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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
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第二十六話・後悔

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかしその後次々と起こった殺人事件も河野と、共犯者ヒイアカの仕業だった事が判明する。

 祐司が被害者の娘、アリシアと出会う一方で、河野らは島の東側で更に三人を殺害する。生存者の証言や、河野が祐司に電話で言った言葉、新たな被害者の証言、それぞれに謎が残る中、神官からの霊的な指摘があり、捜査陣に困惑と緊張が漲る。



 その日一日、祐司は断続的な緊張と苦痛を味わってすごした。

 昨夜、正確には今朝、事情を聞きに来た警官が帰った後はすぐに眠れず、ようやく三人がそれぞれ寝床に入ったのは明け方だった。

 十時過ぎに、まだ眠っているケビンを起こさないようにしてリビングへ行くと、低く点けたテレビの前にアリシアが放心したように座っていた。

「また、やったわ。ニュースじゃまだはっきりしてないって言ってるけど、きっとあいつよ」

 錐で突かれるような痛みとともに、今しがたの夢が甦った。

 連続殺人は河野の仕業ではなくて、彼は「俺だと思っていたのか、ひどいな」と朗らかに笑っていた。アリシアの父親も死んでいなかった。彼女は今までに見た事のない笑顔で父親に甘えていた。

 眠ると夢を見て、目覚めた時に落ち込むから眠りたくないと言ったアリシアの言葉の意味がよく分かった。

 全米版のテレビドラマの合間に割り込む形で流れた、地方版の臨時ニュースは事件の場所と時間を告げており、「切り裂きジャップ」の仇名を持つヨシキ・コーノとヒイアカの犯行であるかは、まだ警察から発表がないと締め括った。

「祐司に電話してから、人を殺しに行ったのね。そんなことは言ってなかったの? それとも、あたしが怒鳴ったから腹を立てて、もっと殺してやろうと思ったのかしら」

 アリシアはまだ放心しているような抑揚のない喋り方をした。

「まだ分からないって言ったじゃないか。全然関係ない事件かもしれない」

 言ってはみたものの、我ながら勢いのない声だった。昨夜の河野の言葉がよみがえる。

 むかつく奴らが多過ぎると、彼は言っていた。襲われた一家は、「むかつく奴ら」だったのだろうか。一体何をもってそう判断したのだ。

 続報を聞くなら、テレビよりラジオの方が早いに違いない。こちらでは臨時ニュースがあった際、テロップを流すような事はあまりしないのだ。

 祐司はアリシアに断って自分の部屋へ入り、CDプレーヤーをリビングルームへ運んだ。

 それをテレビの前の床に置き、ホノルル内のAMラジオ局に合わせようとしている時に電話が鳴った。祐司よりもアリシアが飛び上がった。

 誰かがこの番号へ電話をすると、電話会社が自動的に逆探知を行って警察に知らせるようになっている。携帯電話も同様だ。それは昨夜説明があったし、会話は全て録音させてもらいたいという要請にも、否と答える理由はなかった。受話器を取ると録音機がスタートすることになっている。

 そういった事よりも、河野からかもしれないという緊張に祐司は酸素が薄くなったような感覚を味わった。

 意を決して出た電話の相手はジュニアだった。

「どうしてやるんだい? ロイから祐司がちょっと休むって、警察のなんかだって聞きやった。大丈夫かい?」

 ああ、と解けた緊張が溜息になって洩れる。

 ホテルの玄関口で、明るい陽射しに揺れる花を眺めながらジュニアとふざけ合ったりしていた時間が、ひどく前に感じられた。

 河野がハワイにやって来る前、祐司が人生を立て直しかかっていた時間だ。何とかこのまま、この明るい島で生きて行けるかもしれないと希望を抱きつつあった時だ。

「なぁに、ちゃんと戻れやるよ。あんたの居場所はありやるから大丈夫」

 祐司の溜息をどう解釈したのか、ジュニアは優しく言い、ついで今日の帰りに家に寄ってもいいかと尋ねた。

 ジュニアとは確かに一番仲がいいが、家に来たことはなかったし、祐司も彼の家を訪ねたことはない。時々仕事帰りに酒場に寄るくらいだ。それにしたって、ジュニアは弟の世話があるからと長居はしない。

 理由を聞くと、ジュニアは「渡さなきゃいけないもんがありやる」と真面目くさって答えた。渡したい物ではなく、渡さなければならない物とは何だ。

 戸惑いながらも祐司はジュニアに家の場所を教えた。ほんのわずかでも家の外には出られない旨を説明し、分かりにくい階段も何とか見付けてくれるようにと言って、電話を切った。

「誰か来るの。あたし、帰った方がいい?」

 祐司が電話を取る時は、同じように息を詰めていたアリシアは、今はラジオのチューニングを終えてカウチに座っていた。

 いや、と即座に祐司は首を振った。ジュニアは浮世離れした所のある男だから、アリシアがいても気にしないだろうし、誰かに言ったりもしないだろう。アリシアがここにいて少しでも気が楽ならば、自分の救いにも繋がるのだ。

