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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
18/62

第十八話・推理

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかし直後に起きた別件から、河野は生きていて殺人を繰り返している事が判明し、河野の共犯者で別件の被害者の同居人、ヒイアカと共に手配する。彼らは次々と関連のない相手を五人、いずれも凄惨な方法で殺害していた。

 祐司が被害者の娘、アリシアと出会う一方で、ホノルル警察の殺人捜査課は、島の東側で二件の殺人事件発生に追われる。三人の犠牲者追加に、マスコミは「切り裂きジャップ」のあだ名を付け、祐司は益々消沈する。


「あんたの父さん、何でそんな事で息子をいなかった事に出来るのかしら。皮肉だわ、世界一のあたしの父さんが殺されて、息子を切り捨てるあんたの父さんは元気なのね」

 ごめんよ、と言うしかなかった。

 どんなに関係が悪くとも、健在な家族の話は、アリシアの前では無神経だっただろう。

「あんたが謝らなくてもいいわ。ねぇ、あんたの友達、家族は大事にしてた? もし、あたしが日本へ行って、あいつの家族を殺したら悲しむかしら」

 乱暴に瞳を輝かせたアリシアに、祐司は正直に言った。

「今の彼がどう反応するかは、俺には分からない。けど、君がお父さんを亡くしたようには悲しまないと思うよ」

 彼の両親は彼を可愛がっていたと思うが、彼らが亡くなっても、河野は太陽が消えてしまったとは思うまい。そう、とアリシアは瞳を落とした。

「何であんたの友達は、人を殺すの?」

 囁くようなアリシアの声に、祐司は目を閉じた。

 浮かんで来るのは、楽しそうに笑う河野の顔ばかりだ。

 すごく面白い推理小説なんだ。きっとお前も気に入るよ、と学校の帰り道に話す河野。今年の成績はオールAだったんだ、と祐司のアパートで自慢した河野。

 ゴルフやるようになったんだよ、本当は山歩きなんかしたいんだけど、それじゃ付き合いにならないからな。社会人としての自信を漂わせながら、大学院生の祐司に言った河野。

 祐司の就職が決まった時、スーツや靴を選ぶのなら任せろよと胸を叩いた姿が、昨日の事のように甦る。

「分からない。奥さんについては、夫婦間で何かあったのかもしれないけど」

 搾り出すように祐司は答えた。何があったにせよ、あんな殺し方は、普通の神経の人間には出来るものではないだろう。広美さんを手にかける前に、河野の精神はどうかしてしまったとしか思えない。

 あの日二人は、河野の希望でハイキングに行った。帰って来た時、河野は何か祐司に言おうとしていたが、その彼に特に変わった所はなかった。疲れて見えたくらいだ。

「奥さんを殺して、訳が分らなくなって遺体を傷つけて、それでもっとおかしくなっちゃったのかしら。あたし、これでも少し考えたことがあるの」

 すっかり汗を掻いてしまったソーダの缶を開けて、アリシアは小さい声で話し出した。


 アリシアの父がトーマス・マホエの誘いで釣りに出かけたのは、四月十六日、水曜日の夜だった。

 釣果を期待しての事ではなく、気晴らしのセーリングのような目的だった。船はマホエの持ち物ではない。高級住宅地のハワイ・カイに住む裕福な中国系の持ち物で、釣りに詳しいマホエをいつも誘っていた。

 船のメンテナンスも快く手伝うマホエを、彼は信頼し、いつでも好きな時に船を使ってよいと言ってあった。

「どのコースに行ったかは分からないのよ」

 しかし、満月の美しい夜の事だったからダイヤモンドヘッド沖へ行ったとも充分考えられる。

 そこで入水した河野を見付け、船に助け上げたのではないか。なぜ、沿岸警備隊に無線で連絡しなかったかは分からない。河野がしないようにと頼んだのかもしれない。

 ハワイ・カイのハーバーに船を返してから、二人はひとまず、海で拾った日本人をマホエの家へ連れて行った。地理的には、ホノルルの市街地を挟んで東にあるハワイ・カイからは、西にあるマホエの家よりも、パロロにあるマラナの家の方がずっと近い。

