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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
39/62

第八話・作戦会議

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、切り裂きジャップこと、河野由樹とヒイアカがマノア滝で壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノは、毎夜妙な夢を見るようになる。祖父の霊の助けを得て、それが「悪いもの」と呼ばれる悪霊の仕業だった事を知ったジャスティンは、河野の友人、北本祐司から一連の夢は実際に河野の過去に起きた事だったと聞かされる。驚くジャスティンは、前日に起きた別件から「悪いもの」の行方を気にするようになる。


 報告書とスミヨシへの問い合わせのメールを作成し終わると、もう昼だった。

 ジャスティンが一段落するのを待っていたらしく、クリストファーが昼食に誘いに来て、二人は署の近くのレストランへ足を運んだ。いつもなら署内のカフェテリアで済ます所だが、今日は人に聞かれたくない話がある。

 本日のランチを二人分頼んで、クリストファーが話し出した。

「考えていたんだが、例の『悪いもの』は、現段階ではどうしようもないだろう」

 気勢を挫かれた気がしたのは一瞬だった。クリストファーは正しい。「悪いもの」は人間ではないのだ。ジャスティン達には対処法がない。

「そうですね。ただ、あれがこの島のどこかにいると思うとやり切れません。誰かがそれで、傷付けられる可能性があるんですから」

 あえて「殺される」とは言わなかった。ギャング紛いの連中にも、盛んになっているドラッグの密売にも対応する術はある。警察は戦える。

 しかし、人にとり憑く悪霊相手では、どう戦えばいいのか。クリストファーも唇を曲げた。

「同感だよ」

 ハワイアンと思しき、威勢のいい中年女性がランチを運んで来た。

 気分は落ち込んでいるのに皿に盛られたチキンカツを見たとたん、食欲が湧いた。確かに、自分の中にあの「悪いもの」はもういない。

 これから起こるかもしれない犯罪を憂いつつも、体は正直に空腹を訴える。ジャスティンはチキンカツを掻き込んだ。

 付け合せのマカロニサラダまで平らげるのに、十分はかからなかっただろう。クリストファーが自分の分も食べるかと聞いてくれたのを断って、紙ナプキンで口を拭うと先程のウェイトレスが皿を下げに来た。

「いやぁ、早いね、兄ちゃん。あ、そちらさんはどうぞごゆっくり」

 手馴れた様子で皿を下げ、クリストファーには丁寧に言って、テーブルを拭く。

 彼女の横顔を見た時に、ジャスティンは何かを思い出しそうになった。ウェイトレスは長い髪を後ろで一つに括っている。ウェーブのかかった真っ黒な長い髪。

 ああいう髪が地面で擦れるとどんな感覚がするものなのか、ジャスティンは知っている。

 クリストファーが食事を終えるのを待って、ジャスティンは口を開いた。ウェイトレスに聞かれないよう、小声だ。

「強姦されたこと、ありますか」

 折しも氷水を飲もうとしていたクリストファーは噎せそうになり、慌ててナプキンに手を伸ばした。

「なんだい、急に」

「夢の話ですよ。ほら、どこかの林ででかい男に襲われたあれです。やっぱりヒイアカなんでしょうかね」

 そうなんじゃないのか、と言いながら、ジャスティンが何を言いたいのかさっぱり分からないようだ。

 実はジャスティンにもよく分からない。

「急に思い出したんですよ。私の実人生で、あんなに恐怖と絶望と苦痛が混じった体験はない。ああいう目に遭ったら、ヤケになってどんなに酷いことも出来るんじゃないかと思いました」

「それはいけないだろう。自分が被害にあったからって、他人を傷付けていいものじゃない。それとも『悪いもの』に憑かれると、他人に酷いことが出来るようになるという話かい」

 頷いてジャスティンは説明した。他人を傷付けてはいけないのは正論だが、被害にあったら一生心に残る傷になる。

 もし誰もそれを癒してくれなかったら、傷から血が流れるばかりだったら。

 犯人が憎いだろうし、自分の傷を横目で見ながら、所詮は他人事と人生を謳歌している連中が妬ましいだろう。「悪いもの」が去った今でも、夢で感じた悔しさや絶望感はまだ覚えている。

「そのために警察があるんじゃないか。君は『悪いもの』への対抗策があるのか」

「それですよ。どうしたらいいと思います? 憑かれた人間を、教会か寺にでも連れて行けばいいですかね」

 上目遣いで尋ねると、クリストファーは困ったような顔を向ける。

「それで消滅するのかね。しかもジェイクに憑いているかどうか、まだ分からないぞ」

 正体も判らない、対処の方法もない相手ではどうしようもない。クリストファーの考えは現実的だ。

 当面は「悪いもの」の所在を確認する程度か。署まで帰る道々、クリストファーがナカヤマに面会してみる事などを話した。

「署長に話すわけにはいきませんけど、彼の知り合いの神官(カフナ)には話を聞いてもらいたいと思いませんか」

 そもそも邪悪な霊の話を持って来たのは、署長の友人というカフナだ。署長にしたって頭からカフナの話を退けたりはせずにクリストファーには話したのだから、問題はないのではないか。

 良い提案だと思ったのだけれど、クリストファーは首を捻った。

「後で、カフナが署長に言うだろう。署長はコーノ達が死んだことでやっと一息吐いてる状態だ。蒸し返すなと釘を刺されて、逆効果かもしれないな。君、誰かカフナを知らないのか?」

