表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
15/62

第十五話・被害

〈これまでのあらすじ〉

ホノルルのホテルで働く北本祐司を訪ねて日本から来た、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかり、警察は当初、無理心中と判断する。しかし直後に起きた別件から、河野は生きていて殺人を繰り返している事が判明し、河野の共犯者で別件の被害者の同居人、ヒイアカと共に手配する。

 彼らはカリヒ地区で二人、ワイキキの西で二人を殺し、さらにワイキキでも一人、いずれも凄惨な方法で殺害していた。祐司は被害者の娘、アリシアと出会い、自分と河野の過去を語るが、同時にアリシアの悲しみも知る。


 四月二十五日金曜、ホノルル警察の朝は早かった。

 島の北側の町ライエと、東にあるカネオヘの間で、男の変死体が発見された。

 時刻は午前四時。発見者は巡回中の警官で、路肩に停まっている車に不審を抱き、離れた草むらに放置されていた遺体を発見したのだった。

 ホノルルと島の東側をつなぐ道路の一つ、リケリケ・ハイウェイをサイレンの音を響かせて走る車の中で、クリストファーはどうしようもない無力感に(さいな)まれていた。

 第一報を聞いた次の瞬間には、現場の警官に、遺体の肉が削ぎ取られているかどうか確認するように指示を出す事を忘れなかったが、犯人がこれまでの連続殺人と同じでも、違っていても厄介な事件に変わりはない。

 犯人が別ならば、担当はレイモンドになるだろうが、HPD自体の人数は同じなのだ。事件が増えれば、こちらの事件に当たる警官が減る事になる。

 といって、これが又もやヨシキ・コーノとヒイアカの仕業だとすれば、島内はパニックに陥る恐れもある。

 犯人達の結び付きも、すでに六人にも上る被害者同士の接点も、まるで掴めていない。

 トーマス・マホエと同棲を始める以前にヒイアカがどこで何をしていたか、寄せられる情報は皆無と言っていい。

 ヨシキ・コーノのパスポートはキングダムで回収した。それによると、彼が前回ハワイを訪れたのは四年近く前になる。四年よりも前にコーノとヒイアカは知り合っていたというのか。

 しかし四年の間、彼らが連絡を取り合っていた形跡はなさそうだ。妻であったヒロミ・コーノと、同棲相手のトーマス・マホエはともかく、高級ホテルのスイートに宿泊していたエトー夫妻とドラッグディーラーのレジー・ジョンソンの共通点は何だ。

 レジー・ジョンソンの遺体に、肉を削ぎとられた跡はなかった。死亡時刻は午前二時前後と見られている。人の多いワイキキでも、場所と時間帯が災いして目撃者がいないのが痛いところだ。

 仮に今日の事件が彼らの仕業だとするならば、今度こそ犯人と被害者の接点が見えるだろうか。

 複雑な胸中を押し退けるようにしてクリストファーはアクセルを踏んだ。

 現場は、プナルウと呼ばれる地区で、被害者のものと思しきメルセデスは、道路の路肩に南を向いて停まっていた。

 近辺では大きな町のカネオヘか、カイルアに向かう途中だったのかもしれない。丁度、プナルウ・ビーチパークの前だったので、車を停める場所には不自由しなかった。

 夜明けにはまだ間がある。警官達のかざす懐中電灯とポリス・カーの青い光が物々しい。

 車のナンバープレートを見て、クリストファーはおや、と思った。ナンバープレートは市が発行した正式の物ではなく、それが下りるまで付ける仮の紙製の物だったからだ。

 クリストファーは、高級車を買ったばかりなのに気の毒な事だと思い、次いで、物盗りではないなと思った。本土ほどではないだろうが、ハワイでも車の盗難はよくある。新品のメルセデスなら、そのままでも解体して部品にしてもいい値が付くだろう。

