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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
38/62

第七話・悪霊

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、切り裂きジャップこと、河野由樹とヒイアカがマノア滝で壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノは、毎夜妙な夢を見るようになる。日常でも説明の付かない苛立ちに襲われ、仕事のミスが目立ち始める。祖父の霊の助けを得て、悪霊を追い払ったジャスティンは、夢の内容を検証しようと、河野の友人、北本祐司を呼び出し、夢が実際に起こった事だったと知る。


 大声に驚いた様子のクリストファーにかまわず、レイモンドは続ける。

 泥酔していたジェイク・ナカヤマは、飲酒運転で捕まったドライバーの扱いとしては極めて一般的に、留置所へ入れられた。酔いが醒め、反省の様子がうかがえた頃に電話を使わせ、家族か友人に保釈金を持って来させて釈放するのも例外ではなかった。

 昨夜、規定の保釈金を持って、ジェイク・ナカヤマを迎えに来たのは彼の弟だった。

 ダウンタウンにある本署から、自宅までの道のりで、ジェイクと弟の間にどういう会話があったのかは分からない。おそらく弟がジェイクを諫めるようなことを言ったのだろう。

 彼らの住まいがあるアイエアで、路上に男が倒れていると911通報が入ったのは午後八時三十分だった。駈けつけたパトロール警官が発見した男は、持っていた免許証から、スティーブン・ナカヤマと判明。ジェイクの弟だった。

 スティーブンは右腕と肋骨を骨折。打撲と擦過傷は数え切れない程だったし、何よりも頭を強く打っていて意識がなかった。彼の車と、同乗していたはずの兄が消えている事から、犯人はジェイクだと思われた。

 抱えている事件の数と順番により、出動の要請が出たのはレイモンドの班だった。

「逃げ回ったら厄介だと思ったんだけどよ。すぐめっかったぜ」

 レイモンドは鼻の穴を膨らませた。

 ホノルル市内、アラモアナ・ショッピングセンターにほど近い高層のコンドミニアムから911通報が入ったのは、スティーブン・ナカヤマが保護されてから、わずか四十分後の事だった。通報して来たのはコンドミニアムの住人だった。

 住人ではない男が管理人と格闘になっていると通報者は告げ、パトロールの警官が犯人の特徴を知らせて来た時点で、レイモンドとライアンは現場へ急行した。

 彼らが到着した時には、すでに騒ぎは治まっていた。

 コンドミニアムへ侵入しようとして管理人に見咎められ、騒ぎを起こした男はジェイク・ナカヤマだった。管理人の一人で、残業で事務所にいたエドワード・チョンが、無理矢理コンドミニアムに入ろうとするナカヤマと揉み合っている間に、パトロールの警官が急行して取り押さえた。

「俺らが行った時には、奴はもう抵抗してなかったし、大人しいもんだったよ。けど、弟を半殺しにしたのは洒落になんねぇや。今、留置所に入れてあらぁ」

 言葉を切って、レイモンドはクリストファーを見つめた。何か言うのを待っている。

「私が彼をよく知っていたのは、三十年も前の話だよ。確かにやんちゃなティーンエイジャーだったがね」

「そっか、じゃ、今ダチだってわけじゃねんだ、な?」

 頭を掻くレイモンドに、クリストファーは苦笑を返した。もしかしたらレイモンドは、クリストファーがナカヤマをかばうと思ったのかもしれない。

「一応、簡単な事情聴取は済ませたんだ。奴ぁ、最近離婚したんだと。そんで仕事も上手くなくて、この不景気だからよ、ヤケっぱちになったんだろ、な? 昨日、押し入ろうとしたコンドミニアムには、別れた女房が親と住んでんだ。ぶっ殺してやるつもりだったって言ってやがった。物騒な野郎だよ、な?」

 何となくレイモンドの物言いは、単なる報告以上の物を感じる。自分がいない方が話しやすいかもしれない。静かに自分のデスクへ向かおうとしたジャスティンを、レイモンドが止めた。

「ジャス、お前もいろ。ちょっと聞きてぇんだけど、よ。あんた、昨日奴が飲酒運転でしょっ引かれたとき、玄関で出食わしたんだって、な?」

 理由もなく心臓がどきりとした。

 レイモンドは極力気を遣った聞き方をしているが、クリストファーが事件に関わりがあるとでも言いたげだ。

「あんた、奴に何か言ったかい? 奴ぁ、署の玄関であんたの顔見てから、腹が立って仕方がなかったって言ってんだ。ま、コンドミニアムの管理人にどつかれたら治まったみてぇだけど、よ」

