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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
27/62

第二十七話・魔除け

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかしその後次々と起こった殺人事件も河野と、共犯者ヒイアカの仕業だった事が判明する。

 関係者の愁嘆をよそに、河野らは島の東側で更に三人を殺害する。生存者の証言や、河野が祐司に電話で言った言葉、新たな被害者の証言、それぞれに謎が残る中、神官からの霊的な指摘があり、捜査陣に困惑と緊張が漲る。一方で祐司は被害者の娘、アリシアを慰めるのに専心していた。


 カウチの上で膝を抱え、ラジオに耳を傾けているアリシアを見ながら祐司は思った。

 祐司が知っているのは、父親を亡くしてすっかりやつれている彼女だけだが、それだって充分美人に見える。きっと彼女の周囲には、自分のカウチで膝を抱えてもらいたいと思っている男が大勢いるのに違いない。

 彼女がそれに気付いているかどうかは知らないけれど。

 祐司は立ち上がってキッチンに入った。ぼんやりと水が沸騰するのを待ち、ケビンが買って来てくれたハーブティーなる物を淹れる。花の絵が描いてある箱にはカモミールと書いてあった。ティーバッグを入れて熱湯を注ぐくらいの芸当なら、祐司でもできる。

 黄色い色に染まった湯からは、なるほど薬草のような匂いがする。といって不愉快な香りではない。コーヒーカップ二つを持ってリビングルームへ戻り、片方をアリシアの前に置くと、彼女は驚いたように膝から腕を外した。

「ごめんなさい、考え事をしていたから」

 カップに顔を近付けて湯気を吹くアリシアの表情は、先程に比べれば穏やかだ。

「考え事って何? 聞いてもいいかな」

「昨夜の電話よ。あたしに責任があるか考えなくても、あいつとの会話を考えるのは悪いことじゃないと思うから」

 その事なら今朝、浅い眠りに着く前に百回近く反芻して考えた。

 話し始めた時の呑気な様子はどういうわけだ。広美さんとの間に確執があったのは間違いない。「俺も強くなった」とは、人殺しを重ねて精神的に強くなったと言いたいのだろうか。

 ヒイアカの話になった際のあの恍惚とした口調は、今でも信じられない。祐司を「汚い場所から逃げられた」と言い、自分のことを「汚いまま」と言っていた。トラブルという言葉に置き換えれば通じないことはない。

 しかし、河野が「汚い」という形容を使うのは、よほどのことだ。彼ほど自分を汚いと思いたくない男を祐司は知らない。それは肉体的な事でもあり、精神的な場合もあるが、清潔であるのは河野にとって重要なはずだった。

 祐司の事件が起きたとき、たった一人祐司を自然に信じてくれたのが、そういう河野だったからこそ、今日までハワイでやって来られたと言ってもいい。

 とはいえ、ヒイアカとの事を話した河野の言葉は、祐司が知る河野が使う言葉ではなかった。

 アリシアが具体的に会話をどう考えていたのか聞く前に、祐司は自分の考えた事を口にした。

「よく分からないわ。それって、あたしが日本人について知らないからなのか、あいつ個人について知らないからなのか、それだって分からないもん」

 あまりにももっともな返答が帰って来た。アリシアは続ける。

「あたしが考えてたのは、あいつが一度死んだって言ってたことと、山で何か見つけたってことよ」

 河野はやはり海に入り、溺れたか、溺れかけた所を、トーマス・マホエとロナルド・マラナに助けられたのではないか。アリシアは以前にも考え付いた推理を口にした。

 祐司としては否定する理由も材料もない。あいまいな相槌を打つと、アリシアは次の話題に言及し出した。

「山で何か見つけて、体が熱くなったって言ったんでしょう。それで、ヒイアカに会う予感がしたんでしょう」

 確認するように祐司の瞳をのぞき込む。アリシアが会話の逐一を知っているのは、祐司がサトー警部に話すのを脇で聞いていたからだ。彼女の言う事を一つ一つ頭の中で、昨夜の電話に照らし合わせ、祐司は頷き、同時に考えを巡らせた。

「彼らが、ドラッグをやってるんだとすると……、大麻かな。山の中で自生するケースがあるって聞いたことがある。それとも誰かが隠したドラッグを見つけたとか」

 河野はそういった非合法薬物には縁のない男だと思っていたが、今の祐司には断言出来ない。実際にドラッグディーラーが殺されているし、長くはない会話の間に起きた河野の変容は、強い薬の影響による物だと考えれば説明がつく。でなければ、彼は相当に精神の均衡を失っている。

 人を何人も殺しておいて、精神の均衡も何もあったものではないけれど、今や理解の範疇(はんちゅう)を超えた河野を考えるのに、薬物のせいにしたがっている自分がいる。

「そうだとすると、あいつはすごくドラッグに詳しいって事になるじゃない? じゃあ、見つけたのはきっとドラッグじゃないね」

 床に座り込んでいた祐司は、コーヒーテーブルに肘を突いた。アリシアの言う事は説得力がある。河野は見つけた何かについて、祐司に話そうとしたのだ。薬物を発見したとしても自分が服用しようと思っていたりしたら、人に話そうとは思うまい。

