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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
37/62

第六話・理解

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、切り裂きジャップこと、河野由樹とヒイアカがマノア滝で壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノは、毎夜妙な夢を見るようになる。日常でも説明の付かない苛立ちに襲われ、仕事のミスが目立ち始める。祖父の霊の助けを得て、悪霊を追い払ったジャスティンは、上司クリストファーの助言に従い、夢の内容を検証しようと、河野の友人、北本祐司を呼び出す。


「もう沢山だ。彼が俺のことを、誰かに喋ったってことが言いたいんだろ。だったら何だ。ああ、彼は俺と違って友達も多かったからね」

 テーブルを思い切り叩いて、席を蹴ろうとしたユージの腕をつかんだのは、ジュニアだった。

 ユージの上げた大声に、こちらを窺っている周囲の客やウェイトレスにも笑顔を作って、「なんでもないよ」と告げる。

 ジャスティンは口を大きく開けたい心境だった。

 空港でジャケットを渡されたのは、ユージだった。

「実はお前、癇癪もちだったんだな。オフィサーの話はちゃんと聞きやって。しまいまで聞きやって、そんでしょうもない話だったら、俺が責任持ってぶっとばしやるから」

 この男は年はいっていないが、肝は据わっているらしい。普通、警察官を「ぶっとば」す話など本人を目の前にして出来るものではない。

 肩で息をしているユージをジュニアがなだめている間に、ジャスティンは素早くウェイトレスに、料理を下げてくれるようにと頼んだ。ついでにコーヒーを三人分注文する。

「怒らせたんなら謝るよ。けどね、ミスター・キタモト、君は思い違いをしている。今の話を私にした人間はいないんだ。だから、君に会って確かめたかったんだよ」

 テーブルの上がすっかり片付けられるのを待って、ジャスティンは切り出した。

 ユージはまだ眉間に厳しい皺を寄せている。

「じゃあ、何です。何だってあなたが、俺と彼しか知らないことを知ってるんだ」

 再びユージが激昂しない保証はない。クリストファーがあっさりと夢の話を信じてくれたのは、祖父の姿を見た後だったからだ。

 呼吸を整えて、口を開く。

「簡単には信じてもらえないかもしれない。今、君に聞いた話は、全部私が夢で見たんだよ。十四番のユニフォームを着けた君が、私の手の中から本を取り上げたのも、空港で大事な誰かにジャケットを渡したのも、皆、私が夢で見たんだ」

「まさか……」

「今日はサトー警部が一緒じゃないだろ? なぜかっていうと、私が殴って顔に痣をこしらえちゃったからなんだ。事件以来、毎晩妙な夢を見て、苛々していたせいだな。止めてもらわなかったら、もっと酷い事をしてたかもしれない。誰が止めたかは、また後で話すよ。もう、妙な夢は見ないといいんだけど」

 説明が上手くない。自分が殴ったの、誰かに止められたのという話をしたところで、その場にいなかった二人には、何の説得力もないだろう。

 どう続けようかと、言葉を切った時にジュニアが「あー」と言いながら大きな口を開けた。

「それは大丈夫。もう夢は見やらん」

 自信たっぷりに言い切るジュニアに、なぜだとジャスティンが聞く前にコーヒーが運ばれて来た。ユージが気遣うようにジュニアを見る。

「勝手にコーヒーを注文しちゃったけど、良かったかな?」

 ジュニアが島内に多い、モルモン教の信者だとすれば気の毒だ。彼らはカフェインを摂らない。しかし、ジュニアは澄ました顔でクリームと砂糖をコーヒーに入れた。一口啜って、笑う。

「こないだね、生まれて初めてエスプレッソってのを飲みやったら、丸々二日眠れんでねぇ。でも今日は、起きてる用事がありやるからちょうどいいです」

 深刻な話題が吹き飛ぶような笑顔だった。

 つられてユージの顔も、少しほころんだ。先程、日本に友達はいないときっぱり言い切った彼だが、ハワイには良い友人がいるのだ。

 それも彼のためなら警官を「ぶっとば」すのも辞さない友人なんて、めったに得られるものじゃない。

 自分もコーヒーを口に運んでから、ユージが改まった調子で話しかけて来た。

「あなたがそんな夢を見たのは、どうしてだと思います? 彼の魂がまだ天国へ行っていないってことですか。だとしても、なぜあなたなんだろう?」

 小さい声の質問に、一瞬ジャスティンは眩暈のようなものを覚えた。

 むせかえるような緑の匂いと水の音が眼球の裏から立ち上った。目の前には銃を持って、自分を見据えている男がいる。

 その像が消えるまでのわずかな間、目を閉じてからジャスティンは溜息を吐いた。

「彼が自分の頭を撃ち抜く直前に、私を見たんだ。指差して笑った。何かそれと関係あるのかもしれない」

 同じような溜息がユージの口からも洩れた。

「正直いって、信じられませんよ。あなたが嘘を言っているとは思えませんけど、あまりにも現実離れしていて」

 全く同感だった。自分に起こった事でなければ、ジャスティンだって(かつ)がれていると思っただろう。しかし、あれこれとプライベートな話をさせられたからには、ユージには知る権利がある。

