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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第十五話・痛み

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 祖父の霊の助けを得て、「悪いもの」と呼ばれる悪霊に憑かれていた事を知ったジャスティンは、河野の友人北本祐司に尋ねて、河野が悪霊の一部になった事を確認する。「悪いもの」がナカヤマとチョンに傷害事件を起こさせた事を確信したジャスティンに、祐司の同僚、ジュニアが自身の感知能力を説明する。

 一連の話を聞いた祐司は、河野の人生と自分のそれに思いを馳せる。


 シフトが終ったのは午前零時だった。入れ替わりでシフトに入ったジュニアやマークに挨拶して、着替えをする。

 携帯電話の電源を入れると「メッセージあり」の表示が点いた。

 まず第一に思い浮かんだのは、ジャスティンだ。しかし、たった今顔を合わせたジュニアは、彼が嗅ぎ分けられる臭気について何も言っていなかった。

 いぶかりながらメッセージを聞く。

「祐司? あたし。今、ナイトクラブにいるの。酔っちゃったから迎えに来てくれないかなぁ」

 アリシアからだった。メッセージが入った時刻は、三十分ほど前だ。

 彼女が挙げたナイトクラブは、ワイキキの西寄りにある。

 背後からの音楽や喧騒とは不似合いな、頼りなげな声だった。

 慌てて折り返しかけたが出ない。音楽がうるさくて、音が聞こえないからではないのか。アリシアはまだナイトクラブにいるのだろう。

 ともかく行ってみようと、祐司は車へ急いだ。


 週末のワイキキで駐車場所を見つけるのは至難の技だ。目的地からは大分離れた路上に停めるしかなかった。 

 軽い駆け足でナイトクラブの入り口付近まで行って、祐司は舌打ちした。エントランスには長蛇の列が出来ていたからだ。苛立ちを覚えつつ、列の最後尾に並ぶ。

 手持ち無沙汰にもう一度アリシアの携帯電話にかけてみる。応答はなかった。

 十五分も待っただろうか。列は遅々として進まない。祐司は何とはなしに、出て来る人間に目をやっていた。

 ふいに聞き覚えのある声がして、祐司は列から足を踏み出してエントランスを覗いた。アリシアが男二人と一緒に出て来るところだった。

 メッセージにあったように、大分酔っているらしく足元が怪しい。色落ちしたジーンズに胸元の開いた黒のタンクトップを着ている。背が高く見えるのは、踵の高いサンダルのせいだろう。

 一緒にいる男二人は、どちらもフィリピン系に見えた。年は二十代半ば、つまりアリシアと同じ年頃だ。

 アリシアの肩をつかもうとした男の手を、彼女が振り払う。

 名前を呼んで、祐司は列から抜け出した。

「祐司、来てくれたんだ」

 あからさまに安心した顔になったアリシアに、祐司は少し戸惑った。

「電話したんだよ。聞こえなかったかな」

「ああ、振動するようにしておけばよかった。帰ろう、送ってくれるでしょ」

 そのために来たんだ、と言う前に男の一人が大声でさえぎった。

「なに言ってやがんだよ。彼女は俺の女だぜ。消えな、ボボラ」

 ボボラというのは、日本から来た日本人を指す地元の方言だ。蔑称に使われることもある。

 祐司を罵った男も大分酔っている。もう一人は黙っているが、止めに入る気配はない。

 さて、自分は助けを求められているのか、それとも当て馬にされているのかどちらだろうと、考えを巡らせたのは一瞬だ。

「黙んなよ、ウィル。あんたとはとっくに終わってるでしょ。あたしはこの人と帰る」

 毅然と言ったアリシアを、男がなじった。

「この性悪女(ビッチ)。新しい男を捕まえたってか。親父が死んだ時によ。まったく……」

 男の言葉は、素早く振り返ったアリシアの平手打ちで途切れた。

 力一杯殴ったらしいアリシアがよろける。そこに男が右手を振り上げた。

 祐司がとっさに止められたのは、彼が酔っていたからだろう。右腕を掴んだままにして、祐司は男を、その友人の方へ突き飛ばした。昼間の客が持っていたスーツケースに比べれば、軽いものだ。

