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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
20/62

第二十話・証言

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかし直後に起きた別件から、河野は生きていて殺人を繰り返している事が判明し、河野の共犯者で別件の被害者の同居人、ヒイアカと共に手配する。彼らは次々と関連のない相手を五人、いずれも凄惨な方法で殺害していた。

 祐司が被害者の娘、アリシアと出会う一方で、ホノルル警察の殺人捜査課は、島の東側で二件の殺人事件発生に追われる。三名の犠牲者が追加されて、市民がパニック状態に陥る中、「切り裂きジャップ」とあだ名を付けられた犯人の手を逃れた、生存者の子供への面会許可が出る。


 聞こえて来るのは、壁を通したかすかな物音と、設置したスピーカーからの声だけになった。

 クリストファーは無線でジェイミーに指示を出す事になっている。髪を下ろさせたのは、ジェイミーの耳のイヤホンを目立たせなくする為だ。

「こんにちは、初めましてレスリー」ジェイミーが挨拶する声が聞こえてくる。女医と伯母が、レスリーにジェイミーを紹介している。

「ポリス・オフィサーよ。ダディとマミィに怪我をさせた人を、やっつけてくれるからね」

「これは、上手に逃げたあなたにご褒美のプレゼントよ」

 今まで一度も聞いた事のないようなジェイミーの声だ。子供は歓声を上げた。

「うわぁ、これあたし大好き。ねぇ、伯母ちゃん、またご褒美もらっちゃったね。おもちゃがいっぱい。マミィ、見たらびっくりするかな」

 レスリーが救出され、この病院に収容された事はニュースで流れた。

 犯人が病院に忍び込んで、彼女に害を与えるとは思われないからだ。それをする位ならあの夜、バスルームのドアを破ってそうしているだろう。

「またご褒美」とは、ニュースで彼女の事を知り、同情した市民が善意で彼女の喜びそうな物を贈ったからに違いない。

 ハワイでは、特に他所から観光にやって来て、何らかの事故や事件に巻き込まれた人間に、様々な形でハワイ州民が同情を表す事がよくある。

「思い出せなかったり、怖かったりしたら、いいのよ」

 前置きして、ジェイミーは質問を開始し、レスリーは意外と物怖じせずに話した。

 まず初めにレスリーは、大勢の人間が大層な音を立ててやってきたと主張した。

「いっぱいの人が来たの。オーオーって」

 おそらく、記憶が混乱しているのだろう。警察が来た時と、両親が襲われた時が一緒になっているのだ。クリストファーは手元のマイクに向かって小さい声で言った。

「その前はどうだったか、聞いてくれ。『いっぱいの人』が来る前は、何をしてたか聞くんだ」

 マニュアル通り、ジェイミーはレスリーの言葉を否定しない。「そうなの、あなたはよく頑張ったわね。それで、その前は何をしていたの?」と優しげな声がする。テレビを見ていた、と子供の返事が帰って来た。「ダディと一緒に……を見ていて、そしたら誰かが来たの」

「アニメ映画です。DVDでも見てたんでしょう」

 一瞬首をひねったクリストファーに、ジャスティンが素早く教えた。リーヴェス一家は宵っ張りだったようだ。レスリーの声は続いている。

 尋ねてきた誰かに応対したのは、父親だった。短いやり取りがあって父親は出て行った。

「来たのは男の人、それとも女の人?」

「分かんない。見てないもん」

 (なまり)があったかどうか聞いてみろ、と指示を出そうとしてクリストファーは思い止まった。五歳のレスリーには日本語訛と地元訛の違いも分かるまい。

「ダディは出て行く前に、何か言わなかった?」

「車がなにかしたって、マミィはOKってだけ言った。それでね、それからドラムの音とね、ブォーブォーって音が聞こえてね。マミィに聞いたら、聞こえないって言うの」

 クリストファーが指示を出す前に、ジェイミーは質問を投げていた。

「ブォーブォーは、車の音かしら」

「ぜんぜんちがうよ。ブォォー、ブォォーって長いの、なんどもした。あといっぱいの人の声、オーオーって」

 音は車の音ではないのか、父親の声が大勢の人間の声に聞こえたのではないか。

 柔らかい声のジェイミーの質問に、子供はきっぱり違うと断言した。レスリーは音に怯えたが、母親は何も聞こえていないようだった。

 やがて大勢の足音が階段を上がって来る気配がし、彼女は恐ろしくなってカウチの毛布にくるまった。

「いっぱいの人は、おうちに入って来た?」

「ううん、だれかが『エクスキューズ・ミー』って来て、マミィが玄関に行ったの。そしてすぐに大きい声で『バスルームでばっちんしなさい。マミィがいいって言うまで』って言ったから、あたしはバスルームまで走ってばっちんしたの。いっぱいの人はねぇ、ベランダの窓のところにいた。プロレスの人みたいだったの」

