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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
28/62

第二十八話・発見

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかしその後次々と起こった殺人事件も河野と、共犯者ヒイアカの仕業だった事が判明する。

 関係者の嘆きをよそに、河野らは島の東側で更に三人を殺害する。生存者の証言や、河野が祐司に電話で言った言葉、新たな被害者の証言、それぞれに謎が残る中、神官からの霊的な指摘があり、捜査陣は動揺する。一方で祐司と被害者の娘、アリシアの元にも、同僚、ジュニアが魔除けの葉を持って来た。


 四月二十八日、月曜の朝は穏やかに訪れた。

 昨夜の911通報は通常に比べれば多かったが、その大半が「近所を不審な人物が徘徊している」といった性質の物で、殺人や悪質な傷害事件は起きなかった。

 捜査課のデスクで日が昇って来るのを見ながら、胸を撫で下ろしている自分に気が付いて、クリストファーは鼻に皺をよせた。犯人逮捕がままならない状況だとはいえ、何も起きなくて良かったとは、一市民の感想だ。

 警察官である限り、昨夜も犯人を逮捕出来なかった事を不愉快に思うべきなのだ。

 他の部から送られて来たメールに目を通す。盗難にあったと報告の出ている紺のビュイックは何台かあったが、いずれもヨシキ・コーノがハワイに来る以前だ。

可能性は二つある。一つは犯人達は盗難車を手に入れて犯行に使用している。もう一つは、犯人達が車を奪い、持ち主は通報出来ない状況にある。

前者ならば、「切り裂きジャップ」と知ってか知らずか、協力する事になった車両窃盗犯がいるわけだ。後者だとすれば厄介だ。生活安全部を煩わせて持ち主にかけている電話も、電話に出ないという理由で、即、事件に巻き込まれたと判断するわけにはいかない。それでも電話は、今日もかけられる事になっている。

 ジェイミーが大振りの白い紙の箱を片手に近付いて来た。もう片方の手にはナプキンを持っている。

「差し入れがありました。お一ついかがですか」

 箱の表には、フィリピン風の揚げパンで知られるベーカリーの名前が書いてある。食欲はなかったが、一つだけと手を伸ばした。

 まだ温かいそれをゆっくり食べ、油と砂糖でべたべたになった口をナプキンで拭く頃になって電話が頻繁に鳴り始めた。いずれも送信係が911通報について知らせて来たものだ。

揚げパンを三つも取ったジャスティンは、電話に出るため最後の一つを無理やり口に押し込み、コーヒーで流し込んでいた。

「鳥みてぇだ、な? 日が沈んだら寝ぐらに一目散で、日が昇ったら騒ぎ出すってのは」

 口の悪いレイモンドがそんな悪態を吐いたが、笑える話ではない。通報は昨日と同様、犯人達と思われる人間を見たというのがほとんどだった。

百本の通報があったとして、その内一本でも当たりがあればいいのだ。

 受信係は出来るだけ詳しく通報者から話を聞き、送信係は通報があった区域の担当官と捜査課に連絡を入れる。間もなくレイモンドもクリストファーも、島内をあちこち飛び回る羽目になった。

 911通報は犯人を目撃したという通報に止まらなかった。

 これも昨日と同じく、側杖を食った市民もいる。路上駐車しておいた車が、わずかな間に窓ガラスを割られる等の被害があった。被害にあったのは、無論、紺のビュイック。

 持ち主はひどく憤慨して、警察が「紺のビュイック」と強調したために自分が被害にあったと、警官に食ってかかったそうだ。同種の小事件が引きも切らない。

 その為に本来しなくてはならないパトロールや、犯人の隠れ家探しがおろそかになっている。クリストファーは歯軋りをしたい気分だった。


 午後五時、アラ・ワイ運河を挟んでワイキキと向かい合うカピオラニで、高層火災が発生した。三十八階建てのコンドミニアムのペントハウスが燃えているらしい。

 火災そのものは言うまでもなく消防署の領分だが、付近の交通整理や住民の避難など、警察にも出動の要請が出るのはいつもの事だ。

「ペントハウスの住人が無事なら、まずその事を報道機関に伝えた方がいいですよね。でないと、今は何でも奴らの犯行だってデマが流れますよ」

 ジャスティンの言葉に、クリストファーは無線を取り上げた。現場に駆け付ける警官に、まずその事を確認してもらうためだ。

 二人はパールシティーへ出向いた帰り、空手で本署へ戻る途中だったが、H‐1フリーウェイからもそれと見られる方角に、細い煙が立ち昇っているのが見えた。近くにヘリコプターも見える。テレビ局の物だろう。

 料理をしている途中で友人から電話が来て、夢中で話している内にキッチンが火の海になってしまったと、ペントハウスに住む主婦は言ったそうだ。煙探知機は壊れていた。

 消防署への911もせずに家を飛び出したのは、ようやく伝い歩きを始めた赤ん坊の身に万が一の事があってはいけないと思ったせいで、娘を抱えて三十八階の非常階段を地上まで駆け下りたはいいが、火災は見事に広がった。

 下の階の探知機は正常に働いていたお蔭で、大した怪我人は出なかったが、完全に鎮火するのにはもう少しかかりそうだという報告が入ったのは、クリストファー達が本署に帰り着いた頃だった。

