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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
17/62

第十七話・切り裂きジャップ

〈これまでのあらすじ〉

 ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかし直後に起きた別件から、河野は生きていて殺人を繰り返している事が判明し、河野の共犯者で別件の被害者の同居人、ヒイアカと共に手配する。彼らは次々と関連のない相手を五人、いずれも凄惨な方法で殺害していた。

 祐司が被害者の娘、アリシアと出会って自分の過去を語り、彼女の悲しみを知る一方で、ホノルル警察の殺人捜査課は、島の東側から遺体発見の為に出動し、数時間後に再度、近い地域のビーチハウスで二人の遺体を収容、生存者の子供を保護する。


 今日はジュニアは出勤していた。

 弟の調子は相変わらず良くないのだが、アパートの隣の小母さんが見ていてくれるそうだ。寝不足からか、大きな瞳が赤い。

「ヴァアを施設に入れたら? その方が具合悪くなった時も、お医者がすぐ見てくれるだろう」

「そんな金ねぇし、そんなとこへ入れたら、あいつは死にやるよ」

 ここしばらく、ジュニアは弟の具合が悪く、祐司は河野の問題を抱えていて、二人ともあまり寝ていない。

 朝の忙しい時間帯を何とか乗り切ってベンチに座り込むと、そんな話になった。

 ジュニアがサモアからハワイへ来たのは、弟を良い医療環境で過ごさせるだろうと漠然と祐司は考えていたのだが、どうもそうではないらしい。最先端の医療技術、いや西洋医学一般を信用していない節がジュニアにはある。

 それならば、なぜハワイへ来たのだろう。

 今まで尋ねた事はなかったけれど、尋ねてみたい気がした。何と答えるかはジュニアの勝手だ。

 祐司が疑問を口にすると、ジュニアは目を見開き虚空を睨んだ。何か考えている時の癖だ。

「あのな、ポリネシアンは大昔、みんなサモアからあっちこっち行きやったんだ。サモアがポリネシアの始まりだ」

 それで、と祐司は続きを促した。ジュニアの話は時々、的外れな事を言っているようで、そうでもない。

「だから、俺にもそういうことが起きやったんだ」

「それって、新しい土地を目指そうとか、そういう考えかい?」

 どうしてもジュニアがハワイへやって来た動機を知りたかった訳ではなかったが、祐司は質問を重ねた。

 自分の今置かれている状況以外なら、話題は何でもいい。昨日、家に帰って聞いた留守番電話のメッセージは特に思い出したくなかった。

「こっちの方へ来て、何かやらなきゃならんことがありやった」

「じゃあ、ヴァアはサモアに置いてくれば良かったんじゃないか? 家族がいるんだろ?」

 再びジュニアは考え込み、祐司はその横顔を眺めた。

 太い眉が吊り上っている。彼の顔は目も鼻も口も大きいのだが、それがよく調和していてハンサムだ。ウェーブがきつい髪は短めにしてある。

 彼に興味を示すのは観光客に限らないし、彼自身も女の子は大好きなのだけれど、ヴァアの世話があるからガールフレンドを作るのが難しいようだ。

「ええと、神様って言いやるとおかしいな。けど、なんかそういうものが来るように言いやったんだ。そんで、あいつも連れて来なきゃならんかって」

「神様ぁ? お告げがあったってのか」

 思ってもみなかった答えに、祐司はつい大声を出し、ジュニアは頭を掻いた。

「ああいや、ちょっと違う。小さい頃にさ、悪さするたび、祖父さんが俺のこと木に縛り付けて一晩置きやった。最初は怖かってな。けど、夜には色んなものが棲んでやる。何度もそういうことがありやると、怖くもなくなるし、自分から夜、外に出るようにもなりやったな。そんである時、こっちへ来なきゃと思いやった。

 ちぇ、こういうこと言うと、皆、馬鹿にしやるんだ。俺を、オカルト好きの嘘吐き野郎だって言いやるんだよ」

 話を聞きながら、確かに彼はオカルト好きなのかと思っていた祐司は、心の内を見透かされたような気がしてぎょっとした。嘘吐きだとは思わなかったけれども。

 何か言わなければと思っている間に、ジュニアは溜息と共に頭をうなだれた。

「そう思われやっても仕方ねぇかも。ここはこんなに明るいものな。それに、行かなきゃと思いやったとき、行けばあいつの体は良くなりやるっても思いやったし、そしたら俺は、金貯めて学校行きやろうと思ってやった。なのに、あいつは悪いままだし、なんでハワイにいやるのか分からん」

