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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第十四話・サモアから

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカが壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノに異変が起きる。

 祖父の霊の助けを得て、「悪いもの」と呼ばれる悪霊に憑かれていた事を知ったジャスティンは、河野の友人北本祐司に尋ねて、河野が悪霊の一部になった事を確認する。「悪いもの」がナカヤマとチョンに傷害事件を起こさせた事を確信したジャスティンに、祐司の同僚、ジュニアが自身の感知能力を説明する。


 鳥の声がし始めた。夜明けは近いが、まだ明るくはない。

 祐司はナカノ巡査長、いやジャスティンが来る前に座っていたベンチに戻った。

 カイムキのレストランに呼び出された後もそうだった。今また、酒場で傷害事件を起こした人間の話を聞いても、まだ納得出来ない。広美さんが殺されて以来、次々と起こることに心がついて行けない。

 まして今度は河野の魂が島内を徘徊し、あたかも殺人ウィルスのように人を傷付けている。

 さっきジュニアが言ったのは本当だ。河野を追いかけているジャスティンが羨ましい。

 河野は自分を置き去りにして、違うものへ変わってしまい、それを追いかけているのは自分じゃない。

「なぁ、祐司はなんでハワイに来やった? 友達はそれでハワイに来られんかっただろ?」

 黙って隣に座っていたジュニアが口を開いたと思ったら、ジャスティンにしたのとほぼ同じ質問を投げて来た。

「なんでそんなことを、今聞く必要があるんだよ?」

「なんででも。俺が知りたい」

 わざわざ顔を横に向けなくてもジュニアが真顔なのは、声で分かった。祐司は唇を曲げた。

 ジャスティンに追求されても話す気はなかったけれど、ジュニアとは付き合いの長さが違う。ハワイでこの事を誰かに話すのは、二回目だ。

 幾分はしょって、祐司は顛末をジュニアに語って聞かせた。

 少し驚いたのは、話すことがそれほど苦痛ではなかった事だ。以前なら言葉にするまでもなく、わずかでも思い出しただけで、壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られたものだ。

「そういう訳で、ハワイには逃げて来たんだ」

 祐司が結ぶと、ジュニアはふん、と鼻を鳴らした。馬鹿にした風ではない。

「傷つきやったなぁ。その昔の生徒たちを、恨んでやる?」

 予想もしていなかった質問だった。誰にも話さず、自分でも思い出さないようにしていただけに、考えた事もなかった。「いいや」と答えようとして、思い止まった。

「うん……、そうだな。恨んでるよ。彼女達があんな嘘を言わなければ、俺の人生は狂わなかったと思うからね」

「殺しやりたい?」

 さらにきわどい問いには、少し考えて首を振った。

 嘘を吐いたことで、彼女達は祐司の教員生命と引きかえに、いくばくかの同情を買ったかもしれない。しかし、売春したという事実は変わらないし、世間の風は温かくないだろう。自分が軽率だった事も認めるし、罪を擦りつけても構わないと思わせる何かが、きっと自分にはあったのだろう。

 説明すると、ジュニアは目尻を下げて微笑んだ。

「傷は治ってきてやる。あと、もうちょっとだ。これからは何のために生きやるの?」

 ジュニアがなぜ唐突にそんな事を言い出したのか、祐司には全く見当も付かない。言葉が見付からないまま、立ち上がって柱の影まで歩き、煙草に火を点けた。

 辺りが静かなせいで、充分会話は出来る。今晩はフロントも静まり返っていた。

「ジュニア、何だってそんな事を聞くんだよ? 何のために生きるかなんて、分かってる人間の方が少ないんじゃないか。第一、そういう自分はどうなんだよ?」

 巨体を前屈みにして膝に肘を突き、顔だけ上げた姿勢でジュニアは少し考え込んだ。大きな瞳が上を向いている。

 その瞳を祐司に向けるのに、祐司が三回煙草を口に運ぶほどの間があった。

「前にも言いやったけどな、ポリネシアンのルーツはサモアなんだ。俺たちの先祖はそっから色んな島へ旅をして行きやった。先に行きやったもんを、後から行きやったもんが殺しやったりもした。

 中にはなぁ、人喰いが習慣になった場所もありやる。対立する部族を喰うことで、その力を体に取り入れやるんだ。

 ハワイにもありやった。ここのは大体、儀式で罪人を喰ってやったらしいけど。……美味いらしい」

 祐司は煙草を取り落とした。

 玄関から洩れる明かりと、外の闇との境界で、ジュニアの大きな目が光ったからだ。光沢のある魚の腹のように、ぬるりとした水気のある光だった。

 食人の話が祐司を驚かせたせいもある。河野たちが被害者の身体を、そういう形で傷付けていた事は各種の報道で知っていた。

「うわ、お前、煙草落としやるなよ。怒られっぞ、灰皿に入れんかったら」

 ベンチから腰を浮かせたジュニアは、いつも通りの彼だ。

 祐司は正直に、今お前の目が光って見えたと告げて、煙草を拾った。灰皿に投げ入れる。

「光の加減だろよ。怖がんなくっていいよ。美味いったって聞きやった話で、まさか喰ったこたないもの。友達のことだって、関係ねぇよ」

 含みのない口調で言われて、祐司は気を取り直した。胸のポケットからもう一本煙草を取り出す。

「悪かった。続けて」

「ああ、そんで、俺は学がねぇから、どう言いやったらいいのか知らんけど、昔、あるかどうかも分からん島を目指して、海に出やった人達の気持ちは、分かりやる」

「どんな気持ちなんだい」

「ううん、上手くは言えん。こう、風が吹きやって、海の音がしやって、匂いと……。ここにいやったらだめだって。俺はそれに、どうしても行きやらなきゃって、お告げみたいなもんがありやった。前にも言いやったろ?」