 しかし、マラナの家には大事な卒業試験を来月に控えた娘が、寝る間を惜しんで勉強している筈だった。

「そうなの、あたしUHに行ってるのよ。本当なら来月卒業する予定だったの。父さん、すごく楽しみにしてたのに」

 UHとはユニバーシティー・オブ・ハワイの略だ。地元の人間はそう呼ぶ。アリシアは二十代半ばに見えるが、働きながら時間をかけて大学に通う人間の多いこちらでは、珍しい事ではない。

 祐司は涙ぐんだアリシアに、コーヒーテーブルの上のティッシュを渡した。

「ヒイアカって女のことは、ちょっとだけ父さんに聞いてたわ。変わった女だけど、トーマス小父さんは、きっと寂しいんだろうって言ってた。あたしはちょっと頭がゆるくなっちゃったフラのダンサーだと思った。だから害はないと思ったのね」

 一度鼻をかんで、アリシアは続けた。

「フラ? どうして」

「友達がフラやってるんだけど、カヒコっていう古典フラには女神のヒイアカやペレを唄ったメレがすごく多いのよ」

 メレとは歌詞のことだろう。分からないのは、なぜ、河野とヒイアカが二人を殺したかだ。

「あいつ、英語はどのくらい話すの?」

「普通の日常会話なら問題ないと思う。高校時代は英会話のクラブに入っていたし、四年くらい前までハワイにもよく来てた。その後も海外旅行は時々行ってたな」

 ううん、とアリシアは爪を噛んだ。

「じゃあ、あんたが来る前から、実はヒイアカを知ってたのかもしれないね」

 四年近くの間、祐司にしていたのと同じように、河野はヒイアカと連絡を取っていた。河野が妻を殺した後、入水したように見せかけて、ヒイアカに連絡を取り、カリヒのマホエの家へ行った。

 新たな仮説を立てながら、アリシアは二、三度頷いた。

「そっちの方が納得出来るわ。タクシーを使って、ヒイアカが迎えに来たのよ。丁度、トーマス小父さんはいなかったし」

 アリシアの筋書きに、納得出来ない事はない。河野がヒイアカという女と知り合いだった。祐司に言わなかったのは、知られたくない何かが、その女との間にあったのだろう。

「君の言うことは当たってるかもしれない。しかし、どうして戻って来た二人を殺したんだろう。自首を勧められたからかな。いや、彼は人を殺した事を言う必要はなかったんじゃないか」

「さあね、だって血が付いたズボンを見とがめられたのかもしれないし、ああ、それじゃタクシーだって乗れないわね。海で洗ったか、シャワーを使ったとして。だったらシャツもスリッパも脱ぐ必要はなかったのよね。

 じゃあ、人殺しを知られたからじゃないわ。ヒイアカが小父さんと父さんを殺したかったのかもしれない。畜生、あんたの友達も赦さないけど、ヒイアカだって赦さない。この手で目玉を抉って、鼻を削ぎ落としてやりたいわ」

 河野の家族を殺したらどうか、と尋ねた時と同じ光がアリシアの瞳に点いた。

 悲しみと怒りの間を行き来する彼女が安定しないのは無理もない。アリシアは更に続けた。

 トレジャーアイランドに宿泊していた江藤夫妻を殺害したのは、以前ハワイで夫妻と河野の間に何かがあったからではないか。

 河野は江藤夫妻がハワイに来ることを知っていて、自分もハワイ旅行を計画したのではないか。

「トレジャーアイランドは常宿だったのかな。だけど、そう簡単にホテルの部屋は分からないよ」

「なら、本人に会ったのかもしれないわ。ドラッグディーラーを殺したのは、ただドラッグとお金が欲しかったからじゃないかと思うの。でも、今朝の二件は何でかしら。ドラッグで本当にいかれちゃった? だったら、そう巧妙には出来ないわよね」

