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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
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第十三話・協力者

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、河野由樹とヒイアカがマノア滝で壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノは、奇妙な夢を見るようになる。

 祖父の霊の助けを得て、それが「悪いもの」と呼ばれる悪霊の仕業だった事を知ったジャスティンは、河野の友人北本祐司の言葉で、河野が悪霊の一部になった事を確認する。ジャスティンは「悪いもの」が傷害犯ナカヤマに移り、接触したチョンに移った後に移動した事を知り、祐司と彼の同僚、サモアンのジュニアに相談する。


 ジャスティンが二人に事件を説明する際、当該者の名前は伏せたし、詳細まで話す必要はなかった。

 ただ、自分を振り出しにして、今夜の事件が起きるまでに、どういう経路で「悪いもの」がエドワード・チョンへ移動したかは伝えたし、チョンがヨシキ・コーノとヒイアカの記憶と考えられる夢を見た事を付け加えるのも忘れなかった。

「ヨシキの夢を……、その人も」

 まるで嫉妬しているような口調で、ユージが呟く。

 まさか本当に嫉妬している訳ではないと思いたい。ユージは「悪いもの」に憑かれるのがどんな感覚なのか知らない。

「南の島のポスターを見かけて、すごく強く『行きたい』と思ったようなんだが、コーノはハワイに来たかったのかな。南の島ならどこでもいいとか? 彼のパスポートによると、ほぼ四年前にハワイに来た後は、アジアとヨーロッパには旅行に行ったようだけど」

 エドワード・チョンが「ハワイではないようにも」感じた事から、コーノはハワイではない南太平洋の島に行き、そこでヒイアカと知り合ったのではないかという仮定も思いついたのだが、パスポートの記録を思い出して自分で打ち消した。

「ハワイだと思います。あいつ本当にハワイが好きだったから。そうか、そんなに来たかったんだ……」

 その大好きなハワイに来て、何も殺人鬼になることはないだろう、という言葉は飲み込んだ。

「だけど、四年も来てないんだね。友達が住んでるってのに、日本の会社は休暇も満足に取れないのかな」

 何気なく言った言葉に、ユージがわずかだが表情を動かした。

 コーノがハワイに来なかったのは仕事が忙しかっただけではなさそうだ。以前の聴取では昇進したとか、仕事が忙しかったと言っていたが、黙っていた事があるのに間違いない。

 ワイアラエのレストランで会った時も、知っている事は聴取の際に話したと告げたけれど、それも違う。

 咳払いを一つして、ジャスティンは初めて彼をファーストネームで呼んだ。

「ユージ、どうして彼は四年もハワイに来なかったんだ。知っている事があるなら教えてくれないか。手掛かりになるかもしれない。分かるだろう、『悪いもの』の犠牲者はまだ増えるかもしれないんだ」