 バスルームでの「ばっちん」というのは、おそらく彼女がした、鍵をかけて閉じこもる行為に違いない。母親は異変を察知して、とっさに娘を安全な場所に置こうとしたのだ。

 ビーチハウスで、ドア越しに呼びかけた時の「マミィいる?」という子供の声が甦った。胸が掻きむしられるようだった。

 しかし次の瞬間、クリストファーは警官の頭で考えた。

 ベランダにいた「いっぱいの人」は何だ。

 考えている間、ジェイミーはレスリーに「ばっちん」とは何かを尋ね、予想通りの答えを得ていた。父親を困らせるために、母親と娘が思い付いた他愛無い遊戯が、娘の命を救った。

「ばっちんのときにねぇ、だれかがドアをどんどんしたの。マミィじゃなくて、それでいっぱいの人が窓から見てて、すごくこわくて……。ねぇ、マミィはどこ? ダディは?」

 声の調子が変わった。

 犯人達がマスター・ベッドルームまで行ったのは、現場の血痕で分かっている。レスリーにバスルームで味わった恐怖を思い出させてしまった。

 明らかに乱れ始めている。

「レスリー、私はもう行かなくちゃいけないの。話してくれてありがとう。また、会いましょうね」

 女医からサインがあったのだろう、ジェイミーがそそくさと挨拶をしている。椅子から立ち上がる音とドアの音がして、べそをかく子供の声が段々遠ざかった。

 多くない機材の撤収には時間はかからなかった。

 隣室からは音楽がわずかに聞こえ出した。DVDを見始めたのかもしれない。廊下に出て、病室のドアをノックすると、女医が滑り出て来た。

「これで犯人を捕まえられますか?」

 ご協力どうも、と言いかけたクリストファーに、小さいが厳しい声で彼女は尋ねた。

「犯人が捕まっても彼女の両親は帰って来ません。しかし、捕まって罰を受けている、という事実がレスリーを慰めるかもしれません。彼女はこれから長い、とても長い道のりをたった一人で歩かなきゃならないんです。せめて犯人を捕まえて下さい」

「ええ、必ず」

 短くクリストファーは答えた。後ろの若い警官達は黙っていた。

 もちろん犯人は捕まえる。

 最悪の場合は殺すことになるかもしれないけれども。事件を起こした犯人が、酔っていたり、薬物を摂取していたり、あるいは極度の興奮状態から警官との撃ち合いになり、射殺されるという事は稀にある。

 いずれにせよ、犯人は必ず止める。しかし、それまでの間にこれ以上の犠牲者を出さないためにはどうすればいいのか。

 言葉少なに、警官達は病院を後にした。

 太陽が高い。貿易風は止んでいた。


「クリストファー、考えたんですが、レスリーの言っていた大勢の人間と音のイメージは、ハワイアンの戦いじゃないですか? 『ブォォー』というのは法螺貝ですよ、多分」

 本署に戻ると、録音したテープを聴く前にジャスティンが言い出した。片手には自分用のコーヒー。もう片方がクリストファーの分だ。

「どういう意味だ。現場にはそんな大勢の人間の痕跡はなかったぞ」

 コーヒーを受け取って、クリストファーは聞き返した。内心、ジャスティンは疲労の為にどうかしたかと思った。

「私も実際にあったとは思ってません。あの日かその前か、リーヴェス一家はPCCかルアウにでも行ったんじゃないですか。レスリーはハワイアンのショウを怖いと思ったんだ。だから、恐ろしい体験として、それが頭の中で再構成されたんじゃないでしょうか」

 PCCはポリネシア文化のテーマパークで、ルアウというのはハワイアンのショウを見ながら食事をするアトラクションだ。元来は宴会、とか饗宴といった意味だが、商業的なそれと解される場合もある。

「なるほど、それはありそうだ」

 実は自分の方が疲れているのかもしれない。クリストファーはコーヒーを啜った。

 ジャスティンは続けて、レスリーが「いっぱいの人」を説明するのに「プロレスの人みたい」と言っていた点を指摘した。体格が良くて、しかも半裸だったからに違いないというのがジャスティンの推理で、それは正しくテーマパークやルアウで見られるハワイアンの男達の格好だった。

「確認を取りますか? ルアウはどこでも予約制だから、名前が入っているでしょうし、PCCも観光客は予約を入れるのがほとんどらしいですよ」

 そうしたいが、人手が割けるかどうかが疑問だった。電話では「警察です」と言っても信用されない。パトロールに走り回っている保安部や、生活安全部の協力を仰がなければならないだろう。

 今朝、署内で顔を合わせた記録課の警部補の顔が浮かんだ。

「ここ数日で島内で銃のライセンスの申請と購入が急増してるんですよ。皆が皆、銃を持って、しかもぴりぴりしてるんじゃ、どんな事故が起きるか分かりゃしません。気が気じゃありませんよ」