 署長の詳しい性格まで、ジャスティンは知らない。非現実的な話には違いないから、「そんな事言ってないで仕事をしろ」と言われる可能性も高い。

 ジャスティンもよく知っている犯罪捜査課課長のジェイソン・ランドなら、間違いなくそう言う。自分の個人的な伝手(つて)を頼るしかないようだ。

「友人に片っ端から当たってみましょう」

 捜査課に戻った時には、規定の昼休みの時間を少々オーバーしていた。

 早速クリストファーはレイモンドに適当な言い訳をして、ジェイク・ナカヤマに面会の手続きを取ってくれた。担当官ではなかったため、いささか面倒だったが、短時間ならと許可が出た。

 クリストファーがナカヤマに面会している間、ジャスティンはせっせと書類作成に励んだ。

 面会に行ってから、ほんの二十分程でクリストファーは戻って来たが、ジャスティンは何食わぬ顔で仕事を続け、話を聞いたのは帰る時刻が迫った夕方になってからだった。


「どうも、あまりよく覚えていないみたいだった」

 クリストファーの第一声はジャスティンを失望させた。

「しかし、私が彼の肩を掴んだときに、何か熱いものが触れたと感じたそうだよ。その後、酔いが醒めるに従って、イライラが募ってきたんだそうだ」

「まさか、まだあなたが何か言ったせいだと思っているわけじゃないでしょう」

 小さい溜息を吐いて、クリストファーは苦笑した。

「いや、それはないようだった。しかし、彼の行動が『悪いもの』のせいだと断定出来る材料もないね」

 否定しようがない。クリストファーが触れたときに感じた熱さが、「悪いもの」の移動だったと考えられない事もないが、何しろあの時ナカヤマは泥酔していたのだ。熱いと思ったのは気のせいかもしれない。

 第一、コーノからジャスティンへの移動に身体接触はなかった。

 作りかけの報告書を、間違いのないようにコンピューターとUSBの二箇所に保存しながら、ジャスティンはいくつかの仮説を立てた。

 一つ目は「悪いもの」はクリストファーを経由してナカヤマへ移っており、現在は更にどこかへ移動している。二つ目はまだナカヤマの中にいる。

 そして三つ目は、実は「悪いもの」はまだクリストファーの中にいるか、ナカヤマではない別の誰かへ移動した。

 帰りがけに三つの仮説を話すと、クリストファーは渋い顔をした。

「まだ私の中にいるんだとしたら、このまま退治する方法を考えたいね。でないと誰かと握手も出来ん」

 ふいに、ワイアラエのレストランで会ったジュニアの事が脳裏に浮かんだ。

 彼はジャスティンから臭いにおいはしないと判じ、「少しだけ」だが知覚する能力もあると言っていたではないか。クリストファーをジュニアに会わせれば、少なくとも「悪いもの」がクリストファーの中にいるかどうかは分かるだろう。

 理由を話してクリストファーを待たせ、ユージの携帯電話に電話するとすぐに出た。

「何かありましたか?」

 ジャスティンからの電話だと番号が表示された為だろう。ユージの声は硬かった。

「いや、はっきり何があったというわけじゃないんだが、そっちは何か変わったことはないかい」

 不明瞭な話し方になってしまった。昨夜ナカヤマが起こした事件は、表面上ヨシキ・コーノとは関係ない。その事件を外部の人間に話す事は出来ない。

「いえ、こちらは別に。彼の夢も見ませんし」

「そうか、ところでジュニアはどうしてる? ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 答えが返って来るのにほんの僅かだが間があった。

「あんまり良くないですよ。ジュニアには障害者の弟がいるんですけど、最近具合が悪くて、面倒を見るので夜もあんまり寝ていないらしいし」

 レストランでジャスティンがコーヒーを注文した際、起きている用事があると言っていたのは、弟の世話をする為だったのかもしれない。家族が大変な状況だとすると、頼み事をされるのは彼にとって、嬉しい事ではないだろう。

 もっともジュニアの勤務中にキングダムへ、クリストファーを連れて行けば済む事だ。

「今日か明日、彼が入っているシフトは分かるかい」

「ええと……、今日はオフですね。明日は夜中から明け方まで入ることになってますけど、弟の具合次第では誰かと代わるかもしれません」

 明日の夜はジャスティンも夜勤だが、クリストファーは違う。ジャスティンはユージに礼を言い、切ろうとした時にユージがさえぎった。

「オフィサー、『悪いもの』が今どこにいるか知っているんですか」

 切実な声を出したユージに、ジャスティンは「おや」と思った。追い払われた「悪いもの」が他人に移ったと思い当たったのは今日だ。昨日はそんな話はしなかった。

「君、何か知ってるのかい?」

 もしかしたらジュニアは全て分かっていたのかもしれない。得々として「追っ払いやったんだろうよ」と言った顔を思い出した。

「大したことは……、あなたから出て他所へ行っただろうという程度です。昨日の帰りにジュニアがそう言ってました。関わらない方がいいとも……」

 語尾は消え入るようだった。ユージにしてみれば、終わったと思っていた事件が形を変えて続いていることで、辛い状態に逆戻りなのかもしれない。

「そうか。私もどうせ大した事は出来ないよ。無視するのも気が引けるから、目を配りたいとは思っているけど」

「もし分かった事があったら、教えてくれませんか?」

 それまでとは変わった強い調子にジャスティンは「分かった」と言うしかなかった。ユージがまだコーノを友人だと思っている以上、彼もまた無関心でいられるわけがない。

 進展があるとは元より期待してはいなかったけれど、ジュニアが「関わらない方がいい」と言ったというのが気になった。知覚は出来ても退治は出来ないということか。脇で聞いていて、成果なしと知ったクリストファーも軽く肩を竦めただけだった。

 それぞれに考えようというクリストファーの提案に頷いて、ジャスティンは帰途に着いた。


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