 もう一度頭を掻きながら、レイモンドは上目遣いで申し訳なさそうだ。クリストファーはううん、と顎を上げて考えている。

 その間にジャスティンは口を挟んだ。

「ジェイク・ナカヤマは何て言ってるんです。クリストファーが何か言ったと?」

「覚えてねぇのよ。その後から腹が立ったから、会った時に何か言われたんじゃねぇかって」

 昨日会った時に、ジェイク・ナカヤマは既に相当酔っていた。クリストファーとの会話を覚えていない位だったら、立腹の原因がそこにあるとは言えまい。留置所に入れられた事自体かもしれないし、その過程に立ち会った他の警官かもしれない。

 いずれにせよ、自分の罪を他人のせいにしているようで、ジャスティンは不愉快だった。正直に口に出すと、レイモンドは少し笑った。

「クリスが何を言ってたって、責任があるわけねぇじゃねぇか、な? 俺が聞いてんのは、一応ウラ取らなきゃならねぇからだよ」

 考え込んでいた様子のクリストファーがようやく、そうだ、と話し出した。

「彼は、酔っていないから放してくれ、みたいなことを言ったんだが、私は連行して来た警官に、構わないから留置所に入れるよう言ったな。それで彼は怒ったんじゃないか」

 確かにその通りだ。クリストファーがその気になれば、ナカヤマを連れていた警官に、自分が説諭するからと言って彼の身柄を引き取る事も出来た。

 しかし、そういう事をしないのがクリストファーで、ジャスティンはそんな上司を敬愛していた。

「何だ、そんなことかよ。そりゃ、逆恨みもいいとこだ、な?」

 嬉々としたレイモンドとは逆に、微笑を浮かべながらもクリストファーの顔色は冴えない。疎遠になったとはいえ、弟の同級生が事件を起こしたのだから無理はないのかもしれないが、それだけではなさそうな気がする。

 手間をかけたな、と言うレイモンドの背中を見送って、ジャスティンは自分のデスクに座った。


 昨日、ここに座っていたのが、ずっと前のような気がする。

 とはいえ、消去してしまった文書は新たに作り直さなければならない。メールを開けると、失礼な対応になってしまったにも拘わらず、スミヨシ警察からのメールが転送されていた。

 昨日や一昨日のようなミスをするわけにはいかない。深呼吸をしてメールを開いた後、素早くプリントアウトする。

 メールの内容は、殺害されたエトー夫妻はハワイが好きで、一年に最低二度は旅行に来ていたとあった。発信者の意見として、被害者が犯人と面識があったとすれば、ハワイでの事ではないかとも書いてある。

 一年に二回と言っても、それは一体いつからの話なのだ。ジャスティンは頭をひねった。ヨシキ・コーノはパスポートによれば、ほぼ四年の間ハワイには来ていない。エトー夫妻と知り合ったのなら、それ以前か、今回の滞在中という事になる。

 メールには、不明な点があればいつでも電話をくれるようにとある。

 国番号から始まる長い電話番号に添えて、時差まで書いてあるのが実に親切だ。その上、回線がおかしかったのは日本側の問題かもしれない、自分の英語は聞き取りにくくて申し訳ない、などとも書かれてあり、ジャスティンはすっかり恥ずかしくなった。

 日本人が皆、いい人であるわけはない。しかし、日系は日本人に親切にされればとても嬉しい。会えずにいた親戚に会って、期待に違わず優しい人だったと感じるような喜びだろう。

 勤勉だとか正直だとか、忍耐強いといった美点は、先祖が日本から持ってきた財産だとジャスティンの父はよく口にする。

 父の事を思い出すと同時に、祖父の事を思い出した。

 自分が見たのはただの夢ではない。戦場で苦しい思いをしながら、日系の未来へ夢をつないでくれた人達がいるのだ。自分の祖父もその一人だと、胸を張りたい気分だった。

 同時に引っかかりを覚えた。

 彼らの偉業に関してではない。祖父がクリストファーに言った言葉だ。「手は長くないから悪いものから守り切れなかった」、それは分かる。ジャスティンは「悪いもの」に憑かれていた。

