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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
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第三話・街の中を

〈これまでのあらすじ〉

 北本祐司が働くホノルルのホテルを訪ねて日本から来た友人、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかった。警察の聴取に、祐司は河野夫妻の前日までの様子を答え、行方が知れないままになっている河野からの連絡を期待する。



 八年落ちの愛車、カローラのエンジンをかけると同時に、ラジオからハワイアン・ミュージックが流れ出した。

 ハワイアン専門の局に合わせているから当然なのだが、男性歌手の弾むような歌声までが河野を思い出させる。ハワイアンのCDはかなりの枚数を持っていたはずだ。

「ストレスが溜まったときや、疲れたときに聴くと、本当に慰められる」とメールに書いてきた事があった。かつて訪れたビーチや町並みが今はどんな風か、メールをくれる度に尋ねる一言がきっとあった。

 学生時代に初めて来てから、河野は暇があればハワイに来ていた。

 サーフィンやダイビングに凝っていた訳ではないが、ハイキングは好きだったようだ。それと、ビーチやコーヒーショップでハワイ文化の本を読んで過ごすのが、彼にとっての天国だったらしい。

 人も自然も優しくて、心から息がつけるんだ、と書かれたメールもあった。

 河野は本当にハワイが好きだった。


 ホテルの前を走る、カラカウア・アベニューに車を入れる。キングダムは、ハワイのシンボル、ダイヤモンドヘッドの西の足元に建っている。

 ハワイの州都ホノルルは、オアフ島の南西に位置する。コオラウ山脈と海に挟まれた街は狭く、地理的な話をする時には、海側、山側、という表現で大まかな南北を現し、ココヘッド側、エヴァ側という表現が東西を示す。東西の表現はダイヤモンドヘッド側、ダウンタウン側という言葉に取って代わられる事もある。

 車はダイヤモンドヘッド・ロードに入った。その名の通り、ダイヤモンドヘッドの中腹をぐるりと半周するように走っている。

 いつもなら目を細めて見るブーゲンビリアの花も、右手に光る海も気にならない。ただひたすら早く家へ帰りたかった。祐司がケビンと一緒に借りている家は、カイムキと呼ばれる地区にある。

 いつも通り路上に駐車して、祐司は道路から玄関へ向かう階段を降りた。一軒の家を上下に完全に区切ってある、デュプレックスと呼ばれるスタイルで、上には大家の一家が住んでいる。斜面を利用して建ててあるため、道路から直ぐの玄関が二階になり、階段を降りた所にあるのが一階になる。

 玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ捨てると、祐司はリビングルームの床に倒れ込んだ。頭ががんがんする。二十九年の人生で初めて見た他殺死体と、警部の言った言葉がよみがえって眩暈がした。

 何が起こったのか判断するのを、脳が拒否しているようだ。

 全ての事が、ただの光景や言葉として断片的に散らばっていた。

 しばらくカーペットに顔を押し付けている内に、ようやく自分がしようと思っていた事を思い出した。のろのろと起き上がって、キッチンカウンターの上にある電話を見る。

 ハワイに来る前、河野は何度もここへ電話をかけてよこした。記憶力のいい河野の事だから、覚えていて電話をして来る可能性もあると思ったのだ。

 留守番電話の件数はゼロだった。祐司は溜息と共に、今度はリビングルームのカウチに体を投げ出した。

 警部の口振りでは、十中八九河野の仕業と判断しているらしい。そうなんだろうか。祐司の知る彼は、間違っても妻を傷付けたりするような男ではなかった。三年半前に別れた時から変わってしまって、メールのやり取りではそうと分からなかっただけだろうか。

 それほど長い時間と距離だったろうか。

 三年半前、逃げるように日本を離れる祐司を、たった一人空港まで見送ってくれたのは河野だった。

 その時、別れ際に河野の言った言葉を、祐司は思い出そうとして出来なかった。頭が働かない。

 頭を一振りして祐司は立ち上がった。おろおろしているばかりでは仕方がない。河野はまだ、死体になった訳でも、警察に保護されてもいない。 

 もしかしたら、事の説明が出来ないような状況にいるのかもしれないし、思考停止で町を徘徊しているのかもしれない。ホノルルは彼にとって、全く未知の場所ではないのだ。

 脱ぎ捨てたスニーカーに再び足を入れながら、祐司は必死で河野の行きそうな場所を考えた。

 とても家でじっとしている事が出来なかった。河野を見付けられるあてはないが、部屋にいるよりは、町中を走り回っている方がましだと思ったからだ。

 ダイヤモンド・ヘッド東側のカハラ地区を振り出しに、最初は歩いて行ける距離を中心に、やがて河野が一度でもメールに書いてきた場所を、虱潰しに回った。

 ホテルに近い地区を巡り、少し離れたダウンタウンにまで足を向けた。冷静に考えれば、妻を殺された男がそんな場所にいるわけはないのかもしれない。しかし家へ帰ろうという気にはなれなかった。