「クリストファー、被害者はこっちです」

 先に来ていたジャスティンとネビルが手を振った。彼らもやっと取れた睡眠を妨害された口だが、別れた時よりもましな顔付きをしている。

 僅かな睡眠でも体力を回復出来る若さは羨ましいが、ジャスティンの足元は、慌てて飛び出して来たのが目に見えるようなビーチサンダルだ。

 広くない道路を渡って、クリストファーは被害者の車に近付いた。ジャスティンが懐中電灯で場所を示す。

 車は路肩に停めてあり、被害者は少し離れた草むらに横たわっていた。真っ先にライトに浮かび上がったのは濃い色の革靴だった。仕事帰りだったのだろうか。

 太い両手を投げ出し、顔を横に向けて倒れている男はアジア系に見えた。

 頬に見える傷は銃創だろう。頭部の下になっている草が血に濡れている。暗いせいもあって、こちらから見える横顔からすると、年齢はおそらく四十代から六十代の間としか言えない。

 顔には大して血が付着していなかったが、ライトに照らされた胸部と腹部は無残だった。シャツがはだけられ、明らかに肉を抉り取った痕跡が生々しい。下腹にも銃創がある。

 思わず小さく呪いの声を上げたクリストファーの傍らから、大股で近付いて来たブランドンが囁いた。

「銃を使ってますが、奴らだと思いますよ」

 ブランドン・ヒガは三十八歳。日系と言うと必ず、祖先はオキナワ出身だから自分はオキナワンだと主張するが、彼自身も日系とオキナワンの違いが分かっていないらしい。

 頑固なのはその一点だけで、班の中では最も穏やかな性格のため、唯一の女性警官ジェイミーと組んでいる。

 首だけをブランドンの方へ向けて、クリストファーは唇を歪めて言った。

「そうだろうな」

 一連の犯行で、被害者の遺体の一部が持ち去られている事は、報道機関にさえ伝えていない。模倣犯では有り得ない。

 もっとも、彼らの犯行とはっきりしている事件でも、カリヒの事件とブティックの裏手での事件では、被害者はただ殺されただけだ。

 彼らがカリヒのマホエ宅から持ち出した拳銃は、ベレッタの9mmだった。いずれ鑑識課が調べてくれるだろう。

 中腰で被害者を検分していたクリストファーは、体を起こした。それだけで腰が軋むようだ。寝不足が堪える事といい、警官としての自分は限界に近付いている。

 しかし、全ては犯人を捕まえてからだ。どんなに負担がかかろうとも、一日も早く奴らをとっ捕まえて、二度と出て来られない場所に放り込んでしまわなければ、引退した後の毎日は溜息ばかりになってしまう。

 サイレンと点滅するライトが近付いて来た。ようやく鑑識課がやって来た。

「クリストファー、犯人達は何だって、この被害者の遺体をこんな風に傷付けたんでしょうね」

 話しているブランドンの顔は暗くてよく見えない。

 クリストファーは被害者の車から少し離れた。ブランドンも後に続く。

「遺体を損壊されたのは、これまでに、キングダムの被害者とトレジャーアイランドの被害者と、それに彼です。カリヒの二人とワイキキでの被害者の遺体は、何もされてなかった」

「それだ。連続殺人犯が被害者の遺体や所持品を持ち去るのは、そう珍しいことじゃない、極めて病的だがな。それが今回はしたり、しなかったりだ。どう思う」

 トレジャーアイランドの現場で出た意見は、その後の会議でも取り上げられた。犯人の宗教的な背景によるものという見方だ。日本総領事館と国際警察協会を通じて日本の警察にも協力は頼んであるが、現在のところ、犯人ヨシキ・コーノが特殊な宗教を信仰していたかはまだ分からない。

「遺体を損壊された被害者は全部、日本人なんですよ。この彼が日本人か日系だと仮定しての話ですが。それにしたって、アジア系には違いないと思います」

 クリストファーはまだ明けない空を見上げた。

 ブランドンの言っているのは、その通りなのだが、何故という理由の説明にはなっていない。

 日本人もしくは日系を殺して遺体の一部を持ち去る。それだけならば、何か邪教めいた動機が強いと思われるが、それではカリヒとワイキキでの事件は何だ。

「日本人か、アジア人なら持ち去る価値があるって言うのか? 日本には我々が知らない邪教があるのかもしれないがな。しかし共犯はポリネシア系の女だぞ。殺されたトーマス・マホエはハワイアンだ」