「手遅れになる前に」というのは、ジャスティンが死ぬか人を殺す前という意味だろうか。そして「追い払った」。

 背筋がぞくりとした。やっつけたでも退治したでもなくて、追い払ったとは、つまり「悪いもの」は他所へ行ったという事か。

 そこまで考えた時には、ジャスティンは椅子から腰を浮かせていた。聞きたいことがあるからと、クリストファーの腕を取る。

「祖父が言ったことで、気になったことがあったんです」

 部屋を出るなりジャスティンは切り出した。自分にとり憑いていた「悪いもの」の行方が気になると告げると、クリストファーはみるみる青い顔になった。

 もしや、「悪いもの」はクリストファーの中にいるのではないか。とっさにこのままクリストファーを連れて、近くの寺か神社か教会へ駆け込む事を考えた。

「私もだよ」

 スナックルームへの扉を開けながら、クリストファーが小さい声で言う。

「私も『悪いもの』の行方は気になってる。実は君に言わなかったことがあった」

 ジャスティンが二人分のコーヒーを用意している間に、クリストファーは言わずにおいた祖父の言葉を語った。

「本当は消える前に、あんたはきっと大丈夫だ、と言ったんだ。それは私に向けた言葉だったから、君に伝えなかった。何が大丈夫なのか、分からなかったしね。もしかしたら、それは『悪いもの』には憑かれないという意味だったのかな」

 クリームと砂糖を入れながら、ジャスティンは大急ぎで考えを整理した。

「ええと、私が見ていた夢の内容からして、『悪いもの』の正体は、コーノとヒイアカの意識だとか想念だと思います。それが私の所へ来たのは……、マノア滝でヤツが死ぬ間際に指差したのと関係があるんでしょう。それが、私からあなたへ移ったってことですか? そんな、風邪の菌じゃあるまいし」

「風邪の菌みたいなものだったらどうするんだ? 幸い、昨夜はよく眠れたがね。こういう仮定も出来るぞ。コーノとヒイアカも『悪いもの』に憑かれた犠牲者だった」

 多めに砂糖を入れたコーヒーを一口飲んで、クリストファーは美味い、と呟いた。わざと多めにしたつもりはなかったが、突飛な話題が手元を狂わせた。

 夢の一つを思い出した。月明かりの中で逃げ惑う人々を殺したのは、コーノでもヒイアカでもあり得ないはずだ。あながち的外れな推理ではない。

 しかし当面、甘いコーヒーを美味そうに飲んでいるクリストファーにはなんの邪気もなさそうだ。祖父が言った通り、クリストファーは「大丈夫」なんだろう。

「風邪の菌みたいなものだとしたら、えらいことになりますよ。あれに憑かれると、まともに物が考えられなくなるんです。世の中全部が自分に不利に働いているような気分になる。で、終いには破壊衝動に突き動かされるんです」

 自分にはたまたま祖父が助けてくれるという僥倖(ぎょうこう)が起こったが、もし助けがなければ、と考えただけで背筋が寒い。

 火山が噴火する様子をテレビで見た事があるが、体の中から解放されたマグマが噴出してくるような感覚だった。誰にでも庇護者があるわけではあるまい。「悪いもの」に憑かれたら最後、殺人者への道をまっしぐらだ。

「うん、だからね、ジェイク・ナカヤマはそいつにやられちまったんじゃないかと思うんだ」

 生活安全部の警官が二人、声高にスナックルームに入って来たため、語尾は消えかかっていた。

 クリストファーの言う通り、「悪いもの」はジャスティンからクリストファーを経由してジェイク・ナカヤマへ行ったというのか。ジャスティンは捜査課までの廊下を無言で歩いた。

 仮にそうだとしても、破壊衝動に駆られるのが早過ぎないだろうか。もっとも、「悪いもの」が人によってどの程度の時間で作用するものなのかは分からない。判っているのはジャスティンは一週間で、クリストファーは憑かれないという事だけだ。

 ナカヤマが「悪いもの」に憑かれたかどうか判断する材料は、ある。もしもまだ憑かれていれば、絶対に夢を見る。コーノの夢か、ヒイアカの夢だ。但し、ヒイアカの夢は確認が取れないので、それらしいものとするしかない。

 彼はまだ留置所にいるだろう。家族が保釈願いを申請して、それが通れば保釈金と引き換えに外へ出る事は出来る。しかし、傷害としても軽いものではないし、そう簡単に申請は通らない。

 すぐにもナカヤマに会って、夢を見たかと聞いてみたい気分になったが、担当はレイモンドだ。彼か相棒のライアンに納得してもらわないと、ジャスティンがナカヤマに会うのは難しい。

 クリストファーとの会話は尻切れのまま終ってしまった。

 とりあえずは目の前の書類に集中する事にした。

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