第二十四話・解けない謎
〈これまでのあらすじ〉
ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかし河野は被害者の同居人、ヒイアカを共犯として次々と関連のない相手を五人、殺害していた事が判明した。
祐司が被害者の娘、アリシアと出会う一方で、河野らは島の東側で更に三人を殺害し、市民はパニック状態に陥る。唯一の生存者の証言には謎が残り、河野から祐司にかかった電話からも、犯人の足取りが掴めない間に、新たな事件が発生する。果敢な反撃をした被害者の証言も、不可解な部分があった。
本署に戻ったのは午前六時だった。
現場検証が終わった後の家は、隣のシモンズ一家が留守を預かると申し出た。日頃から親しくしているようだ。
戻ると同時に、暗いニュースがやって来た。リサ・タナカが収容先の病院で亡くなった。
死因はやはり失血死だったらしい。しかし、リサの体に肉を削がれた跡はなく、胸部を刺されていただけだそうだ。
いずれにせよ、これがヨシキ・コーノとヒイアカの犯行だとすれば、十人目の犠牲者が出た。
リサ・タナカ死亡のニュースに疲労の空気を益々濃くしている捜査課に、ふいに署長がやって来た。
叱責か激励か、さすがに居住まいを直す捜査課員を手で「そのまま」と制し、署長はクリストファーの名前を呼んだ。
「ちょっと署長室まで来てくれ」
ハワイアンのケネス・マカヌイの年は、クリストファーとそれほど違わない筈だ。お互い今は、十歳ばかり老けて見える。彼も目の下に大きな隈を作っている。
クリストファーは立ち上がった。事件の担当者を変えるという話か、それとも降格を言い渡されるかもしれない。
後手後手に回って、犯行を止める事も出来ない部下に、彼がうんざりしているのは間違いない。
署長室に入ると、デスクの手前にある応接セットに腰を下ろすように言われた。壁には豪華なハワイアン・キルトの壁掛けがある。
ケネス・マカヌイはでっぷりとした腰を、クリストファーの向かいに落ち着けた。課長に因果を含めるのではなく、こうして呼び出して話をするだけ、この署長は部下への優しさがあるかもしれない。
もっとも、現場の責任者を直に叱責したいだけかもしれないが。
「ああ、うん、わざわざ来てもらって、その、コーヒーは?」
いいえ、とクリストファーは軽く辞退した。この男が言い淀むのは実に珍しい。よほどの事を言おうとしている。やはり降格か。
「お話は何でしょうか」
膝を乗り出すようにすると、署長は口の中で何か言い、それから覚悟したように話し出した。
「今朝の事件もヨシキ・コーノとヒイアカの犯行だと思うかね」
「指紋の鑑定結果はまだ出ていません。目撃者の発言には思い込みが入っています」
仮に彼らの犯行ではないにしても、ホノルルの治安が悪化の一途をたどっている事は否めない。稀代の連続殺人犯が野放しなのだ。模倣犯が出てもおかしくない。
「私はおそらく、ヨシキ・コーノらの犯行だと思うね。ところで、ケオラ・カマカという名前を聞いたことはあるかい? 割合と名前の知れたカフナなんだが」
面食らいながら、クリストファーは首を振った。カフナというのは、ハワイアンの神官だ。こんにちでもお祓いをしたり、精神的なトリートメントを人々に施したりと、ハワイ文化への貢献は大きい。
しかし、神官とこの度の犯罪に、何の関わりがあるというのだ。署長は咳払いを一つした。
「頼むから、私が疲れ過ぎてどうかしたとは思わないでくれよ。昨夜、彼から電話があってね、島内を邪悪な霊がうろつき回っていると言うんだ」
クリストファー自身、幽霊や亡霊といった類のものは見た事も感じた事もない。しかし漠然と、そういう物も世の中にはあるのだろうとは思っている。
確かに十人も殺した殺人犯が島内にいるのは事実で、だとすれば彼らのまき散らす「気」のような物を、カフナが感じ取ったとしても不思議ではないだろう。
クリストファーは返答に困りつつ、苦し紛れのことを言った。
「それはヒイアカが、ハワイの女神の名前を名乗っている事と関係しているんでしょうか」