 新たな911通報が入ったのは、五時五十分だった。

 場所は、カラニアナオレ・ハイウェイで、ハワイ・カイと呼ばれる住宅地の少し手前だと通報者の男性は、怒鳴るように喋った。

「救急車、早く。若い男の子が二人撃たれたんだよ。すげぇ血だ、死んじまうよ。撃ったのは切り裂きジャップに違ぇねぇ。あいつらシルバーのBMWで街の方に逃げてったぜ」

 受信係は電話を切らず、コンピューターで情報を送信係に回して救急車を手配した後、通報者から前後の事情を聞き出し、さらにキイボードを叩き続けた。

 送信係がすぐさま捜査課へ出動を要請する。

 第一報がもたらされてすぐ、クリストファーの頭に浮かんだのは「シルバーのBMW」という一語だったが、考えるよりも早く、体が立ち上がっていた。

「全パトロール警官を緊急配備。カラニアナオレを大至急封鎖しろ」

 課長が怒鳴る声に、もう一つ思い立って課長に進言した。

「各テレビ局に協力を要請しましょう。コンドミニアムの火事で、チョッパーを飛ばしている局があります」

 今から、HPDのヘリコプターを飛ばすよりも、すでに上空にあるヘリコプターの方が、確実に犯人の逃走経路を知る事が出来る。

 ハワイでは珍しいが、マスコミが犯人逃亡の追跡に協力するのは本土なら日常らしい。

 ジャスティンと共に車に滑り込んだ時、逃走中のBMWすで既にカラニアナオレ・ハイウェイを西向きに走り終えようとしていた。ハイウェイの封鎖は間に合わなかった。

 テレビ局のヘリコプターはまだそれを捕捉していなかったが、頻々と一般市民が携帯電話で通報して来た。

 最初に911通報して来た男性の話によれば、犯人はアジア系の男性。前方を走っていた四人乗りのコンバーティブルに追突し、文句を言いに降りて来た白人男性二人を撃って逃走した。犯人の車の助手席には髪の長い女性が同乗している。

 彼らがヨシキ・コーノとヒイアカかどうかは確認が取れない。仮にそうだとしたら、紺のビュイックに代わって、シルバーのBMWはどうやって入手したのだ。

 午後六時近くのカラニアナオレ・ハイウェイは、東へ向かう車線こそ多少混雑しているものの、西向き、つまりホノルル市街地へ向かう車線は空いている。

 そこを、BMWはクラクションを鳴らし、恐ろしいスピードで市街地へ入ろうとしていた。

「こちら862、現在H‐1入り口です。一台では道路を塞ぎ切れません。応援お願いします」

「745、向かっています」

 無線が次々と各警官の状況を告げる。三桁の番号はそれぞれのポリス・カーの番号だ。バイク隊も全車現場に向かっている。

 何よりも防ぎたいのは、自棄になった犯人が銃を乱射したり、車を他の車両にぶつけるなどして市民に犠牲者が出る事だ。

「737、犯人の車に追い付きました。現在、すぐ背後を追跡走行中。まもなくH‐1にさしかかります」

 737の警官は喘ぐように報告した。パトロールは原則として一人の警官が一台のポリス・カーに乗る事になっている。

 カラニアナオレ・ハイウェイからH‐1フリーウェイは直結しているが、高架になっているその脇には、一般道路のワイアラエ・アベニューに入る車線もある。

「745、H‐1よりもワイアラエ・アベニューを塞げ」

 誰かが高圧的に指示を出し、H‐1の入り口に向かっているはずだった745から「了解」と返事があった。誰が出した指示かは分からなかったが、的確だ。

 H‐1に飛び込まれるよりも、一般道路に入られた方が被害が大きい。現在の所、歩行者に怪我人は出ていないが、それは信号の少ないハイウェイだからだ。市街地ではそうはいかない。

「745、無事か?」

 無線ではスイッチを入れない限り、各車内の音は聞こえない。大声は737の警官だ。

「無事ですが、破られました」

 悲鳴のように745の警官の応答があった。

「封鎖に入る前に突破されました。こちらの車両は一部破損しましたが、走行には問題ありません。至急後を追います。犯人はヨシキ・コーノに酷似しています。助手席の女性はポリネシア系」

「737です。依然後を追っています」

 二人の警官が重なるようにして報告した。犯人は市街地に入ってしまった。細い小道に逃げ込まれたりすれば厄介だ。

 そして、彼らが本当にヨシキ・コーノとヒイアカならば、市民を巻き添えにするのを躊躇するとは思われない。

「こちらチョッパー・ファイブ、聞こえますか?」

 響いて来たのは、警察官とは全く違った喋り方をする男の声だった。

 テレビ局のヘリコプターが無線の周波数を合わせて来たのに違いない。「遅いよ」とハンドルを握るジャスティンが呟く。

 二人を乗せた車は、犯人の車もかくやという勢いでキング・ストリートを東に向かっていた。

「犯人の車は高架下を抜けました。ワイアラエ・アベニューを街に向かっています」

 チョッパーからの報告は続く。歯切れのいい話し方をする男はアナウンサーかもしれない。H‐1の高架の下をワイアラエ・アベニューが走るのは、ほんのわずかだ。

 街に向かって左手にカハラ・モールというショッピングセンターがあり、そこを過ぎると再びフリーウェイの乗り口と一般道路に道が分かれているのだが、犯人は一般道路の坂を上ったようだ。

「こちらサヘブ。全車、ワイアラエとカパフルの交差点に集結。そこで必ず止めるぞ。交差点に到達する以前に横道に逸れた場合、737、745は引き続き追跡する事」

 先程指示を出した声は、保安部部長のドノバン・サヘブだったのだ。ジャスティンがアクセルをさらに踏み込む。

 サヘブの言った交差点は、キング・ストリートとカピオラニ・ブルバードとの交差点からも近い。市街地を横切る重要な道路が交差している部分だけに、そこを突破されれば、被害が増える可能性が高い。

 あーっ、という叫び声が無線から流れた。チョッパーの男だろう。

「犯人の車が、歩行者をはね飛ばしました」

「737です。追跡を続けます。745、被害者を頼んだ」


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