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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
19/62

第十九話・恐慌

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかし直後に起きた別件から、河野は生きていて殺人を繰り返している事が判明し、河野の共犯者で別件の被害者の同居人、ヒイアカと共に手配する。彼らは次々と関連のない相手を五人、いずれも凄惨な方法で殺害していた。

 祐司が被害者の娘、アリシアと出会う一方で、ホノルル警察の殺人捜査課は、島の東側で二件の殺人事件発生に追われる。三人の犠牲者追加に、マスコミは「切り裂きジャップ」のあだ名を付け、祐司はアリシアを慰めながら、河野達の行動を推理する。


 翌二十六日は土曜日だったが、最早警察には週末も祭日もなかった。

 島内はパニック状態に近いと言ってもよい。犯罪防止用の情報回線は、受信係が悲鳴を上げる程、鳴り続けているし、緊急用の911通報も引っ切り無しだ。

 ヨシキ・コーノを捕まえたと民間人から911が入り、勇んで駆け付けてみると、似ても似つかない日本人の観光客が、興奮し切った白人達に囲まれて怯えていた。

 各旅行会社に協力を頼み、日本人観光客は一人歩きをしないよう、そして夜間は出来るだけホテルから出ないようにと呼びかけてもらってはいるが、完全には守られない。

 また何組かの夫婦や恋人同士からは、保護を求める電話も入った。

 いずれも日本人、あるいはアジア系男性とポリネシア系の女性の組み合わせだ。街中を二人で歩いて、犯人グループと間違われたという一組もいた。

 それらに一々警官を派遣出来るほど、人数はいないのだ。

 ホノルル市長もハワイ州知事も特別のコメントを出し、市民への理解と協力を求める一方、一刻も早い犯人逮捕をと最大級のプレッシャーをかけて来ていた。

 警官達は疲れていた。

 皆が皆、今にも無線が鳴り出して、犯人逮捕の一報が入る事を夢見て体を動かしている。疲労と苛立ちと怒りが、ダウンタウンの本署(ヘッドクォーター)には渦巻いていた。

 この連続殺人事件の深刻さのために、すでに市議会では事件解決への特別予算が可決された。普段なら予算不足に泣くHPDで、不必要な残業はご法度だけれども、今は誰もそんな事には触れない。

 むしろ各警官達の肉体は「残業代なんか要らないから休ませてくれ」と悲鳴を上げている。

 闘志とプライドだけが支えだった。

 クリストファーは捜査課の自分のデスクで、鑑識からの報告書に目を通していた。何よりもまず、指紋を先に鑑定してくれと頼んだ結果、死因等については後回しになったのだ。

 鑑識課員達も無論、不眠不休だ。報告書を届けに来た若い新入りは、「発狂しそうですよ」と真っ赤な目をこすってぼやいたが、お互い様ですけどね、と付け加えた事で、クリストファーは彼を怒鳴りつけるのをこらえた。

 何時にも増して我慢が効かなくなっている。

 昨夜は一睡もしていないし、今も出先から帰ったばかりだ。

 カイルアのビーチハウスで殺されていた、ルーク・リーヴェスは首を横合いから刺されたのが致命傷となった失血死。ルークが刺された現場は、ビーチハウス一階のガレージだった。犯人はルークの遺体を二階へ担ぎ上げたのだ。

 妻、ディナは咽喉、胸と腹部に大きな傷があり、いずれも生活反応が認められる。彼らの死亡推定時刻は夜の十二時前後と判断された。そして二人の遺体からは、かなりの肉が切り取られていた。

 犯人達が遺体の一部を持ち去るのは、アジア系とは限らなくなった。

 プナルウで発見された韓国系、ジェフリー・キムがライエの知人の家を出たのは午前一時だった。という事は、犯人はリーヴェス夫妻を殺害した後、カメハメハ・ハイウェイを北に向かったのだ。

 しかし、キムの車は南を向いて停まっており、衝突の跡は後部バンパーにあった。すると、後部バンパーにあった傷は、事件とは無関係なのかもしれない。保安部に記録があるか、確認する必要がある。