 ナイトクラブの入り口での口論に、列に並んでいる人間はおろか、今や通行人も遠慮のない好奇の視線を投げている。

「あんた達、困るよ」

 すぐにも反撃に出そうになった男二人を止めたのは、バウンサーと呼ばれるナイトクラブの用心棒だ。プロレスラーのような体躯の白人が、うんざりした顔で男二人を睨んでいる。こんな事は日常茶飯事なのに違いない。

 彼のタイミングの良さに感謝しながら、祐司はアリシアの手を取って歩き出した。

 幸い、彼らが後を追いかけて来そうな気配はなかった。

「彼、短気だね」

 握った手をいきなり離すのもはばかられ、何を言ったらいいのか分からずに、祐司はそんな事を言った。

 今時、ティーンエイジャーだってもっと気の利いたことを言うのではないか。

「前に付き合ってたのよ。言ったでしょ? 子供を産むつもりだったって。慰めるつもりだったのかもしれないけど、今はセックスなんか慰めにならないわ」

「彼と出かけるべきじゃなかったんだよ」

「あそこで出会ったのは偶然よ。一緒に来た友達は、彼に会ったとたんに消えちゃうし。夜遊びでもすれば元気になる、って言われて出て来たあたしが悪いんだ」

 手を引く、というよりは危ない足元を支えてやりながら、祐司は頷いた。アリシアなりに悲しみを紛らわせようと必死なのだろう。

「呼び出してごめんね。でもタクシーだと、ウィルに着いて来られそうだったし」

 零時をとうに過ぎたにも拘わらず、カラカウア・アベニューにはまだ相当の人が歩いている。

 遠くに青い光が点滅しているのは、警察のパトロールが飲酒運転の車でも見付けたのだろう。

 あの回転灯を見ると自動的に動悸が早くなる。アリシアの肩を抱くようにして、祐司は足を早めた。

「何でもするって前に言っただろ? 悪いなんて思っちゃいけないね」

 アリシアを助手席に座らせ、自分は運転席でシートベルトを締めながらやっと言葉を思いついて、祐司は口を開いた。

 本当は、もう彼女は自分と会わない方がいいのではないかという気もしている。会えば、嫌でも事件のことを思い出す。

 ゆっくりと車をスタートさせたが、アリシアの家がどこにあるのか知らない。ワイキキからは東にあたるパロロ渓谷(バレー)だという事だけは知っているけれども。

「今晩、泊まっていってもいい?」

 考えを読んだかのようにアリシアが尋ねる。少しほっとしながら、祐司は「もちろん」と明るく答えてアクセルを踏み込んだ。

 ほっとしたのには理由がある。アリシアの家を見るのは怖いような気がするからだ。

 河野が殺した男の住んでいた家だ。長年生活していた跡は、家の外にも中にも残っているだろう。

 要するに俺は、アリシアの家を見て自分が傷付くのが嫌なんだな、と祐司は納得した。どこまでも逃げ腰な性格には我ながら呆れる。

「ウィルと結婚するつもりだったって言ったでしょ」

 静かな声でアリシアが話し出した。オレンジ色の街灯が窓の外を流れて行く。

「だから避妊もしなかったんだけど、結婚したかったのは、あたしだけだったの。妊娠したって言ったら、あいつ、真っ青になったわ。流産したのだって、あいつがバスケットボールをぶつけたからよ。ふざけただけだって言ったけど、絶対違う」

「ひどい話だな」

 妊娠を告げられて顔色を変えるのは、アリシアには悪いがよくある話だ。ただバスケットボールをぶつけるという神経が信じられない。

「日本じゃどうだか知らないけど、そんなに珍しい話でもないわ。でも、それからボーイフレンドが出来ても、長続きしないの。どうせ大事にはしてくれないって思っちゃう。妊娠した時に『産みたいなら産みなさい』って言ったの、お祖母ちゃんと父さんだけだった」

