始めたかと、皆が固唾を呑む。
「なんだと? それぁくそったれのハオレのきまりに従えってことじゃねぇか。冗談じゃねぇ、俺ぁ王族だ。誰がム所なんか行くかよ」
響いたのは激昂したカラリヒの声だった。
刑罰の話が逆鱗に触れてしまった。カラリヒの声は最初以上に怒っている。怒鳴っていると言ってもいいほどだ。
ジャスティンは「カフナの話を」とニックに言ったが、ニックも動転していた。
「すまねぇ、兄弟。そんなつもりじゃなかったんだ。刑のことは……」
「うるせぇっ、俺は王族だ。指図は受けねぇ」
会話を断ち切るようにカラリヒが叫んだのは、スピーカーからだけでなく店内から肉声として聞こえた。
銃声と悲鳴が上がったのは、カラリヒの言葉が終わるのと同時だった。
「畜生、おいっ、SWATチーム突入だ」
レイモンドが無線に向かって怒鳴る。
最新の装備に身を固めたSWATチームの隊員達が、ポリス・カーの間を縫って走り寄った。
轟音と共にウインドーのガラスが割れ、催涙弾が撃ち込まれる。
店の後ろからも隊員達は突入した筈だ。商品を搬入する裏口がある事は、レジー・ジョンソンが殺害された事件で知っている。
大声で喚いているのはアンディ・カラリヒか、人質の誰かか。
店内は白っぽいガスでよく見えない。
SWATチームの後から突入しようにも、何の装備もなく飛び込んだところで、ガスを吸って足手まといになるのは目に見えていた。銃声が重なった。
歩道付近には救急隊員がストレッチャーと共に待機しているが、彼らもガスマスクをしているわけではないので、催涙ガスに満ちた店内に飛び込むことは控えている。
歯噛みしたくなるような時間が過ぎた。
やがてSWATチームの一人が、子供を抱きかかえて入り口から姿を現した。
黒いユニフォームに包まれた腕から、髪の毛がこぼれているところを見ると女の子だろう。
続いて、日本人観光客と見られる女性が、これも隊員に支えられて出て来た。下を向いて激しく咳き込んでいるが、目立った外傷はない。
無線が鳴った。
「やむを得ず犯人を射殺しました。店内には重軽傷者数名。順次外へエスコートします」
了解、と答えたレイモンドの声には力がなかった。
交渉チームは説得に失敗した。
「俺らも行かなきゃよ。ちっとはガスも薄くなってんだろ、な?」
あえて声を励ますようにしたレイモンドに、皆、頷いて続く。レイモンドの班の担当だが、その場にいた全員が動いた。
店の裏側のドアも開けたことで風が通り、ガスが薄れたと思ったのは入り口をくぐるまでだった。鼻の奥がつんとして肺が熱くなり、すぐに涙が出た。
しかし、ここで回れ右をする訳には行かない。
倒れている女性について、ライアンが咳き込みながらSWATの一人に尋ねると「気の毒だけど、もう駄目だから」という答えが返って来た。助かる見込みのある人間を優先するという事だ。
広めの店内には、まだ倒れている人間が数名いた。
大理石とカーペットになっている床は酷いありさまだし、水色の壁のあちこちに罅が入り血が飛んでいる。
他の捜査課員が手近な怪我人のために膝を折っているのを意識しつつも、ジャスティンはケビン・スギノの姿を探した。
怪我のない人間や、あっても歩ける程度の人間は、SWATチームが次々と外へ連れ出している。動かせない重傷者のために、救急隊員達が入り始めた。
店の奥にカラリヒが倒れていた。
ソファーが置かれた脇の、会計ブースの前だ。胸部に数発の銃弾を受け、着ているTシャツは元の色が判らないほどの血に染まっている。
両手を体の脇に投げ出して、仰向けに倒れていた。
彼の姿に自分が重なる。祖父が助けてくれなければ、ああなっていたのは自分だった。
あれ程ハワイアンの血を重んじていたカラリヒに助けがなかったのが、ひどく痛ましい。
ケビンはソファーの近くに、座り込んだ姿勢のまま意識を失っていた。顔も上着も血でべっとりと濡れている。
首に触れて脈があるのを確かめ、咽喉が焼けるのを構わずジャスティンは大声で救急隊員を呼んだ。
怪我人全員が収容されるのに、それほど時間はかからなかった。
救急車が何台も走り去った後には、救急車に載せられない遺体が店内に残された。
遺体にシートを被せ、鑑識課がやって来る前に、捜査課員達は一旦店の外に出た。ガスを含まない空気を吸ってほっとしたけれど、涙は止まらない。
閉鎖されたままの車道に出ると、ニックとクリストファーが近付いて来た。二人とも店には入らなかったのだ。
「ジャス、俺のせいで何人死んだ?」
引きつった顔でニックが尋ねた。取り返しのつかない事をしてしまったとその表情に書いてある。クリストファーが背後からニックの肩を掴んで揺さぶる。
何か言わなければと口を開きかけたジャスティンは激しく噎せた。咽喉が痛い。涙が止め処なく流れ、やっとのことで「あんたのせいじゃない」という一言を搾り出した。
ニックのせいでは、ない。
アンディ・カラリヒにこんな真似をさせたものを、ジャスティンは知っている。
知っていたのに、見逃した。止められなかった。
いっそ催涙ガスを吸ったのは良かった。どんなに見苦しく涙を流しても、ガスのせいに出来る。




