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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
40/62

第九話・アロハ・フライデー

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、切り裂きジャップこと、河野由樹とヒイアカがマノア滝で壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノは、毎夜妙な夢を見るようになる。

 祖父の霊の助けを得て、それが「悪いもの」と呼ばれる悪霊の仕業だった事を知ったジャスティンは、河野の友人、北本祐司から一連の夢は実際に河野の過去に起きた事だったと聞かされる。ジャスティンから出た「悪いもの」は、別件の犯人、ジェイク・ナカヤマに乗り移ったのか、ジャスティンと上司クリストファーは判断に苦しむ。


 自宅に帰るとジャスティンは、この所ほとんど使っていなかったプライベート用の携帯電話で、片っ端から友人に電話をしはじめた。ほとんどが高校とコミュニティーカレッジ時代の同級生だ。

 まずは挨拶と世間話。それから誰かカフナを知らないか、という質問を投げたが、友人達で直接知っているという者はいなかった。二人ほど、その友人と親戚が知っていると思うと答えた相手には、連絡を取る方法を聞いてくれるように頼み込んだ。

 彼らが、突如としてジャスティンがそんな質問をして来た理由を知りたがったので、少々迷った末、知人の家に幽霊が出ると嘘を言った。

 今晩はここまでだろうと電話を置いたのは、午後十一時だった。やるべき事はやっているし、カフナにも近付いている。半分自分を慰め、半分褒めてやりながら、ジャスティンはウィスキーをグラスに注ぎ、深夜放送の映画を見るともなしに見た。ベッドに入ったのは午前二時を回っていた。

 翌日、出勤したのは午後五時だった。

 目が覚めたのは午後一時で、朝食とも昼食とも言うべき食事を摂った後は、世の中には洗濯という行為があった事を思い出し、悪臭のする布の山を次々と洗濯機と乾燥機に放り込む事で時間を費やした。洗剤が切れていなかったのは、幸運と言うしかない。

 本署に着いて、初めて今日が金曜日だった事に気がついた。

 不規則な仕事をしていると、時々こういう事がある。

 テレビやラジオでアロハ・フライデーなどと言うのは、金曜日にはアロハシャツやムウムウを着ようというムーブメントから始まったものだが、土日の休みを控えた解放感も手伝っていると思う。その解放感が引き起こす事件や事故は少なくない。

 何件か交通事故も起きて、保安部の警官達が忙しそうだ。もっとも呼び出しがかからなかったから、大事は起きていない。

 すでに一日の仕事を終えようとしている日勤の担当者から、その日の申し送りを受けた後は、例によってコンピューターの前に座った。今回の事件ほど、後始末が厄介な事件も初めてだ。

「悪いもの」の存在は置いておくにしても、コーノとヒイアカの行為自体も不可解な点ばかりだ。

 被害者の関係者は、なぜ被害者が襲われたか全く見当がつかないと言うばかりだし、中にはその関係者と連絡が取れないケースさえある。

 クリストファーに指示された今晩の仕事がそれだ。三番目の被害者、レジー・ジョンソンに関する調べはほとんど進んでいない。

 ドラッグディーラーだったらしい彼には、名乗り出るような家族はいなかったし、積極的に警察に口を利く友人もいなかった。事件から大分経っているのに、判明したのはカリフォルニア州で薬物売買により二年の実刑を受けた前科がある事実と、住んでいたアパートだけだ。

 ワイキキの西の外れにある古いアパートには、女性の衣服や化粧品なども残されており、近所の住人も女性の出入りを認めていたが、警察と関わり合いになりたくないようで、姿を消している。

 ジョンソンの遺体は引き取り手がなく、検死後冷凍されたままになっている。

 ジャスティンはアパートの様子や、そこで発見されたドラッグの鑑定結果などを報告書にまとめた。押収されたドラッグの流通にまで言及しなければならないのが辛い所だった。実はまだ分かっていない。

 夕食は署内のカフェテリアで摂った。同じく夜勤のネビルと一緒に食べたのだが、ジョンソンに関する報告書の事から、話は島内でのドラッグの流通一辺倒になった。

 オアフ島をはじめ、州内の薬物問題は深刻だ。


 キイボードを叩く指が止まったのは、午前零時を少し過ぎた時だった。

 傷害事件が発生したと、送信係が慌しく出動を告げ、ジャスティンはクリストファーに電話を入れた。

 眠そうな声も出さずにクリストファーは現場で落ち合おうと指示を出し、ジャスティンはネビルに続いて席を蹴った。

 市内を西から東へ流れるキング・ストリートに車を入れると、911通報のあった雑居ビルには二分で着いた。場所はケエアモク・ストリートとキング・ストリートが交差している近くで、二階建てのビルにはレストランやバーが入っている。

 この辺りには韓国系の店や住人が多く、看板のハングル文字が目に付く。

 道に向かって九十度に建てられた、ビルの奥にあるバーが現場だった。すでに停まっている二台のポリス・カーの脇には、たった今到着した様子の救急車が見える。

 韓国系らしい若い女性が、店の入り口の前に横たえられていた。腹部に当てられたタオルが真っ赤だ。そのタオルを押さえている中年の女性が、何か大声で近くの男と話しているのだが、ジャスティンに分かるのはそれが韓国語という事だけだ。

