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吠える島  作者: 宮本あおば
第一章
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第十話・更なる深みへ

〈これまでのあらすじ〉

 北本祐司が働くホノルルのホテルを訪ねて日本から来た友人、河野由樹の妻、広美が惨殺死体で見つかった。浜辺で河野の遺留品が見つかった事から、警察は無理心中と判断する。直後に別件が起き、ホノルル警察のクリストファー・サトーは、隣人の話から被害者の同居人で、ヒイアカと名乗るポリネシアン女性を重要参考人として手配する。

 事件の衝撃から立ち直れない祐司の元に、再び警察が急行し、前日の殺人事件現場と早朝の別な事件現場から河野の指紋が発見されたと告げた。衝撃を受ける祐司のルームメイト、ケビンの勤務先近くで更に他殺死体が発見される。


 目が覚めた時、祐司は自分がどこにいるのか分からなかった。

 いつもとは違う感触、違う物が目に入り、ひどく長い夢を見ていた気分になったが、体を起こしてみて、そうではない事に気が付いた。

 祐司はリビングルームの床に寝ていた。

 本来そこにある筈のテーブルは隅の方に動かされ、体の下にはマットレスが敷いてある。ごくたまにケビンの友人が泊まる時使うものだ。カムフォーターと呼ばれる掛け布団と枕は、祐司の物だった。

 昨夜、ここで沈没して動かない祐司のために、ケビンが寝床を作ってくれたらしい。時計を見ると、午後四時だった。驚くほど長い間眠っていた。

 マットレスをケビンのベッドルームに、枕と掛け布団を自分の部屋に戻し、テーブルを元の位置に戻そうとして、その上に置かれたバナナとりんごに気が付いた。

 ぞんざいに「食え」と書かれたメモ用紙が添えてある。

 どんな時でも、まず食べる事が最優先になるのがケビンらしい。

 キャシーと別れて落ち込んでいた時も、どん底まで落ち込んだケビンを気遣って、祐司が作った不味い料理が立ち直る契機だったとも言える。

 ケビンは泣きながら、口一杯に炒飯を詰め込み、「こんな不味いフライドライスは、生まれて初めて食った」と感想を述べた。それから、数日振りに少し笑った。

 料理はケビンに敵わないが、彼は放っておくと一週間でも同じシャツを着続ける。部屋の掃除機は死ぬまでかけないかもしれない。キャシーが家へ来なくなってからは、祐司が面倒を見るより他ないのだが、先週からそれも怠りっ放しになっている。

 洗濯物が溜まっているな、と小さい溜息を吐いて立ち上がった拍子に、キッチンカウンターの電話のランプが点滅しているのが目に入った。ケビンが留守番電話をセットして行ったようだ。

 考えまいとしていた事が、一気に脳を占領した。恐る恐る再生のボタンを押す。流れて来た声は、ケビンのものだった。

「ああ、俺。ええっと、起きたんなら、りんごとバナナ食えよ。それから、その、五時のローカルニュースを見たほうがいいかもしんない。ええっと、うちの店の裏で男が殺されてたんだ、今朝。もし、気分悪くなったりしたら、店に電話していいから、じゃ」

 目の前が暗くなりかけたが、他に伝言はない。もし、河野が関係しているのなら、警察から連絡があるだろう。

 祐司はカウチの上に放り出してあった携帯を手に取った。覚えはないが、電源は切られている。これもケビンの心遣いだろう。電源を入れる。メッセージはない。ほっとして、カウチに座り込んだ。

 空腹感のようなものを感じて、バナナに手を伸ばす。甘い果実を咀嚼しながら、実はほっとしているような状況ではないと思い直した。今朝の事件が河野とは関係なかっただけで、それ以前の事件の犯人まで変わった訳ではない。

 暗澹(あんたん)たる思いに沈みながらも、祐司はバナナを二本、立て続けに食べた。

 少し、順序立てて物を考えられそうな気がする。

 キッチンに行って、濃いコーヒーを淹れる。ケビンがいないから、インスタントで充分だ。コーヒーと灰皿を持ってカウチに戻り、テレビのスイッチを入れる。五時の地方版ニュースには少し間があったが構わない。

 河野に会いたい。

 彼が、自分にどんな嘘を吐いていたのだとしても平気だ。

 どこにいるんだろう。

 どんな事情があったんだろう。自分が彼のために出来る事は何もないのだろうか。今にも立ち上がって河野を捜しに行きたい衝動を、祐司は堪えた。頭に血を上らせて、市内を走り回っても、河野は見付からないだろう。