「薬のことは、俺、経験ないから何とも言えないよ」

「あたしだって、大昔にちょっぴりパカロロを吸ったくらいよ。その時だって、父さんにばれて、死ぬほど怒られたんだから」

 パカロロとはマリワナを指すハワイの方言だ。ハワイに限らず、アメリカでは広くはびこる社会問題になっている。

「とにかく、何であいつらがこんな事するのか知りたいのよ。祐司も考えて」

 たった一人の友人が、自分の知らない何かになっている事を考えるのも、認めるのも怖かった。けれど、アリシアは知りたいだろう。


 話し合っている内に、いつの間にか時計はもう九時近くを指していた。電気を点けた時が七時前だったから、あれから二時間も経っている。

「考えるけどさ、腹減らない? 外に行くのが嫌なら、俺が何か作ってもいいよ。下手だけど」

 本当の所、食欲はなかった。ただ自分はともかく、アリシアはきちんと食べた方がいい。

「あんまり、食欲ないのよ」

 返って来た声は、小さかった。

「良くないよ、ちゃんと食べないと。腹減ってると、考えもまとまらないだろう」

 何か言おうとするアリシアを制して、キッチンへ向かう。話を打ち切るつもりはなかった。眠れない、食欲もないというアリシアの気持ちは分かるが、いつまでも続いてよい状態ではないだろう。

 身長こそは多分百六十センチはあるだろうが、肩も腰も薄い。このままではじきに医者が必要になる。

 しかし、果たして自分に、彼女が食べられるような物が作れるのかと訝りながら冷蔵庫を開いた。先程は気が付かなかった鍋が、大きめの段に入っている。

 昨夜はなかったと思いつつ中をのぞく。コーンチャウダーが入っていた。ケビンだ。鍋をどけると、その後ろにはラップをかけたサラダが鎮座していた。

 仕事に行く前に、用意してくれたに違いない。事件が起きて以来、迷惑をかけっ放しの彼に心の中で手を合わせ、祐司は鍋を電熱器に乗せた。

 目の前に料理を置くと、アリシアは素直にスプーンを手にした。

「悪くないわ。食欲ないと思ってたけど、食べられるものなのね。段々、物も食べられるようになってるし、眠ることも出来る。嘘みたい。父さんいないのに」

「それでいいんだよ。君のお父さんは、君が餓死することなんか望んじゃいないよ」

 少しずつ、長い時間をかけて二人はチャウダーとサラダを片付けた。その間、祐司はアリシアが毎日、何をしているのか尋ねた。

「お葬式を出してないのは言ったよね。仕事は辞めちゃったし、学校も行ってない。何度か先生から、非常事態だったし今から出て来れば単位くれるって電話もらったけど、もう、どうでもいい。卒業しても喜んでくれる人、いなくなっちゃったし」

