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吠える島  作者: 宮本あおば
第二章
36/62

第五話・聴取

〈これまでのあらすじ〉

(第一章の詳しいあらすじは、第二章一話をご覧下さい)

 ホノルルを震撼させた連続殺人犯、切り裂きジャップこと、河野由樹とヒイアカがマノア滝で壮絶な最期を遂げた後、警察の担当官だったジャスティン・ナカノは、毎夜妙な夢を見るようになる。日常でも説明の付かない苛立ちに襲われ、仕事のミスが目立ち始める。ついに注意をした上司、クリストファーをジャスティンは殴りつけ、同時に失神して祖父の夢を見る。夢から覚めたジャスティンは、祖父の霊が現れた事をクリストファーから聞く。


 凍った生肉を頬に押し当てると、クリストファーは「こりゃ気持ちがいい」と唸った。熱を持ちはじめているのかもしれない。ジャスティンは申し訳なさで首を縮めた。

 リビングルームのカウチに腰を落ち着け、右手で肉を押さえながら、クリストファーはジャスティンが淹れたコーヒーを口に運んでから、ところで、と話を切り出した。

 ジャスティンの調子がおかしかった事と、祖父の幽霊があんな形で出て来た事だ。幽霊があんなにはっきりした形で現れるものだとはね、と言って続けた。

「彼は悪いものから君を守れなかったが、追い払ったと言ってたな。ま、彼のような人が言うんだから、何か霊的なものなんだと思うんだが、心当たりがあるかい?」

 躊躇なく答えが出た。

「毎晩、妙な夢を見てたんです。私が知らないはずの土地や人が出て来る夢です。それで、起きると嫌な気分になっている。自分じゃない何かが胸の中にいて、一日中やたらと囁きかけて来るような感じでした。統合失調症だと思いますか? でも、さっき会議室で気を失って、違う夢を見てからは囁き声が聞こえなくなりましたけど」

 クリストファーは額に、空いている左手を当てた。しばらくそうしていてから、夢の内容を尋ね始めた。

 まるで事情聴取を受けているようだと思いながらも、一方で見た夢を克明に覚えている自分に驚いた。乱暴される夢を見た後に、背中に擦り傷がついていた事も話した。

 日本の夢の話も。

「その少年の顔と、君を責めた女の顔だよ。誰の顔か分からないか?」

 真剣な口調で聞かれて、ジャスティンは必死で考えた。確かにどこかで見た顔なのだ。夢の中で、自分は日本の学生で、その後会社員になった。

「ユージ・キタモトと、ヒロミ・コーノです」

 サッカーの少年は、自分が知るユージ・キタモトより幼かったし、ヒロミ・コーノは遺体と写真でしか知らなかったから分からなかったのだ。

「夢の中で、私はヨシキ・コーノになっていたんですね。てことは、犯された女はヒイアカかな。事件があまりに深刻だったから、彼らの人生を勝手に想像して夢に見てたんでしょうね。神経科に行った方がいいですか」

 それを発見した事で一件落着かと、苦笑交じりに言ったが、クリストファーは真面目な顔を崩さなかった。

「いや、私は君のお祖父さんが言ったことが気になるんだよ。追い払ったというのは、何なんだろうな。少なくとも私は、自分が白昼夢を見ていたのではない自信がある」

 考え込んだ顔をして、顔に当てている肉を裏返しにする。まだ冷たいままの面を押し当てて、ううむとまた唸った。

「どうだろう、ユージ・キタモトに会うか、日本の関係者に照会して、君が夢に見た内容が本当かどうか確認してみては」

「確認してどうするんです」

「もし、夢が本当に君の妄想の産物だったら、いいカウンセラーを紹介するまでだよ」

 妄想でなかったらどうするんです、とは聞けなかった。クリストファーも答えられまい。こんな荒唐無稽な話を真面目に聞き、確認まで取るように勧めるということは、祖父は本当にやって来たのだ。