「色んな宗教があるらしいですからね、地下鉄に毒ガス撒いたりとか。しかし、ポリネシア系との関わりは……」

 至極真面目な口調でブランドンは言った。

「そもそも、ヨシキ・コーノが何だってカリヒにいたのかって所から考えなけりゃいかんのだろうが、それは捕まえてから、本人の口から聞こうじゃないか。今は、奴らが潜伏している場所を突き止めなきゃならん」

 鑑識課が焚いているフラッシュが眩しい。これが間違いなく奴らの仕業なら、割り出しは簡単だろう。奴らは指紋を拭き取らない。

 被害者の身元はすぐに分った。財布に入っていた免許証の外に、車内から車の登録証と保険カードが見付かった。

 ジェフリー・キム、四十五歳。暗くてよくは見えないが、別人ではないだろう。住所はホノルル市内のコンドミニアムらしい。

 ジャスティンが本署に連絡を入れ、家族に知らせてくれるように頼んでいる間、クリストファーは被害者のメルセデスの周囲を歩いてみた。無論、鑑識課員の邪魔にならないように気を付けながらだ。

 片道一車線の道路は、その山側、南に向かう方向を塞がれていた。まだ、通行量が少ないのが幸いだが、ライエ、カネオヘ、カイルアなど島の東側を管轄する第四地区の制服警官が、片側ずつ通す交通整理をしている。鳥の声があちこちから聞こえ始めた。夜が明けかけている。

 正面と運転席側の側面には何も変わった所はなかったが、後部バンパーに傷が出来ている。紙製のナンバープレートはぐしゃぐしゃだ。明らかに追突だされた跡だが、犯人の仕業だろうか。

 買ったばかりのメルセデスに後ろから追突されれば、誰だって怒り狂って運転席から飛び出すだろう。クリストファーは被害者の太い腕を思い出した。腕っ節に自信があれば、なおのことだ。

 しかし、シルバーのバンパーに付いている擦り傷は濃い色をしている。フォードのピックアップのバンパーは車体と同じ色だったか。

「クリス、お互ぇ休む暇がねぇ、な」

 顔馴染みの鑑識課員が声をかけて来た。クリスはクリストファーの愛称だ。

「あの傷だけどよ、ピックアップじゃねぇと思うがね。ピックアップ・トラックなら傷の位置がもうちっと高くなる筈だ」

 驚いた顔をしたクリストファーに鑑識課員は下唇を突き出して、頷いてみせた。

「調べるさ、それが仕事だかんな。殺人とは関係ねぇ事故かもしれねぇけどな」

「今度、一杯奢らなきゃいけねぇか、な?」

 地元訛で返したクリストファーに、彼は疲労の残る顔で「それよっか、仕事を減らしてくれ」と力なく笑った。

 鑑識課が遺体を収容し、メルセデスを牽引して行ってから、クリストファーは本署に戻る事にした。

 今や太陽は燦々と輝き、今日も暑い一日になりそうだった。靴に履き替えて来るようにとジャスティンに告げると、彼は初めて自分の足元に気が付いたようだった。

「あ、いつもの事です。車の中で靴に履き替えるのを忘れただけで。靴はちゃんと持って来てますから」

 しかし、彼が得々とした表情で座席の下から取り出した靴下は、何度履いたのか知れない色をしていた。彼も面倒見のいいガールフレンドか妻が必要だろうが、それも事件を解決してからだ。


 本署に戻ってまずクリストファーがした事は、犯罪捜査課の課長、犯罪捜査課の属する刑事部の部長、ホノルル警察署長を交えての打ち合わせだった。

 鑑識の結果を待たなければ、はっきりした事は言えないが、一連の殺人事件と犯人が同じである可能性が濃い事、犯人が現在手配中とは別の車両を使用していると考えられる事などを話し合った。

 割ける限りの人員を当てて、犯人の潜伏場所を見つけ出さなければならない。市民への注意を促した方が良くないかとの意見も出され、それには署長が苦渋に満ちた表情で頷いた。

「午後の記者会見でそう言おう。だが、こいつは就任以来の恥だよ」

 第四地区の警官達は、既に犯行現場付近の聞き込みに走っているはずだったが、辺りは人家などない。全ては鑑識の結果待ちという雰囲気だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