「何か食べよう。今度の事件の犯人が分かる前に」

 食欲はなかったが、アリシアに何か食べさせなければ、という気持ちがそう言わせた。数日前と同じだ。

「食欲ないわ」

「だから、もっと食欲がなくなる事が起きる前に食べよう」

 祐司はキッチンへ行き、冷蔵庫の扉を開けた。昨夜ケビンがアリシアと一緒に作ったスープはまだ残っているが、二食続くのは彼女が嫌かもしれない。

 アリシアと知り合ってから、自分に料理の才能があれば良かったと思うようになった。

 それでもない物は仕方がない。結局、買い置きのバナナとヨーグルト、それにトーストを焼いただけの食事を済ませ、あとは特に会話もなく、ぼんやりとラジオを聴いた。


 昼近く、ケビンが起き出して来たのと、ラジオのパーソナリティーが昂ぶった声で「今朝のワイアラエ・イキの事件は切り裂きジャップの犯行です」と告げたのは、ほぼ同時だった。

「何だ、何が起きたんだ。ワイアラエ・イキだって?」

 起き抜けにまたもや殺人のニュースを聞かされて、動転した様子のケビンをよそに、アリシアがラジオの音量を上げた。

 女性のパーソナリティーは同じ事をもう一度繰り返した後、数時間前に被害者リサ・タナカが収容先の病院で亡くなった事実を述べた。

 情報はそれだけではなかった。ヨシキ・コーノとヒイアカは、紺のビュイックで逃走したというのだ。フォードの白いピックアップ・トラックと限らないとは言われていたのだが、やはり河野はどこかで他の車を調達したのだ。

 今日もナイト・シフトだと言うケビンが出勤の支度をする間も、祐司とアリシアは眉間に皺を寄せてラジオに聴き入っていた。ラジオのパーソナリティーが話題をすっかり「切り裂きジャップ」の事に変えたからだ。

 彼女はこれまでの事件と、犯人がどのように被害者と接触したかについて説明し、自分の見解を述べた。

 これだけ無軌道に殺人を犯している彼らが捕まらないわけはないが、捕まる前に自分が犠牲者になってはどうしようもない。「自衛の手段を考えましょう」ともパーソナリティーは言い、様々な方法を挙げた。夜の外出は極力控える、戸締りはしっかりする、訪問者には簡単にドアを開かない等だ。

「皆さんの意見やアイディアも教えて下さい。番号はこちら……」

 リスナーからの電話を募り始めると、アリシアは音量を下げた。

「やっぱり、そうだったね」

 ぽつりと言った後は黙り込んだ。祐司は言うべき言葉もなかった。河野は祐司に電話をした後、ワイアラエ・イキに行ったのだ。そこで又、人を殺した。ランディ・タナカという人と格闘になったそうだが、河野も怪我をしたのだろうか。

「あたしが罵ったから、怒ったのかしら」

 今朝、テレビで最初に事件を知った時と同じ事をアリシアは言い、祐司はうな垂れていた頭を上げた。

 アリシアは真顔だった。これは「違うよ、そんな訳ないだろ」という否定の言葉を予想している顔ではない。父親が死んだのは、自分がトーマス・マホエからの誘いをに父に勧めたせいだと言った時の表情と同じだ。

「馬鹿なことを言うんじゃないよ。君が電話に出なくても、きっと同じだったよ」

「分からないよ。祐司がちゃんと話してたら、自首してたかもしれないし、捕まえられたかもしれないのに。ごめんなさい」

 見る見る内に黒い瞳から涙が盛り上がった。アリシアの言っている事は、当たっているのだろうか。当惑しながら祐司はただ、「違うよ、違うんだ」とだけ言い、ティッシュをつかんで渡した。

 バスルームからケビンが驚いた顔で出て来た。ドアを開けたまま髭を剃っていたので、やり取りは聞こえたらしい。

「アリシア、彼は祐司の友達だったかもしれないけど、連続殺人犯だ。殺人鬼の考えることなんか、誰にも分かりゃしないんだよ。君のしたことはワイアラエ・イキの事件とは関係ないね。俺だって君の立場だったら同じことをしてる。これ以上自分を不幸にするような考えは持たない方がいい」

 頬の一部にシェービング・クリームを付けたまま、ケビンはひどく断定的な口調で言い放ってバスルームへ戻って行った。

 電話をアリシアが中断しなければ、河野の居場所が分ったかもしれないというのは、あながち間違ってはいないかもしれない。しかし今は、「関係ない」と言い切る乱暴さが必要だろう。

 祐司はケビンの英断に感謝した。

「ケビンは正しいよ。君のせいじゃない」

「そうかな?」

 鼻を啜り上げながらも、アリシアの涙は止まりつつあった。

 ユニフォームの最新のフレンチスーツを身に付け、出勤の間際にケビンが祐司をキッチンに呼んだ。前日、仕事帰りに買って来た食品のありかを教え、ついで低い声でささやいた。

「俺が彼女をここに置くのは、その方がお前と彼女の両方のためになるかと思うからだぞ。彼女も自分もましな気分になれる話をしろよ」

 素早く耳打ちした後は、アリシアに向かってほがらかに「行って来るね」と挨拶し、ケビンは仕事に出て行った。

 そうは言われたものの、残された二人には所在がないという形容がぴったり来る雰囲気が残った。そもそも、年齢が近いという事の他に共通点など何もないのだ。

 どんな話をしたら「ましな気分」になれるか分からない。


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