 クリストファーは携帯電話を取り出した。

 勤務先にかけたらしく、電話に出たオペレーターにユージ・キタモトを呼び出してもらうように頼むと、電話をジャスティンに渡した。

「この顔じゃ、私は行けない。君一人で大丈夫だろう」

 緊張した声で電話に出たユージに、聞きたい事があるので時間を取ってくれるようにと頼む。

 明らかな公務ではないので我ながら歯切れが悪かったが、何とか彼の仕事の後に、ワイアラエのレストランで会う事を決めた。ファミリースタイルの安いレストランだ。そこならユージ・キタモトがどんなに大食らいでも、ジャスティンの財布は痛まない。

 わざわざレストランにしたのは公務ではないせいと、急に空腹感を覚えたからだった。


「何かあったら、いつでも電話してくれ」

 送って行った別れ際に、クリストファーはそう言った。生肉の威力で殴られた跡は大分消えていたが、完全とは言えない。申し訳ない気分を抱えながら、ジャスティンは車をワイアラエに向けた。

 ワイアラエ・アベニューを走ると、犯人がこの通りを暴走した日の記憶が甦ってくる。苦い記憶を胸の下へ押しやりながら、ジャスティンはレストランの駐車場に車を入れた。

 まだ辺りが完全に暗くなるには間がある。駐車場の奥には見事なハイビスカスが垣根を作っていた。

 車を降りて店へ歩いて行こうとした時に、駐車場に古いトヨタが入って来た。ユージ・キタモトだった。助手席に乗っている人間を見てジャスティンは首を傾げた。

 ルームメイトのケビン・スギノか、事件関係者のアリシア・マラナ、あるいは弁護士でも連れて来るなら分かるが、助手席の男は弁護士というよりは用心棒といった風貌だ。

 ジャスティンを認めて、二人はせわしなく車から降りて来た。

「こんにちは、オフィサー。これは同僚です。どうしてもついて来るってきかなくて」

 最後に会った時と同じように顔色は良くなかったが、表情は落ち着いている。ユージが示した男に顔を向けて、ジャスティンはぎょっとした。

 身長六フィートを軽く越すポリネシア系の大男は、刺すような視線でジャスティンを見ていた。殺気まで感じたが、それは一瞬だった。

 急に彼の発する空気が和らいだと思ったら、大きな口を真横に広げ、顔をくしゃくしゃにして彼は微笑んだ。

「初めまして、オフィサー。トゥバル・テレニです。皆はジュニアって呼びやりますから」

 握手の手は温かかった。独特の訛があるから、ハワイ出身ではないのだろう。

 そういえば、以前キングダムに足を運んだ際、玄関にこんな大男がいたかもしれない。

 席に案内されて料理を注文すると、ジャスティンはどう話を切り出すかについて迷い、仕方なく世間話を始めた。

「ミス・マラナはどうしているのかな。彼女、父親を亡くして、外に家族がいないって聞いたけど」

「元気ってことはありませんけど、前よりはいい状態だと思います。お葬式も済ませて、今は家の相続の手続きなんかをしてます」

 そうなんだ、早く元気になればいいね、などと適当な事を言いながら、これでは自分がアリシア・マラナに気があって、彼女とユージの関係を探るために呼び出したとようではないか、と内心冷や汗が出た。

 ジャスティンを助けたのは、ジュニアだった。

「オフィサー、そんな話がしたくて祐司を呼びやったですか。違うでしょ」

 無闇に大きい彼の瞳は、何もかもお見通しという表情だ。そんな訳はないが、ジャスティンは思い切って質問を始めた。

 ヨシキ・コーノが夫としての義務を果たせない状況だったのではないかという話について、ユージは全く無反応だった。自分は全く聞いた事がないし、それを二人の家族に尋ねるのは難しいという返事が帰って来た。