 珍しく弱音を吐くジュニアに、祐司の困惑は益々つのった。

「施設に入れなくても、医者を信用して相談するのは悪いことじゃないよ、きっと。それに、学校へも行けるさ」

 倹約を重ねて、ジュニアが金を貯めているのは知っていた。

 州立のコミュニティー・カレッジへ行く位の額は貯まっている筈だが、学校と仕事の二本立てになると、弟の面倒を見る時間がなくなる、というのがジュニアの泣き所だった。

 そうかな、と言いながら弱気になっているジュニアは、大きい体が縮んで見える。

「そうだよ、今度の事が落ち着いたら、一緒に州や国の補助制度を調べよう」

 ジュニアを慰めるためよりも、自分のために祐司は声を励ました。誰かが自分のせいで笑顔になれるのを見たいと思った。

 慰めるために笑顔を向けてくれる人はいる。けれども、自分がする事で誰かに幸せな気分になって欲しかった。

 突然、アロハシャツの胸ポケットが震えた。携帯電話だ。

 本当なら勤務中は携帯電話はロッカーに入れる事になっている。しかし、万が一警察からの連絡があるかもしれない、という理由で祐司には一時的に許可されていた。日本の人間は河野だけがこの番号を知っている筈だったが、今では分からない。

 昨日のような電話を受けるのはごめんだったので画面を確認すると、アリシアと表示が出ていた。

 ハローと言い終わる前に、アリシアが叫んだ。

「あんた、ニュース聞いた?」

 たとえ河野が捕まったのだとしても、良いニュースとは言えない。少なくとも祐司にとっては。

 ジュニアにすまない、と手真似で合図しながら、祐司はベンチを立ちエントランスの脇へ移動した。

「どうしたの。彼、見つかったのかい」

「それなら良かったけどね、違うわ。もっととんでもなく悪いわよ。また、殺された。三人もよ。小さい女の子が助かったの。でも、その子の両親は殺されちゃったの」

 言いながらアリシアは、涙声になっていた。

「アリシア、アリシア、泣かないで」

 足元が崩れて行くような感覚を味わいながら、祐司は必死に言った。河野はもはや祐司の知っている彼ではないだろう。

 アリシアには勝手に死ぬなと言い渡されたが、河野が他の誰かの代わりに祐司を殺して、全て終わりにしてくれれば、それで一向に構わない。

「俺にして欲しいことはある?」

「ねぇ、本当に奴がどこにいるか知らないの。捜してよ、奴を止めて」

「知ってたら、とっくにそうしてるよ。ごめんね」

「……そうだったね。今、仕事中? じゃあ、仕事が終わったら会って」

 シフトが終わり次第、電話をすると約束して祐司は電話を切った。絶望とは違う、暗い穴の淵に立って、底なしの闇を見ているような気分だった。

 ジュニアと、同じシフトに入っていたマークには何が起こったかは伝えた。二人共、痛ましい顔をして、そうかと言っただけだった。立場が逆だったら、祐司だって何も言えないだろう。

 シフトの間中、祐司は言葉少なく仕事をした。アリシアに会ったら何を言えばいいだろうと、そればかり考えた。

「あんたの家に行くわ」

 仕事が終わって電話を入れると、アリシアは開口一番にそう言った。

「わんわん泣いて犯人を罵ってるインタビュー、テレビで流れたのよ。コーヒーショップだのレストランなんか行きたくないわ」

 嫌だと言える立場ではないし、幸か不幸かケビンはナイト・シフトで、十一時過ぎないと帰って来ない。


 大急ぎで家へ帰ると、十五分程してアリシアがやって来た。

 目が赤いのは仕方がないが、髪や洋服など、先日以上に荒れた様子はない。玄関でサンダルを脱ぎ、リビングルームへ入るや否や、アリシアはコーヒーテーブルの上に新聞を投げ出した。ホノルルにある二つの新聞の内、夕刊を専門にしている方だ。