 溜息を漏らして、祐司は用を足しに立ち上がった。こんな時にも尿意を感じるのを、喜ぶべきか悲しむべきか分からない。

 ついでに歯を磨いている間に、ニュースのヘッドラインは過ぎていた。CMが入った後、おなじみのアナウンサーが悲壮な顔をして登場した。

「最初のニュースです。昨夜もお伝えした連続殺人犯の新たな犠牲者が出ました」

 画面が変わった。ワイキキの、ケビンの勤める店が斜めから映し出される。

「被害者はレジー・ジョンソンさん。今朝、ワイキキのブティックの裏で遺体が発見されました。死因は瓶のような物で後頭部を殴られた上に、胸をナイフで刺されたというものです。ジョンソンさんの衣類に付いた指紋から、警察ではカリヒ、ワイキキのホテル内での事件と同一の犯人と判定しました」

 胃がせり上がった。祐司はキッチンへ駆け込んだ。

 バナナとコーヒーが出切っても、まだ止まらない。捩れる胃袋をなだめる術もなく、祐司は胃液を吐き続けた。

 胃袋が丸ごと出そうな吐き気が去るのには時間がかかり、ようやく去った時には、疲労の為にキッチンの床に倒れこんでしまった。

 タイル地の冷たいのが心地良かった。キングダムでの一件以来、体も頭も思うように働かない。


 携帯電話が鳴り出した。

 祐司は這うようにして、リビングルームへ戻った。リモコンでテレビを消し、電話をとる。「ハロー」と言った声が掠れた。

「コンニチハ、キタモトサン」

 日本語を使っても、声音の厳しさは隠せない。ナカノ巡査長だった。雑多な空気が伝わってくる。携帯電話の表示をよく見なかったが、5で始まるナンバーだったから、ダウンタウンエリアに違いない。警察署もその区域にあった。

「ニュースは見ましたか」

 胃が再び捩れるような気がする。こみ上げて来るものを押さえ付けた。

「ええ、信じられませんが。本当に、彼が?」

「我々も信じられませんよ。しかし、指紋の鑑定結果はそう出ています。ところで、キタモトサン、昨夜は何をしてました?」

「十二時まで仕事をして、家に帰って、酒飲んで寝ました。ルームメイトの世話になりましたから、それってアリバイになりますか?」

 投げやりな口調で祐司は答えた。なぜそんな事を聞くのだ。

 もしも自分が二重人格者か何かで、実は全ての事件の犯人だというのならそれでも良かった。一思いにどこかから飛び降りれば、それで万事解決だ。

 ナカノ巡査長は、いやいやとなだめるような声を出した。

「一応、事情を知る人には聞くことになってますからね。そう、そのルームメイトね、現場の前に建ってるお店にお勤めなんですね。彼にも少し事情を聞きました」

 ケビンに事情を聞いたのなら、自分が昨夜沈没した事も知っていそうなものだ。嫌なものを感じて祐司は黙った。巡査長はかまわず続ける。

「あなた、自分のルームメイトがあの店に勤務していることを、ヨシキ・コーノに話しましたか」

「どういう意味です。私が彼に殺人を教唆(きょうさ)したとでも?」

 今度は巡査長が間を置いた。背後で誰かが怒鳴っている。ややあって声が聞こえた。

「いいですか、キタモトサン。これで六人の人間が殺されたんですよ。どういう理由で彼らが殺されたのかも分からず、犯人達は逃亡していて、次の犠牲者が出るかもしれない。

 我々は必死です。どんな小さな手懸りでも欲しい。あなた、彼の友人だと言いましたね。友人なら、彼を止める努力をするべきじゃないですか。協力して下さい」

 一語一語、言い聞かせるように巡査長は喋った。そのバリトンの声には、縋りつくような響きすらあった。

 捜査はあまり進展していないのだろう。HPDは死に物狂いなのだろう。

「分かりました、すみません。……確か彼に、ルームメイトの話はしたと思います。ですが、従業員割引を頼んでやろうかという申し出を、彼は断りました」

 それを話したのは、河野がハワイに来る前の電話だった。

 到着の日に買い物から帰って来た時に、ケビンの店の、薄茶色の紙袋をいくつも提げていたのを見て、沢山買い物する予定だったから、限度額がある従業員割引は遠慮したのだろうと思った。

 それに、あの日彼らが行ったのは、アラモアナ・ショッピングセンターだ。ワイキキではない。

「ですから、ワイキキ店には行っていないと思います」

 思い出しながら、のろのろと話す祐司に、巡査長は辛抱強く付き合った。何度も後ろから電話の鳴る音と、時には罵声が聞こえた。

「そうですか、ありがとうございます。小さいことでも構いません。これからも何か思い出したら電話して下さい」

 それじゃ、と巡査長は電話を切り、祐司は床に座ったまま、カウチに顔を伏せた。

 きっとサトー警部は祐司に電話をする暇もない位に忙しいのだろう。巡査長だって、あのハンサムな顔に隈を作っているに違いない。

 自分に出来る事はないのだろうか。


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