 以前、事情聴取をした際に知っている事は全部話した、と少し迷惑気な顔をする。

「その後、日本の友達と連絡を取ったりして何か聞いてないのかい」

「日本に友達、いないんです」

 はっきりと言って、静かに睫を伏せた様子はいかにも訳ありだった。この男は日本で何か仕出かしたのかもしれない。料理が運ばれて来た。

 テリヤキ・ビーフを見た途端、目の回りそうな空腹感に苛まれてジャスティンは質問を続けながらも、恐ろしい勢いで料理を胃に押し込んだ。反対にユージはあまり美味そうな顔はしていない。

「君、サッカーをしていたことはある? 学校でチームに入っていた?」

 ショーユ・チキンを刺したフォークを宙に浮かせて、ユージは「はあ?」と聞き返した。質問の内容のせいか、それとも食べ物を口に頬張りながら聞いた自分の発音が悪かったかと、ジャスティンは質問を繰り返す。

「どうして、そんな……」

 言いかけたユージを、これも中々の勢いでマヒマヒのソテーを平らげつつあるジュニアがさえぎった。

「いいから、オフィサーの質問に答えやって」

 面食らった顔はそのままで、ユージは高校時代にサッカー・チームのメンバーだったと答えた。返事を聞いて、ジャスティンは自問自答する。

 俺は事情聴取の時に、彼をリラックスさせるために、スポーツの話でもしやしなかったか。いや、彼とはほとんど話さなかったし、クリストファーもスポーツの話なんてしなかった。

 次の質問をするために、ジャスティンは胸ポケットからボールペンを取り出した。紙ナプキンを一枚取り、テーブルに置く。

「チームのユニフォームは覚えてる? どういうデザインだったか、描いて教えて欲しいんだ」

「何なんです、一体?」

 今度こそ不満そうな顔をしたユージに、ジャスティンは理由は後で説明するからとペンを渡して促した。

 ユージは絵心がなかった。小学生並の拙い線を描いて、ここが白で、ここに紺のストライプが入っていてと説明する。

 絵は拙いが、それはジャスティンが夢で見たユニフォームそのものだった。

「君の番号を当ててやろう。十四番だろう」

「違います。九番でした。ああ、でも一度だけ試合なのにユニフォームを忘れて、補欠のヤツのユニフォームを着たことがありましたよ。それが十四番だった。はは、意外と覚えているもんですね」

 最後の方は苦笑気味にユージは言った。彼が十四番ではないと言った時は、心のどこかがほっとした。しかし、一度だけ着たと聞いて心臓が跳ねた。

「その日のことで、覚えてることはないかい?」

 次々とくり出される頓狂な質問に、ユージはもはやナイフとフォークを止めてしまっている。ジュニアが肘でユージをつつく。溜息を吐き、眉間に皺を寄せてユージはしばらく考え込んだ。

「あの時は……、夏休みで、暑くて、勝てるはずの練習試合に負けて。俺は試合に集中出来なかったんだ」

「どうして集中出来なかったんだい」

 考えため為に伏せられた瞳が、大きく見開かれた。直後にがっくりとテーブルに両肘を落として、頭を垂れる。

「本が気になったんですよ。彼が試合の前に持って来てくれた推理小説。すごく面白かったからって。畜生、なんでそんなことを思い出させるんだ」

 絶句したまま、ジャスティンは激しく動揺した。自分の見た夢は一体何だったのか。

 本人がたった今思い出した過去を、どうして自分が夢で見る事が出来たのだ。

 唾を呑み込んで、ジャスティンは別の夢を、朧気な記憶から引っ張り出した。ユージには悪いが、この際聞くべき事は聞いておかなければならない。

「彼が、ヨシキ・コーノが誰かを送って、空港に行ったことはないかな」

 泣き出すのではないかと思ったが、ユージは唇を捻じ曲げてジャスティンの顔を見返した。

「あるでしょう、それは」

 やけに皮肉っぽい響きだ。触れられたくない部分があるのかもしれない。ジャスティンは無視した。

「大事な誰かを見送ったんだ。機内は涼しいからって、自分のジャケットを渡すほど大事な人間だよ。心当たりはないかい」

 捻じ曲げられた唇がぶるぶると震えた。


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