 ヨシキ・コーノとヒイアカは、ホノルルへ戻ったか、それとも北海岸へ向かったか。

 胸ポケットの携帯電話が鳴った。報告書を手に取ってから、すでに数回邪魔されている。

 クリストファーは乱暴に「はい、こちらサトー」と受話器に向かって怒鳴った。

「キャプテン・サトー? 昨日お会いしましたね。レスリー・リーヴェスの状態なんですが」

 電話の相手は昨日会った女医だった。クリストファーは慌てて語調を変えた。警察に好意を持っている医者ばかりとは限らない。

 医者が事情聴取は無理と言えば、貴重な情報が取れなくなるかもしれないのだ。

「や、すみません。彼女の状態はどうです」

「大分落ち着きました。両親は怪我をしていて会えないと言ってありますからね。昨夜の内にロスアンジェルスから、レスリーの伯母が飛んで来たのも彼女には良かったです。今日の午後、ごく短時間なら事情聴取の許可を出せますよ。どうします?」

 どうするも何もない。クリストファーは机を叩いた。ブランドンと電話で話していたジャスティンが、驚いてこちらを見る。

「お願いします」

 意気込んだクリストファーに、女医はきっぱりとした口調で条件を出した。

 レスリーに会えるのは、白人女性が一人だけ。両親の死を導き出すような質問は避けること。

「今のところ、彼女は特に目立った反応を見せてはいませんが、念のためです」

 硬い口調で言う女医に、丁寧に礼を言い、時間を三時と決めてクリストファーは受話器を置いた。ジャスティンはまだ電話で話している。クリストファーは受話器を横から引ったくった。

「ブランドン、ジェイミーはいるか」

 女医から白人女性と聞かされて、真っ先に頭に浮かんだのがジェイミー・ハウザーだった。由緒正しいゲルマン人といった風貌の彼女には適任だろう。

 ニューヨーク州出身だからボストンとは遠くないし、東海岸のアクセントで喋れる筈だ。捜査課はジャスティンより長い。年も三十を幾つか過ぎている。一時はその男勝りな性格と、飾り気のない服装でレズビアンの男役ではないかと噂されたりもしたが、半年前、プロレスラーのような消防士と婚約して、そうでない事を証明した。

 今日はニックやブランドンらと一緒にカイルアに行っている筈だ。レスリーの母親は三十歳だったから、年回りも丁度いいだろう。

「何でしょう?」

 幸い彼女は近くにいた。クリストファーは簡単に午後の事情聴取の説明をした。

「そういう訳だから、二時には本署に戻ってくれ。ああそうだ、君、何を着てる? アロハシャツとかハワイアン系のアクセサリーは止めてくれ」

 女医の言葉を思い出し、念には念を入れたつもりだった。


 二時十分前にジェイミーは捜査課に戻って来た。シンプルな紺のワンピースを着込んでいる所を見ると、着替えに戻ったのだろう。

 驚いた事に、手には何とかというゲームのキャラクターのぬいぐるみを抱えていた。

「お見舞いの形が良いかと思いましたので」

 やはりジェイミーに頼んだのは適任だった。よく時間があったな、と言いながらクリストファーは財布を出した。ぬいぐるみ代を出そうと思ったのだが、ジェイミーは頬を染めて「今日買ったわけではありませんから」と固辞する。脇から、ジャスティンが口を挟んだ。

「ハワードにやろうと思って、買っておいたんでしょう」

 婚約者の名前を出されて耳まで真っ赤になったジェイミーを、クリストファーは可愛らしいと思った。しかし、この後の事を考えれば、和んでもいられない。

 レスリーと顔を合わせるのはジェイミーだが、実際の質問をするのはクリストファーだ。ジェイミーは高性能のマイクと無線で隣室に待機するクリストファーの指示を受ける。早めに病院へ行き、機材のチェックなどもしなくてはならなかった。

 レスリーの収容された病院は本署のすぐ近くにあった。

 予め打ち合わせてあった通り、彼女の病室の隣に機材を運び込む。

 ジェイミーがマイク等を装着している間に、女医が細々とした注意を与えた。

「本来なら賛成は出来ませんが、事件の重要性などを考慮して、敢えて踏み切る事にしました。現在、彼女は昨日からは信じられないほど安定しています。おそらく、もうすぐ両親に会えると思っているからでしょう。今日の夕方には、ボストンから彼女の祖父母が到着しますから、いずれ本当の事を話さなければなりませんし、そうしたら事情を聞くのは、長い間難しくなると思います」

 安定しているとはいえ、事件当夜を思い出す事でレスリーが再びパニック状態に陥らないとは限らない。面会には女医が付き添い、危険だと判断したら直ちに打ち切る事を言い渡された。

 普段一つにまとめている髪を下ろし、珍しく口紅を塗ったジェイミーは緊張した面持ちでうなずき、女医と共にレスリーの病室へ向かった。


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