 亡くなったロナルド・マラナという人が、どんな人間だったかは知らない。

 しかしアリシアを大切にしていたのだけは間違いない。それこそ太陽が照らすように、アリシアに愛情を注いだのだろう。

「あのさ、皆、父さんのことは気の毒だったって言ってくれるんだけど、元気を出せ、って簡単に言えるのはどうしてなの」

 泣くのではないかと思ったが、アリシアの声は静かなままだ。

「それは……、『皆』は君じゃないからだよ。当事者じゃないからだ」

「そうだね、でも祐司は死んでもいいと思ってくれただけ、近い感じがする」

 I feel close to you. 被害者の家族と加害者の友人という立場でなければ、いい気分になれる言葉だろう。特にアリシアのような女の子の口から出た場合は。

 前を向いたまま祐司は、口元を引き締めた。いずれ、アリシアとは疎遠にならなくてはいけない。しかし、今はとにかく彼女が望むことを何でもしてやりたかった。

 彼女が一番に望むこと、父親を生き返らせる事だけは出来ないからだ。

 カピオラニ公園の西側を通って祐司は家へと車を走らせた。定位置に車を停めようとすると、丁度ケビンの車が向かって来るのが見えた。

 仕事帰りに同僚達と一杯やって来たケビンは、上機嫌でアリシアを迎えた。

 彼女が来る時に、何よりも救いになるのはケビンの明るさだ。二人きりで話すことなど限られている。ケビンは何気なく職場の話をしたり、テレビ番組やスポーツの罪のない話をするのに長けている。

 しかしその夜は、ケビンの話術をあてにする必要はなかった。

 酔って疲れているアリシアが、眠れそうだと言うので、すぐに祐司の部屋を明け渡し、祐司はケビンとリビングルームでビールを飲んだ。

 ナイトクラブでアリシアの元ボーイフレンドと悶着があった話をすると、ケビンは小さく口笛を吹いた。

「やるじゃないか、兄弟。お前、日頃は冷たいとこもあるけど、ちゃんと女の子に優しく出来るんだなぁ」

「普通、女の子が殴られそうになってたら何かするだろ」

 人付き合いは苦手だが、冷血漢になった覚えはないと祐司が付け加えると、ケビンは「ごめん」と謝り、更に続けた。

「お前、アリシアに優しくしてやれよ。肉親を亡くすのは、辛いもんだよ」

 いつになくしんみりした口調だ。祐司はケビンも父親を亡くしていたことを思い出した。

 ケビンは静かに話し出した。

「俺、親父が死んだときに真っ先に心配したのは、お袋が自殺するんじゃないかってことだった。長いこと癌で苦しんでたから、俺も妹も覚悟は出来てたけど、親父が病気のときは一番しっかりしてたお袋が、急に腑抜けになっちまって寝るも食べるも出来なくなっちまったんだ。結局、ハワイにいるのが辛すぎて本土に引っ越した。この島は、親父の思い出だらけだからな」

「お前のお母さん、本当にお父さんのことを好きだったんだね」

「まあね。俺はその頃まだ分からなくって、お袋の役に立てない自分に腹を立てたりしたんだ。でも、キャシーにふられたとき、少し分かったな。一番目がいなくなったからって、二番目がすぐに繰り上げ一番になるわけじゃない。アリシアは今、ボーイフレンドだっていないわけだろ? 一番目はきっと親父さんだったんだろうよ」

 黙って頷いた。少しだけ分かる。河野は特別な友人だった。誰も河野の代わりにはなれない。

 ビールを三本ずつ空けてから、祐司とケビンは寝床に入った。横になるとすぐに意識がぼんやりしたが、一つだけ気がかりがあった。「悪いもの」の存在をアリシアに告げるべきだろうか。

 父親を殺した人間達が悪霊となってさらに人を傷付けていると知れば、アリシアは怒り狂って消滅させようとするだろう。

 しかし知らなければ、彼女にとって事件は終わったことなのだ。少しずつでも身を切るような悲しみから遠ざかるだろう。

 アリシアには言わずにおこう。

 その方がアリシアにとってはいいんだ。胸の中でくり返して、祐司は眠りに落ちた。


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