「で、ジュニアは何のために生きるのさ」

 答えは半分分かっていた。ジュニアの弟は彼なしではおそらく生きて行けまい。そしてジュニアは弟のためには犠牲を厭わない。

 しかし、予測に反してジュニアは鼻から恐ろしい量の空気を吐き出し、顔の前で組んだ両手に顎を乗せた。

「それを今、考えてやるんだ。……祐司も傷は治りかけてやるんだから、考えた方がいいよ」

「日本に帰れってことかい」

 やや斜に構えて聞くと、即座にジュニアは「そうじゃない」と答えた。

 鳥達の声がさっきよりも頻繁に聞こえる。祐司もジュニアも黙り込んだ。

「ジュニア、俺は今、河野のことが知りたいよ。先の事はそれからだ」

 祐司がゆっくり言うと、ジュニアはベンチから立ち上がって伸びをした。

 ジュニアが何か言う前に、フロントの方から人がこちらへやって来た。朝一番の飛行機で発つ客だろう。会話はそれきり途切れた。

 気温が上がり始めた頃になって祐司は仕事を上がった。次のシフトが午後なので、帰って数時間したら、また出勤しなくてはならない。


 自宅に帰り着くと、ケビンはまだ寝ているようだった。Tシャツと下着だけになって祐司はキッチンに入り、グラスにウィスキーを注いだ。

 アルコールや睡眠薬の力を借りるのは良い事ではないけれど、そういう物なしで眠れるようになるのはまだ先だ。河野が死んだ事で安堵(あんど)したことはただの一度もない。そして、死の先にさらに事件が続こうとは、正に、夢にも思わなかった。

 ウィスキー・グラスに半分ほど注いだそれを空けて、祐司はベッドへ入った。アリシアの泣き顔や、最後に見た広美さんの姿が目蓋の裏に浮かんで来て、意味はないと思いながらも毛布を頭からかぶった。

 まとまった睡眠は得られないまま、祐司は出勤した。

 起きてすぐに熱いシャワーを使ったから、アルコールの臭いはしない。髭を剃りながら、我ながらひどい顔だと思っただけだ。


 車寄せにキャデラックが滑り込んで来た。運転席には中年の白人男性の顔が見える。

 同じシフトのリチャードはさっき入って来たワゴンを駐車場へ運んでいる。わざとらしくならない程度の笑顔を作って車の右側へ走り寄ろうとすると、車のトランクが持ち上がった。スーツケースが覗いている。到着客らしい。

「ホテル・キングダムへようこそ」

 運転席から降りて来る男に声をかけ、トランクの蓋を開ける。何が入っているんだと言いたくなるほど重いスーツケースを二つ、トランクから出している間に、白人男性とその妻、それに三人の子供達は車から降りていた。

「重かったでしょう。あなた力があるね」

 スーツケースを運んでもらおうとベルボーイに合図を送る祐司に、客が驚いたように言った。一体どこから来たのか、聞き取りにくいアクセントだ。少なくともアメリカ人ではないようだ。

「馴れてますから」

 笑顔で答えた祐司に、男は何を思ったか顔を寄せた。

「重いはずだよ、死体が入ってるんだ。私達の食事さ」

 耳元で囁かれて、顔が強張った。ぎこちない動作で客に顔を向けると、肉付きのいい頬が躍動して弾けるような哄笑が上がった。

「冗談だよ、あなた。本物がここに泊まったでしょう。見た? 本物」

 気の利いた冗談を言ったと信じて疑わない様子の客に、ヴァレーの半券を渡すのが精一杯だった。駐車場へ移動させるためにキャデラックのハンドルを握って、自分の手が震えているのに気が付いた。

 それでも車をぶつけたり擦ったりしないようにする配慮は自動的に働き、祐司は機械的に車を限られたスペースに停めた。車から出て、深呼吸を一つする。

 むごい事件のあった場所で、あの客が言った事は無神経ではある。けれどもどんなに悲しい事件であっても、冗談にしてしまえる人間というのはいるのだ。

 彼は当然、ヴァレー・パーキングのボーイが事件に関わりがあると知って、あんな事を言ったわけではない。

 ただ屈託なく笑ったその顔に、祐司は腹の底から「この野郎」と思った。

「祐司、どうかした? 顔が赤いよ」

 気を鎮めるためにゆっくり玄関へ戻った祐司に、リチャードが声をかけて来た。顔が赤いのは、それほど一度に頭に血が上ったという事だろう。

 祐司は自分の頬に手を当ててみた。少し熱いようだ。

「客に、例の殺人事件のことでつまんない冗談を言われてさ。ムカついた」

 投げ出すように言ったのは、リチャードに甘える気分があったからだ。おやおや、と青い瞳が微かに曇る。

「この世界は、君を傷付けたい人間で一杯だよ。だけど奴らの思い通りに傷付いてやる必要はない」

 形の良い唇から静かな声を出して、リチャードは祐司の肩を軽く叩いた。

 彼がこういう事をいう時は、相手を慰めようとするのと同時に、自分自身にも言い聞かせているような響きがある。彼の人生も平坦ではないのだろう。

 やがてアクティビティーに出かけた客や、レストランに夕食に来る客が続々と入って来た。レンタカーでない車が多いのでやっと気がついた。今日は土曜日なのだ。


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