 努めて穏やかな声を出したジャスティンを、ユージが黙って見つめる。

 引き結んだ唇が、少しして緩んだ。

「私がハワイでやって行けるという、きちんとした足掛かりが出来るまで、彼はハワイに来なかったんです。なぜそんな事になったかを話すのは、勘弁して下さい」

 一語一語搾り出すように、ユージは言う。ジャスティンは驚きを隠せなかった。そんな形の友情があるものだろうか。

 ジャスティンの問いに、今度は少し伏せ目がちでユージは答えた。

「彼は、私が惨めな顔をしているのを、ハワイで見たくないと。明るく彼を迎えられるように、生活を早く安定させろという、彼なりの激励だったんです」

 コーノとユージの間には確かに友情があったらしい。いささか大袈裟な気もするし、何より「そんな事」になった原因に興味が湧いた。

 しかし迂闊(うかつ)に踏み込んでは、先日のようにユージが癇癪を破裂させかねないだろう。

「本当に仲が良かったんだね」

 無難に慰める口調で、とりあえずそう言った。

「ええ、でも今は、彼の事が全然分かりませんよ。お役に立てることはありませんね」

 目を伏せたまま自嘲的に吐き出したユージの背中を、いきなりジュニアが乱暴に二、三回叩いた。

「子どもみたいに拗ねやるな。友達を追っかけてやるオフィサーが羨ましいんなら、協力しやらんと」

 あまりにも朗らかにユージを叱るジュニアは、無邪気な微笑さえ浮かべている。彼の言葉は不思議と雰囲気を和らげて、人の気持ちを楽にする力がある。

 そのジュニアに叩かれて、ユージは照れた笑いすら浮かべた。

「すみません、オフィサー。ジュニアが言った通りです。コーノを追いかけているあなたが羨ましかった」

 つられてジャスティンも微笑んだ。見たことはなかったが、ユージの笑顔は中々愛嬌がある。

「悪いもの」を追いかけるのに君達の協力は不可欠だよ、と笑いかけてから、ジャスティンはジュニアに、彼が感じた臭いについて尋ねた。

「今日になって臭いに気がつきやった。どんどん強くなりやったから、なんかありやったと思った。けど、今は臭わんね」

 柔らかく吹く風を、ジュニアは背伸びして嗅いでいる。

 大きな野生動物が死んで腐っていく臭いに似ているのだそうだ。ジュニアは、サモアの山中で猪の死骸を発見した時の事を例に出した。「あれに似てやるわ」

「で、今は臭わないってことは、『悪いもの』が消滅したってことかい?」

 彼はサモアンだったかと納得しつつ、一縷(いちる)の望みを託して発した質問だったが、真顔になってジュニアは二度ばかり首を振った。

「いや、そりゃない。ああいうもんは黙って静かに消えやったりしない。とくに今度のは強いみたいだから。どこかで息を殺してやる。だから臭わん」

「それなら、もし『悪いもの』に憑かれた人と会えば、分かるかい」

 うーんと唸って、ジュニアは頭を掻いた。

「悪い状態になりやってればねぇ、すぐ分かりやるけど。ええと、あれがあんたから出て、いっぺん他の人に入りやったろ? そんなんだと分からん。多分、あれが人を動かしやるには、その人が悪い状態でないと駄目だから」

「ずいぶん分かってるじゃないか。君は関らない方がいいと言ったらしいけど、退治の仕方は知らないのか?」

 一番聞きたかった質問を投げて、ジャスティンはジュニアの瞳を見つめた。

 ジュニアがふいに顔の向きを変えた。明かりと反対の方を向いた表情が見にくい。しかし、彼が二度三度瞬きしたのは見て取れた。

「タチが悪いってのは間違いないでしょうが。けど、あんたも祐司も引かんよね。退治すんのは、分かりやるような、分からんような……。オフィサー、俺も専門家じゃねぇから」

 それ以上は聞いてくれるなとでも言いたげな口調には、正直言って失望を覚えたけれど、ジャスティンはすぐに気を取り直した。

 少なくとも、ジュニアは「悪いもの」の動きを察知することが出来る。

「そうか、でも、今度空気が臭うようなことがあったら教えて欲しい。せめて事前に知ることが可能なら、対応出来るかもしれない。それから……、俺のことはジャスティンて呼んでくれ。俺も、もう祐司をミスター・キタモトとは呼ばないよ」

 クリストファーもそうだし、この二人は数少ない戦友みたいなものだ。

 仕事中に邪魔したね、と言い添えてジャスティンは停めてある車に向かおうとした。一応、自分も仕事中なのだ。背中を向けたジャスティンを、ジュニアが呼び止めた。

「ジャスティン、あんたの先祖はなんでハワイに来やったの?」

 あまりにも意外な質問に、ジャスティンは「あぁ?」と目を見開いて振り返った。ジュニアは穏やかにもう一度質問をくり返す。

「詳しいことは知らないけど、貧乏だったんだろ。ハワイのサトウキビ畑で働けば、飢え死にの心配はないと思ったんじゃないのか」

 ジュニアに答えたそれが、ジャスティンも知っていることの全てだった。

 二世として戦場で活躍した祖父の事は知っている。けれども、曽祖父母の代となると、日本のどこの地方からやって来たかもよく知らない。父方にしろ母方にしろ、田舎で貧しい暮らしをしていて、安価な労働力を提供する移民の募集に応じてハワイにやって来たらしい、という程度だ。

 初期の日系移民の理由なんて多かれ少なかれ、皆、似たようなものだろう。

 それがどうした、とジャスティンが問い返す前に、ジュニアは別な質問をくり出した。

「なんであんたは警官になりやった?」

 ジュニアの脇で、祐司も呆気にとられたような顔をして彼を見上げている。

 質問の意図を聞こうとしてジャスティンは、ジュニアが実に真面目な顔でジャスティンの答えを待っているらしいのに気がついた。彼の思考は他の大多数とは違うようだが、「悪いもの」の存在と対処法に関係のあることなのかもしれない。

「食いっぱぐれがないと思ってなったんだ。そこは、先祖と同じだね。でも今はちょっと違う。誰かがやらなきゃならない仕事だし、俺は、人の役に立ってるかもしれない自分が好きなんだ、と思う」

 恰好をつけたつもりはなかった。瞬きもせずに、ジャスティンが言い終わるのを待って、ジュニアは顔を上に向けた。

「そっか……、まぁ、そうなんだろうなぁ」

 呟くように言って、再びジャスティンの方を向いた時には、照れたような笑顔になっていた。

「妙なことを聞きやってごめんよ。今度臭いがしやったら、すぐ電話する」

 ジュニアの意図はさっぱり分からなかったが、ジャスティンは手を振って車に戻った。

 人気の絶えた街を走りながら、もしかするとジュニアが聞こうとしていたのは、「悪いもの」に関してのことではなく、ジュニア自身に関することだったのではないかという気がして来た。

 障害のある弟がいると祐司は言っていた。

「ここは楽園じゃない。美しい場所だけど」

 アクセルを踏み込んでジャスティンは独り言を言った。


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