 一万分の一の可能性でも、誰よりも早く河野に会いたいという気持ちが祐司を動かした。

 少し車を走らせては降りて歩くのを、何度も繰り返した。

 陽射しは強く、午後から風も弱くなって蒸し暑くなったが、気にもならなかった。

 ここにも河野はいない。

「おい、あんた、大丈夫かい」

 声をかけられて我に返った時には、高かった陽が傾いていた。祐司は市内を散々走り回った末に、アラモアナ・ショッピングセンターに来ていた。

 アラモアナ・ショッピングセンターはワイキキから西に、車で五分の距離にある、全米屈指の巨大ショッピングセンターだ。地元のスーパーや土産物屋から、一流ブランド店までが軒を連ねており、見るだけでも一日かかると言われている。

 河野がいそうだと思ったわけではないが、他にもう思い付く場所がなかった。

「あんた、ケビンのルームメイトだよ、な? ユージだっけ?」

 言われて祐司は、自分の腕を掴んだ相手を凝視した。人の好さそうな若い白人の男だった。

 彼の着ているスーツはケビンと同じ物だし、顔も何となく見覚えがあった。どうやらケビンと同じ会社の、アラモアナ店に勤めるセールスらしい。

 数多いブランドのほとんどがワイキキとアラモアナに一つずつ店を出している。ケビンの勤める会社は日本人なら誰でも知っているフレンチ・ブランドで、ケビンはワイキキ店の勤務だ。

「ええと、会ったことあるね」

「そう、大人数であんたの家に遊びに行ったから、名前は覚えてないか。ポールだよ。ところであんた、どうしたの。ひどい顔してるよ」

 彼の顰めた顔から、さぞかしひどい顔なんだろうと、祐司はぼんやり思った。

「友達を捜しているんだ」

「友達? ここではぐれたのか」

「いや、ここらにいるんじゃないかと思って」

 ポールの青い瞳が一瞬驚いたように見開かれ、祐司は、我ながら妙な事を言っていると内心苦笑した。

「変なこと言ってないで帰った方がいいよ。何ならケビンに電話して、迎えに来させようか。あんた、本当に幽霊みたいな顔をしてるよ」

 ケビンはいい同僚を持っている。でも、と抗弁しかけると、思いも寄らない強い声が返って来た。

「友達なんだろ? なら、あんたのとこに連絡よこすさ、友達ならね」

 何かが折れてしまったような気がした。

 祐司は黙って頷いた。

「帰りな。運転、気を付けて」という言葉を背に、祐司は駐車場へ向かった。車の中の時計が六時を示している。ハワイの日没は一年を通して、日本よりも遅い。

 ぼんやりと車を運転しながら、祐司は「友達なんだろ?」と言ったポールの強い言葉を反芻(はんすう)した。

 そう、俺と彼とは友達なんだ。そして彼が大変な今、俺は何もしてやれないんだ。かつて、俺が大変だった時、彼が俺を助けてくれたのに。

 家の前の道路には、ケビンが仁王立ちになっていた。

「ああもう、何が起きたんだ、一体?」

 祐司が車を降りるなり、ケビンは大声で怒鳴った。

「ポールが電話くれたんだ。お前、携帯忘れていったろ。本当にひでぇ顔。ドラッグでもやってるんじゃないだろうな」

 まさか、と言って祐司は家へ入ろうとケビンを促した。自分が非合法薬物を摂取していて、今日の出来事は全部その薬が見せた悪夢だったら、どんなにいいだろう。


 祐司が何度もつかえながら話す間、ケビンは薄い茶色の瞳を動かしただけで、黙って聞いていた。

 彼は日系と白人とのハーフだ。祐司とはビジネス・カレッジからの付き合いで、ルームメイトになってほぼ二年。年は祐司より二歳下だが、しっかりしているので助けられる事も多い。

「それは……気の毒だったな。それで変なメッセージの訳が分かったよ」

 え、と祐司が聞く前にケビンは席を立った。キッチンカウンターの電話の再生ボタンを押す。録音件数は二件と合成音が言って、今朝聞いた声が流れて来た。

「このメッセージは、ミスター・キタモトへ。サトーです。あなたにとっては、残念なお知らせかもしれません。レンタカーの指紋と犯人の指紋が一致しました。もちろんヴァレーの人間の指紋はチェック済みです。

 あの後、ホテルの近辺で、ミスター・コーノが着用していたと思われるスリッパとシャツを発見しました。スリッパは既にハウスキーピングの方から、キングダムがスイートの客室に提供するものだという証言を得ました。血痕も見られますので、鑑識が調べます。また、連絡するかもしれません」

 どういう事だろう。シャツやホテルのスリッパが見付かったのがどうして残念なんだろうと呆けたのは、瞬きする間だった。警察は河野が入水自殺をしたと思っているのだ。

 続いての声は、ジュニアだった。

「祐司、俺。あのな、ホントに気の毒しやったよ。だけど、ちゃんと食べなきゃ駄目だかんな。寝れなくても、ベッドに入らなきゃ駄目だかんな。あの、ホントに気の毒しやったよ。明日は、休みたかったら休んでもいいって、皆、言ってやるから。ええっと、またな」

 まるで小さい子供に言って聞かせるような口調だった。

 腹が立った。なんだって皆、寄って集って全てを終わってしまった事のように言うのだろう。

 たかがシャツやスリッパの事だし、そんな事はどうでも良かった。

 河野に会いたかった。



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