 車から降りると、先に来ていた制服警官が走り寄って来た。

「どうしたんだい?」

 こういう場面で最初に口を開くのはクリストファーになっているが、彼はまだ来ていない。代わってネビルが聞いた。

「客がウェイトレスを刺したようです」

「犯人は?」

「ビルの警備員が取り押さえて、店内にいます」

 話を聞きながら、ジャスティンは内心ほっとした。面倒な事件ではなさそうだ。

 背後では救急隊員が被害者の女性に話しかけている。出血はひどいようだが、彼女は意識があり、救急隊員に向かって何か苦しげに訴えていた。

 紙のような顔色の被害者はすぐに救急車に収容され、側にいた中年女性が一緒に乗って行くようだった。

 ジャスティンは、それを困惑した表情で見ている男に近付いた。中年女性と話をしていた五十歳前後と見える男は、やはり韓国系に違いない。アロハシャツではない派手なドレスシャツを着ている。

「あなたは、ここの店の従業員ですか」

「え、ええ、働いて、ええと、はい。で、でもオーナーじゃないですよ」

 訛の強い英語で彼は答え、その怯えるような物腰がジャスティンの気にかかった。横目でネビルの顔を窺うと、彼も渋い顔をしている。

 さて、どうしようかと思った時に、クリストファーが着いた。

 男を待たせて、クリストファーにここまでの経緯を説明する。頷いてすぐ、クリストファーはバーの戸口に立っていた制服警官にこちらへ来るよう合図をし、男に親切な口調で話しかけた。

「驚いたでしょう。あの彼に何が起きたのか話して下さい。我々は先に店内を見て来ますからね」

 やって来た制服警官に、低い声でクリストファーは「何を言っても帰しちゃ駄目だぞ」と付け加えた。緊張した面持ちで頷いた警官は、まだ若い白人だった。

 クリストファーが戻るまでは、きっと鮫みたいに食いついて放さないだろう。

 警官が男に、身分証明書を持っているかと尋ねるのを横目に、ジャスティンはクリストファーについて店に入った。

 薄暗い証明の下で、真っ先に目に付いたのは、制服警官と民間の警備会社の制服だった。

 背の高い二人の男が話している足元の床に、男が座り込んでいる。不自然な姿勢から、男は後ろ手に手錠を噛まされているのが分かった。

 俯いているのでよく見えないが、アジア系でしかも年はいっていないようだ。

「手錠をかける際に、権利は言い聞かせました。現在のところ弁護士の要求はありません」

 犯人らしい男を手で示してから、堅い挨拶をして来た制服警官に、クリストファーは穏やかに挨拶を返した。

「うん、分かった。ご苦労さん。ところで、そちらの警備員の方は?」

「ここんちの警備員です。派遣ですけど、ね。会社はアロハ・ガード。ここんちはもう二年ぐらいやってます」

 言葉を返して来たのは、警備員の方が先だった。六フィート近い長身に釣り合うように腹回りも立派なハワイアンだ。

 四十代後半と見える彼は、きつめの地元訛で早口にまくし立てた。

「聞いて下さいよ、オフィサー、ね。巡回中にでっけぇ声と悲鳴が聞こえたから飛び込んでみりゃ、こいつがビール瓶振りまわして大暴れだ、ね? 女の子は大怪我だし。けど、びびっちゃあハワイアンの血が泣く、てんでそりゃ一生懸命取り押さえてみたら、店のもんはお客放り出してとんずらだよ、もう」

 確かに広い店内には、客らしい数人の男達が途方に暮れたようにいるだけで、店員の姿が見えない。ビール瓶やグラス、皿などが床の上に投げ出されている。

 暗めの照明に臙脂色のカーペット、同色のしかも安っぽいソファー。ソファーの配置や、まだ途切れていない古いラブソングから、バーはバーでもこの店がどういう店かジャスティンにも分かった。

 ホステスが客の隣に座り、酌をしたり親しく話したりするスタイルのバーだ。日本にも多いと聞いた事があるが、ホノルルではコリアン・バーと呼ぶのがこの種のバーの総称になっている。韓国系経営の店が多いからだろう。

 店員が逃げ散ったというのは、警察と顔を合わせたくない人間ばかりが働いていたという事に他ならない。薬物か賭博か、売春か、はたまた不法就労、不法滞在か。

 唯一残った男に逃げられないよう、制服警官に指示を出したクリストファーは慧眼だ。

 警備員をねぎらうクリストファーとネビルの脇で、ジャスティンはそっと、手錠を噛まされた男の前にしゃがみ込んだ。

「酔いは醒めました?」

 声と気配に、男はうなだれていた顔を上げた。アルコールの臭いはしない。右の頬が腫れて、上唇が切れている。思った通り若いアジア系の瞳を覗き込んで、この事件は複雑ではないとジャスティンは改めて思った。

 こういう瞳は何度も見た。事故を起こしてしまったドライバーや、喧嘩を取り押さえられた酔っ払いはこういう目をする。

 とんだ事をしてしまった。これから自分はどうなるのだろう。あまり酷い事にならないといいのだけれど。

「はい、すみません。あの、俺が刺した女の子、大丈夫そうですか?」

 掠れた声に、韓国語の訛はなかった。口を動かすにつれて、切れた唇から血が流れた。

「彼女を刺したことを認めるんですね」

 ほんの少し口調を変えてジャスティンが尋ねると、男はがくっと下を向いて声を絞り出した。

「俺がやりました。畜生、なんだってあんなことをしちまったんだ」

 すでに悔恨に震えている男を、ジャスティンは立たせた。ひょろりと背が高い。クリストファーがジャスティンにだけ分かる程度に顔を動かす。連れて行けという合図だ。

 片手を手錠に、もう片方を肩にかけるマニュアル通りの連行の仕方で、ジャスティンは立たせた男を一台のポリス・カーまで連れて行った。

 後部座席に座らせて、静かに待つように告げる。もっともどんなに暴れたって後ろ手では高が知れているし、第一警官達の間で「ブルー・アンド・ホワイト」の愛称で呼ばれているポリス・カーの後部座席は、内側からは開かない。


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