 視線を宙に浮かせて答えるアリシアは、投げやりな調子だった。

 次の質問をするのには、勇気が要った。失礼な質問だと思われるかもしれないからだ。

「お金は、あるの?」

 わずかに顔を上げて、アリシアは苦笑した。

「ないって言ったら、くれるの?」

「俺の持ってる分はね。出来ることはするって言っただろう」

 アリシアが怒り出さなかった事は、祐司をほっとさせた。彼女がないと言えば、即座にいくらかは渡すつもりでいた。

「それがね、あるの。自分の貯金はちょっぴりだけど、父さんの貯金と、それに生命保険。父さんがそんなの入ってたなんて、知らなかった」

 泣きそうな顔でアリシアは言った。

「家はぼろ家だけど、自分の家だし。あいつらが捕まって全部終わったら、お葬式出して仕事も探すわ」

 そうか、出来る事があったら言って、と祐司は何回目かの言葉を繰り返した。自分が馬鹿に思える。英語にもっと堪能だったら、もっと気の利いた事を言えるだろうに。

 昼間、ジュニアと話した時、誰かが自分のせいで笑顔になれるのを見たいと思った。

 アリシアと一緒にいる今は、せめて彼女が泣き止むのを見たいと思う。彼女の傷は、計り知れないほど大きいし、祐司とは立場が違う。

 それでも事件に多少なりとも関わっているという点では、何か近いものを感じる。

 アリシアのために何かする事。それはおそらく、自分のためなのだ。贖罪のような、自分の気持ちを楽にする行為だ。

 一度は「死ね」と言われ、次に「死ぬな」と言われて頷いた以上、自分のどこかをアリシアが握っているような気がする。

 食器を片付け、コーヒーを淹れると、十時になった。地方版ニュースの時間だ。

 アリシアは全国版でも報道されていると言っていたが、話に夢中になっていてテレビは点けなかった。尋ねるとアリシアは「見たい」と言う。祐司はリモコンのスイッチを押した。

「切り裂きジャップ」はすでに仇名として定着していた。ヒイアカはどうしたのだろう。

 もっとも、ポリネシア系よりも日本から観光客としてやって来て、次々と人を殺している男に憎しみが集まるのは当然かもしれない。

 アナウンサーは、プナルウでジェフリー・キム殺害に使用された銃、および弾丸が、トーマス・マホエが登録していたものと同じ製品と重々しく述べた。

 更に、ジェフリー・キムの遺体に残されていた指紋、カイルアのリーヴェス夫妻殺害現場で発見された指紋が、これまでの犯行の物と同一と確定されたと続けた。

 警察署長の会見も映された。画面に見える他の報道陣の多さが、事件の深刻さを物語る。

 前回見た時よりも、皺の数を倍にしたような顔をして、ハワイアンの警察署長は市民へ、見知らぬ人間との接触には最大の注意を払うように、と呼びかけた。

 二人の犯人が使用しているのが白いフォードのピックアップ・トラックとは限らない、という言葉に祐司は驚かされた。彼らはどうやって、別の車を入手したのだろう。

「前代未聞の凶悪な犯罪です」

 署長の声が嗄れているのは、彼も寝不足なのに違いない。「ホノルル警察の威信にかけて、必ず捕まえます」そう締め括った。

 これが日本なら、警視庁が捜査に乗り込んで来るだろう。アメリカでそういう事はないのかと疑問を口にすると、アリシアはあっさり否定した。

「州内の事件よ。なんでFBIが手を出すの」

 馬鹿じゃないの、と言いたげな口調だ。

「でも、FBIが来てあいつらを吊るしてくれるっていうなら、それもいいかもね」

 早くこの悪夢が終わって欲しいと思うのは祐司も同じだったが、アリシアにとっては、醒める事のない悪夢だ。父親はもう帰って来ないのだから。そういうアリシアに祐司が言える言葉は少ない。

 河野はまだ祐司にとって友人だ。たとえ河野にとって、祐司がどんなに卑小な存在だとしても。少なくとも、祐司はまだ河野に会ってもいないし、友人でいたくなくなるような言葉も聞いていない。

 何故だ、どうしてだと自分の内で繰り返すばかりだ。

 祐司が黙っていると、アリシアが小さく溜息を吐いた。

「カイルアで殺された夫婦の娘は、助かったのよね」

 確かにニュースではその事にも触れられていた。五歳の子供は病院に収容されている。

「その子に会いたいわ。今、一瞬だけ、その子を引き取って一緒に暮らすこと考えちゃった。現実的じゃないね」

 前に会った時、アリシアは流産した経験があると言っていたが、もしも生まれていたら、五歳位になるのかもしれない。

 床に座り込んで、コーヒーテーブルに肘をつくアリシアはとても小さく見えた。


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