 ジャスティンは夢がヨシキ・コーノに関するものだけではなかった事、苛立ちや不快感から開放された顛末を、問わず語りに話した。祖父が姿を現した件を話した時は、「信じられないと思うけど」を最低でも十回は口にした。

「追っ払ったって言ったんですか、その『悪いもの』を?」

 半信半疑の顔つきで話を聞いていたユージが、声を上げた。

「と、サトー警部が教えてくれたんだよ」

「追っ払いやったんだろうよ。だって、オフィサーからはなんにも臭いにおいはしやらんもの」

 得々とした顔で言うジュニアに、ジャスティンは身じろぎした。

「君は分かるのかい?」

「少しだけね」

 ばかでかい肩を竦めてジュニアが言う。ユージは黙っていた。

 会計は反対する二人を押し切ってジャスティンがした。店を出ると、爽やかな貿易風が闇の中を吹き抜けて三人を包んだ。

 気分が良かったせいか、去りがたい気分でジャスティンは口を開いた。

「彼が高校のときに好きだった人の姿も見たよ。雨の日に傘を渡せなかった。君が渡してやったんだろう。内気だったんだな。今、思うと彼女は少しミセス・コーノに似ていたね」

 祖父が「悪いもの」を追い払った話をしてから、言葉少なになってしまったユージの頬に薄い笑みが浮かんだ。

「ええ、英語の先生が好きでしたね、あいつ。広美さんにも似てたかもしれない。だけどただ内気っていうんじゃなくて、すごく潔癖な性格だったんです。自分の好きなものは少しでも汚したくないっていうような。自分自身もいつも清潔でいたいと思ってた」

 弱いけれども、いとおしむ口調でユージは説明した。彼の中で、まだコーノは大切な存在なのだろう。楽しい高校時代だったに違いない。

「あのさ、夢の中でね。君に本を渡した時、君はとても嬉しそうだった。だから私もとても嬉しかったんだ。あれが彼の気持ちなら、そういう時間もあったって事だろう。ええと、だから、君は楽しかった時間まで忘れる必要はないよ」

 慰めてやりたい気分でそう言うと、少し驚いたユージの表情が、泣き笑いに近い顔になった。

「そうですか……、そうですね。ありがとう、オフィサー」

 二人と別れて家路に着いたジャスティンの胸の中には心地よい空洞が残った。

 ジュニアが言った通り、その晩は何の夢も見なかった。

 本当に久し振りの熟睡をたっぷり貪る事が出来た。


 目覚めは爽やかだった。いつもの出勤より早く起きてアパートを後にし、クリストファーを迎えに車を走らせた。見慣れた街中なのに、街路樹の花が目に付く。

 貿易風に花の房を揺らすレインボー・シャワーツリーや、賑やかな黄色のゴールデンツリー。今日も天気は良くて、雲の流れが早い。

 やはりクリストファーの顔には薄いが、青黒い痣が出来ていた。

「お世話かけてごめんなさいね。この人、意外と抜けてるから」

 一体どういう説明を受けたのか、クリストファーの妻のジャネットに謝られて、ジャスティンは恐縮し切ってしまった。手を振る彼女が見えなくなってから、やっと昨日の報告を始める事が出来た。

 ヨシキ・コーノと妻の関係は確認が取れなかったが、それ以外のいくつかは実際にあった事だとの報告を、クリストファーは眉間に皺を寄せて聴いた。ジャスティンは自分に関するジュニアの意見もつけ加えた。

「それで、昨夜はよく眠れたかね」

「ええ、夢も見ませんでしたよ。寝起きの気分も良かった」

 話しながら思い返してみると、自分に「悪いもの」がとり憑いていた事実は、そうなのだろうと認められるけれど、一方で鳥肌が立つほど気味が悪かった。もしあのまま「悪いもの」が居座り続けていたら、クリストファーを撲殺しただろうし、署内で騒ぎを起こして射殺されたかもしれない。

 ジャスティンがそう言い、クリストファーが溜息混じりに同意した時に、車は署の駐車場に滑り込んだ。

 捜査課へ入って行くと、真っ先にレイモンドが青い瞳を剥いて、クリストファーへ歩み寄った。

「よう、お前、ジェイク・ナカヤマって知ってるよ、な?」

 ただならないレイモンドの様子に、昨日の酔漢を思い出した。

「ああ、弟の同級だったんだ。昨日、飲酒運転で捕まっていたよ」

「その後よ。とんでもねぇ」


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