「分からんよ。しかし、カマカはただの人殺しの波長じゃないと言っているんだ。もっと大きなもので、ハワイアンのルーツに関わるようなものだと。彼の同業者でも同じことを言う者がいるそうだ。親しい人間にはティ・リーフやハワイアン・ソルトを家に置くよう勧めているらしい」
署長は真剣だ。
ティ・リーフやハワイアン・ソルトは良く知られる魔除けの品だ。嫌な仮定がクリストファーの頭を過ぎった。犯人達は被害者の数名の肉を切り取って持ち去っている。
古代ハワイアンの儀式では、神に人間の生贄を捧げた事もあると聞いた事がある。彼らはその真似事をしているのではないだろうか。
恐縮しながらそれを口にすると、署長は唸り声をあげた。
「あり得るな。しかし、奴らを逮捕するまで公表はできんよ。興奮した市民がハワイ文化に大きな誤解を抱く可能性がある。犯人を逮捕してから、勘違いした馬鹿者だったと、ハワイ文化はそんなものではないと発表するんだ」
苦り切った口調で言った後、署長は更に気が付いたことはないかと尋ね、ついにクリストファーは今までの疑問を口にした。
現場の人間としては、恥ずべき事かもしれなかった。
「実は、良く分からない事が起きています」
カイルアのビーチハウスで事件が起こった際、レスリーが聞いた物音とベランダにいた大勢の人間。ヨシキ・コーノからの電話で、ユージ・キタモトとアリシア・マラナが聞いた物音と声。そして今朝、ランディ・タナカの感じた大勢の人間の気配。
これらの事は、どうしても説明が付かない。クリストファーが並べた事実に、署長は天を仰ぐようにしてソファーに体を預けた。
「何てことだ。カマカは、『俺たちのご先祖は、決して今みたいなアロハ・スピリットにあふれた連中じゃなかったんだぞ』と言っていたが、まさか……、いや」
アロハ・スピリットとは近年とみに使われるようになった言葉だ。優しさや親切、多くのポジティブな意味合いを持った言葉として、様々な場所で使われている。
しかし、古代ハワイアンが優しいばかりの人種ではなかった事は、カメハメハ大王のハワイ全島統一の記録を見ればすぐ分かる。
その際に流れた夥しい血は、こんにちも様々な怪談の中で語られている。
「どういう事です? 彼らの犯罪をハワイアンの幽霊が助けているとでも言うんですか」
疲労でどうかしたとは思うな、と言ったが、署長も自分も疲れている。でなければこんな馬鹿々々しい話を真面目にするはずがない。
クリストファーは宙を睨んだままの署長に言いつのった。溜息と共に、署長の視線が戻った。
「いや、すまん。そうだな、幽霊だったら却ってマシかもしれんな。本物の人間だったら問題だ。ケオラは邪悪な気配は、今のところコオラウ山脈のホノルル側が強いと言っている。犯人はその辺りを拠点にしているんじゃないか」
コオラウ山脈は島の北から南西に渡る山脈だ。意外に峻険な山は、ハイキングに入って遭難する人間いる。同時に島の貴重な水源でもある。
「カリヒ、ヌウアヌ、マノア、パロロ、といった辺りですか。しかしパトロールも強化していますし、山狩りには人数が足りません」
空き家、アパートの空室はおろか、人が潜んでいられそうな場所は徹底的にパトロールが回っているし、不審車両もチェックしている。
今日からはその不審車両の項目に紺のビュイックが加えられる訳だが。
「そうだな、もう全力で事に当たっているのは分かってる。しかし、早く奴らを逮捕しなければ。市民の気持ちが荒れて、別の犯罪を引き起こす可能性が出てくるし、州としてもすでに経済的な打撃をこうむってる」
苦渋に満ちた表情で署長は声を絞り出した。クリストファーは黙って頷く。
「また、記者会見だよ。本土の連中もこの事件には注目している」
権威あるカフナが何を言おうとも、警察官として「邪悪な霊」の話は出来ない。いたずらにハワイ文化への誤解と、市民の混乱を呼ぶだけの事だろう。
この話は決して外部には洩れないようにと、署長はクリストファーに念を押した。
「今後も目撃者の証言には注意を払ってくれ」
最後に署長はそう言い添えた。