 言外に、早く犯人を逮捕して下さいね、という意味を明らかに含ませていた。

 彼の言う事はもっともだ。

 州の観光局からは、本土および諸外国からの観光客にすでにキャンセルが出たと報告があった。今朝の新聞には、切り裂きジャップはハワイ経済をも切り裂くか、という小見出しが躍っていた。

 殺人鬼がうろうろしている島に来たい人間は、いない。そして、その島から出る事の叶わない人間は自衛するしかないのだ。

 何故ならば、警察は犯人を捕まえられもしないし、犯行を止める事も出来ないから。

「……と思いませんか?」

 無力感に沈んでいたクリストファーは我に返った。

「や、すまん。もう一度言ってくれ」

「ヒイアカに関する情報が少な過ぎると思いませんか、と言ったんです。似顔絵は公開されていますから、もう身元が割れても良さそうなのに」

 ジャスティンは全く別の事を考えていたようだ。

 確かにヒイアカについて分かった事はほとんどない。

 彼女とわずかながら言葉を交わしたビル・ノヘレによれば、「きっつい訛」があるそうだから、ハワイ出身ではないのだろう。家族が州内にいたとしても、口を噤んでいるのは仕方ないが、この狭い州にある程度住めば、元の近所の住人だとか、昔の同僚などが何か言って来そうなものだ。

 何本かあった電話は、どれも確証に欠けた。もっとも、あるトンガ系女性に違いないという電話が相次ぎ、調べてみたところ、本人は事故で亡くなっていたという一件はあった。

 トーマス・マホエ自身が他のポリネシア――サモア、トンガ、フィジー、ニュージーランド、タヒチ――へ行って連れて来た形跡もない。

 ヒイアカが女神の名前であることで、フラ・ダンスの団体やハワイ文化関係から「ヒイアカ、ではなくヒイアカを名乗る女性と呼んで欲しい」との申し入れがあり、報道関係へはそのような対応になっているが、現場では「ヒイアカ」だ。

 何しろそれが本名であるかないかも分からないのだ。

「ヒイアカを知る人間が全て、警察と関わりたくないって人種じゃないでしょうね」

 ジャスティンはずいぶん気にしている。クリストファーはコーヒーの残りを一気に口の中に空け、頭をニ、三度振った。

「ヒイアカの件はいい。リーヴェス一家の行動については、保安部に手伝ってもらうが、現段階では、レスリーは犯人を見ていないとしておこう」

「そうですね、大した成果はなしだ。くそ、どこに隠れていやがるんだか」

 ジャスティンが机を叩いたのが合図だったかのように、電話が鳴った。送信係だ。

「ワイアナエの空き家に、数日前から不審な人物が出入りしているとの通報です。第八地区のパトロールが確認に向かいました」

「分かった。確認でき次第、知らせてくれ」

 ワイアナエは島の西端に近い、治安の良い地区とは言いかねる場所だ。これがホノルル市街地ならばすぐ駆けつけるが、ワイアナエでは軽く一時間はかかる。報告を待った方が良いだろう。

 似たような電話は、ここ数日の間、何度となくかかって来ている。911通報も、犯罪防止の回線も受け切れない程の数だ。

 しかし、その中の一本が当たりならば、事件は解決する。どれ一つとしてむげには出来なかった。

 ワイアナエからの報告を待つ間に、レイモンド達がカイルアから帰って来た。ライアンのげっそりした顔も見えた。

「だめだめ、近所の住人も、宿泊客もなんも聞いてねぇってよ」

 吐き出すように言ったそれが第一声で、同時に全てを物語っていた。

 犯行時間が十二時なら、付近の住民はすでに就寝していてもおかしくはないし、第一あのビーチハウスは離れた場所に建っていた。そこを狙われたのだろう。

 クリストファーは肩を竦めてみせた後、レスリーとの面会について話し、意見を求めた。

「そりゃ、お前、ジャスが正しいよ、な? 気の毒だけど、お嬢ちゃんはハワイアンのパフォーマンスが怖くって、それがこんがらがっちゃったんだろよ」

 やはりそうだろう。捜査に大した進展はない。再び送信係から電話が入った。

「不審な人物については確認が取れました。年齢六十歳前後、ハワイアンの男性です。どうやらホームレスが、空き家に入り込んでいたものと思われます」

 そうか分かった、知らせてくれてありがとう。

 クリストファーが通話を終わると同時に、居合わせた全員の口から溜息が洩れた。口調で今度も違ったと察したのだ。自身も落胆しながら、クリストファーは何の気なしに窓の外を見た。陽が傾いている。

 奴らは夜の間に動く。

 明日の朝日はホノルル市民全員に、無事に昇ってくれるだろうか。


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