 第一、キングダムの部屋から薬物が発見されたという話は聞いていない。

「じゃあ、君は何だと思うんだい」

「分からないわ。でも、何か大事なものでしょう。だって山から帰ったその夜、奥さんを殺したんだよ」

 とはいえ、広美さんを殺したのは、山で見つけたそれが直接の原因だとは河野は言っていない。見つけた時に、ヒイアカに会う「予感」がしたのだ。今度は祐司がそれを指摘し、アリシアが頭を抱えた。

 片方が考えを述べると、もう片方が否定する。祐司とアリシアは延々とそれを繰り返した。どんな物を挙げても、彼の言動に一致しない。

 終いには、河野が言ったような条件に当て嵌まるような物質はこの世に存在しないかのような気がした。

「彼が見付けたのは、物じゃないのかもしれないな」

 ぽつりと浮かんだ考えを祐司が口にした時、誰かが玄関のドアを叩いた。ドアのチャイムは故障している。


 瞬時、河野はこの家の住所を知っている、と今までにない緊張が体を駆け抜けた。

 日本と違い、こちらでは番地さえ分かれば建物の所在をつき止めるのに苦労はない。

 腰を浮かせた姿勢で、祐司は手真似でアリシアに部屋へ入るように指示した。彼女が部屋へ入ったのを確認して、ドアの前へ立つ。ドアチェーンやのぞき穴といった洒落た物はない。

「どちら様?」

 聞こえて来たのはくぐもった声だったが、アクセントは日本人のものではなかった。

「俺だよ、祐司」

 驚いて祐司はテレビセットの上にある時計を見た。もう六時だ。ジュニアが来る事をすっかり失念していた。

 慌ててドアを開けると、顔の前に突き出されたのは緑色の塊だった。

 ジュニアは大量の植物を両手に抱えて、にこりともしないで立っている。不機嫌なのではない。これがこの男の地顔だ。それだけに笑った時はひどく印象深い笑顔になる。

「入りなよ。何だい、それ」

 二度頷いて、ジュニアはリビングルームへ上がった。

「これ、ここに下ろしやってもいいかい?」

 コーヒーカップが二つ載ったままのテーブルを顎でさす。祐司は急いでカップを取り上げ、キッチンカウンターに移動させながら「出て来ていいよ」とアリシアを呼んだ。

 つい一分前とは打って変わって、祐司は何か安心してしまった。ジュニアがいるだけで空気がすっかり変わった。

 ジュニアがコーヒーテーブルの上に置いたのは、長さが三十センチから五十センチ、幅は十センチ程度の葉の束だった。それにしても大量に集めたものだ。

 直径八十センチ近い円形のテーブルが一杯だ。これが「渡さなきゃいけないもん」なのか。

「こんにちは、あなたが今朝の電話の方? 私、アリシアです」

 部屋から出て来たアリシアがジュニアに挨拶した。視線がジュニアの顔と積まれた葉束を行き来している。

 ジュニアは大きな目を益々大きく見開いた。彼の眼球は、黒目も大きいが、白目も大きい。三白眼ではないにしても、そうやって見られると睨まれているような感覚を受けるに違いない。

「ジュニアって呼びやって。祐司の友達だし」

 言いながらがらりと変えた笑顔を向けられて、アリシアは堅い表情を崩した。ジュニアが祐司の方を向く。

「入れ物ありやる? コーヒーカップでもグラスでも、なんなら空き缶でもいいけど」

 葉束の事らしい。こんなに大量に、と呆れる祐司に、ジュニアは短く「必要だ」とだけ言った。口数が多い時と少ない時が極端な男だが、今はやけに少ない。一体この葉束が何だというのだと思いながら、祐司はキッチンで容器を物色した。

 流しの下には色々とケビンが買った食器や調理器具が入っている。そこに首をつっ込んでいる間、ジュニアとアリシアのやり取りが聞こえた。

「これが関係してるような事なの。それともあなたの気持ち?」

 どうやらアリシアは、葉束の意味を知っているらしい。

「必要。思えんかしらんけど」

 ぶっきら棒に言ったジュニアに、アリシアが黙った。次に聞こえた声はジュニアのものだった。

「あんたはここにいやって大丈夫。どんな意味でも祐司はあんたを傷つけやらんし、安全。もうすぐ終わりやると思うから」

 アリシアが何と言うか聞きたいと思った祐司は、戸棚から自分の頭を引き抜こうとして、逆にしたたかぶつけ、彼女の言葉は聞き逃した。

 新品の鍋やボウルまで総動員して、何とか全ての葉束の茎を水にひたす事が出来た。

 それらをジュニアの指示に従ってあちこちに置くと、室内の雰囲気は見事なほど変わってしまった。葉束の置き場所に満足した様子を見せたかと思うと、ジュニアはすぐに帰ると言い出した。弟はまだ具合が良くないのだと言う。

「で、一体これ、何なんだよ」

 一度も使ってない鍋を、花瓶ならぬ葉瓶にされてしまったケビンは怒るだろう。言い訳のためにもジュニアから葉の使用目的なりとも聞いておきたかった。

「この葉は、魔除け。ティ・リーフ」

「魔除け? 何でそんな物が必要なんだ?」

 我ながら甲高い声が出てしまった。

「今に分かりやるかもしれんし、分からんかもしれん。でも、今度の事件にはそういうもんが絡みやってる。それを抜きにして考えたりしやっても、絶対分からん」

 真面目な顔でジュニアは諭すように言った。


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