 一面の大きな見出しが祐司の目を射った。

 Jap the Ripper――切り裂きジャップという意味だ。

 十八世紀にロンドンで起こった連続殺人の犯人の呼び名が、Jack the Ripper――切り裂きジャックだった。これは明らかにそれを真似た仇名だ。

 憎しみに満ちたその命名に、祐司は取り上げて本文を読む気力を失った。恐ろし気な名前を付けられて、河野が益々自分の知らない物に変わって行くような気がする。

「ケーブルは入ってる? ニュースチャンネル点けてみる? 全米版でやってるわよ。きっと日本でもニュースになってるでしょうね」

 放り出すように言って、アリシアはカウチに腰を下ろした。

 祐司は黙ってキッチンへ入った。ここの所、ケビンが気を使ってくれて普段より色々な物が冷蔵庫に入っている。ソーダを二本つかんで戻った。食欲はないが、咽喉は渇くのだ。

 一本をアリシアに手渡して、カウチの反対側に腰を下ろす。一気に半分程飲み、煙草に火を付けると口を開く気になった。

「俺の知っている彼じゃないみたいだ」

「でも、彼なのよ。トレジャーアイランドでも目撃されてるじゃない。それにしても、あんたの所にマスコミの人来ないの? 追いかけ回されているかとも思ったのよ」

 現時点では、こちらの報道関係に、祐司が犯人の友人だったという事は伝わっていないのかもしれない。ホテルの緘口令は厳重だ。

 もっとも日本の報道関係には、河野の友人知人の口から祐司の存在は洩れている。彼らは「犯行に走る直前の河野由樹と接触のあった人間」と連絡を取りたがっているらしい。それはインターネットなどでニュースを確かめた真理恵が教えてくれた。

 しかし、祐司の連絡先はまだ知られていない。

 その事を言うと、アリシアは首を傾げた。

「なんで? 普通、誰かが言っちゃったりするもんじゃない。それとも、あんたの友達って、皆、そんなに口が堅いの?」

 可笑しくはなかったが、祐司は噴き出した。

「逆だよ、逆。誰も知らないから、連絡先も、仕事も。言わなかったかい? ハワイに来てから、居場所を教えたのは河野と家族だけなんだ」

 日本に住んでいた頃は、友人もそれなりにいたような気がする。

 しかし祐司が事件に巻き込まれた時、安否を気遣ってくれる人間は河野だけだった。その事実も祐司を突き落とした。友人だと思っていた彼らにとって、自分はどうでもいい人間でもあったろうし、生徒に売春を持ちかけたり、強姦したりしかねない男と考えられていたようだ。

 当時、遠距離だけれど付き合っていたと思い込んでいた相手に電話した際には、「もう電話しないで」の一言で釈明の余地もなく切られてしまった。

 自分が吹き飛んだと感じたのは、彼らの反応からでもあった。

 今なら、その程度の人間関係しか築いていなかったせいだと認めることが出来る。軽くて薄っぺらな人生だった。

 それで日本を離れるに当たって、居場所を知らせておきたいと思った相手もいなかった。ハワイに来てから、大学時代の恩師には詫び状を出した。返事はなかったし、封筒に書いた住所からは引っ越して久しい。

 河野の家族は、祐司の勤め先だけは知っている。日本から駆け付けて来た折に、両親の顔だけは見た。といって、祐司は黙礼しただけだし、彼らは黙礼を返しはしたものの、真っ直ぐに祐司の顔を見る事すらしなかった。言葉も交わさなかったから、当然広美さんの家族は祐司の事など知るまい。

 現在、連続殺人犯の家族とされている河野の家族が、わざわざ報道関係者に祐司の勤め先を告げるとも思われない。

 河野はハワイにいる友人に会うと周囲には言っていたものの、その友人の勤め先が滞在先のホテルだとは誰にも言わなかったらしい。

「そう、あんたの家族だったら居場所を言うわけないしね。心配してるでしょ?」

 アリシアは真摯に言ってくれたが、祐司は更に笑ってしまった。心配、誰が。

「あんた、変よ。あたし笑える話はしてないわ」

「ごめんよ、おかしくない。笑いたいだけだ。昨日、父から電話があったんだ」

 仕事中で電話を受けなかったのは、幸いだった。父の声は感情を削ぎ落とした説教口調だった。

「君は私たちに迷惑をかけないでいることが出来ないようですね。マスコミに君の住所、電話番号は知らせないであげます。河野君を止めることが出来なかったのは、やはり教師に向いていなかったということなんでしょうね」

 日本を離れて三年以上の間、引っ越す毎に住所と電話番号だけは手紙に書いて送った。

 何をしているかは書かずに、連絡先と簡単な挨拶だけだったが、返事はなかった。多分、不祥事を起こした長男はいなかった事になったのだろう。弟は両親の期待に違わない人生を送っているのだろう。

 しかし、今回の事件が起こって、いなかった筈の人間に嫌味の一つも言ってやろうという気になったらしい。

 河野を止めることが出来なかったのは、教師としての資質とは何の関係もない。あんな事をする前に、相談はおろか、悩みがあるとすら打ち明けてもらえなかった、個人の信頼の問題だ。

 留守番電話のメッセージを聞いて、悪いなと思ったのはほんの一瞬で、次の瞬間には不愉快になり、伝言を消去した。

 この次に引っ越す時には、連絡は必要ないだろう。

 家族や親族に何かあったとして、おそらく祐司に連絡は来ないだろうし、仮に祐司が事故か何かで死んだとしても、彼らは知りたくもないだろう。

「俺と家族って、そういう関係なんだよ。彼らを家族って呼ぶならね」

 自嘲交じりに説明した祐司に、アリシアは眉をひそめた。



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