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史実を知る僧は、歴史を変えようとした  作者: チャプタさん


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第81話:小牧・長久手の暗雲

第81話:小牧・長久手の暗雲


 天正十二年、春。上方を中心とする天下の空気に、再び黒々と不穏な暗雲が立ち込め始めていた。

 北陸・賤ヶ岳の戦いにおいて柴田勝家を滅ぼし、織田信長亡き後の天下の主導権を完全に掌握した羽柴秀吉に対し、東国から待ったをかける巨大な勢力が立ち上がったのである。


 声を上げたのは、信長の次男であり、尾張・伊勢を領する織田信雄であった。

 信雄は秀吉が三法師を抱え込んで織田家を事実上乗っ取ろうとしていることに激怒し、三河、遠江、駿河、甲斐、信濃の五カ国を統べる東国の雄・徳川家康と固く同盟を結び、秀吉に対して宣戦を告げたのである。


 三河武士団の精鋭を率いる徳川家康と、織田家の血脈を掲げる織田信雄の連合軍――。

 その勢いは凄まじく、尾張の小牧山城を修復して強固な陣地を構築すると、上方から押し寄せる秀吉の大軍を正面から迎え撃つ構えを見せたのだった。


 この新たな天下分け目の大戦の勃発を受け、天下人となりつつあった羽柴秀吉から、安芸の毛利輝元、小早川隆景のもとへ向けて、不気味なほどの親密さと牽制の混ざり合った使者が派遣されてきた。

『我が羽柴が尾張へ向けて全軍を出撃させる間、毛利家におかれては西国の動向を厳しく監視し、四国の長宗我部や九州の島津が不穏な動きを見せぬよう、我が軍の背後を完璧に支えられたい』


 秀吉は、自らが東国の徳川家康と激突するにあたり、西国最大の勢力である毛利家が不測の動きを見せぬよう、ク釘を刺すとともに、自らの「盟友」として完全に繋ぎ止めようとしていたのである。


 毛利輝元より豊臣政権との外交全権を委ねられていた安国寺恵瓊は、この巨大な二大勢力の激突の真実を見極めるため、大坂の政庁から美濃・近江の境界近くへと足を運び、外交僧の鋭い眼差しをもって双方の動向を探り始めていた。


 恵瓊が目にしたのは、かつて備中高松城や賤ヶ岳で見せた秀吉の戦い方とは、どこか異なった重苦しい戦況であった。


 秀吉は、羽柴秀長、三好秀次、池田恒興、森長可といった子飼いと譜代の名将たちを網羅し、十万を超える圧倒的な大軍を尾張の野へと投入していた。

 莫大な財力を背景にして補給路を固め、小牧山城の周囲に幾つもの砦や土塁を築き上げ、圧倒的な物量をもって家康を圧迫しようとしたのである。


 されど――対する徳川家康の陣立ては、完璧なまでに冷徹で、隙というものが存在しなかった。

 家康は自ら小牧山城の山頂に陣を張り、周囲に深さ数丈の堀と土塁を張り巡らせると、三河武士団の精鋭を隙間なく配置して、秀吉の大軍の誘い出しに対して一歩も乗ることなく、徹底した「忍耐の籠城」を貫いたのである。


 秀吉がどれほど金銭を撒き、不穏な煽りを入れようとも、家康は微動だにしなかった。

 合戦が始まって数ヶ月が過ぎても双方の戦線は完全に泥沼の膠着状態に陥り、上方からは連日のように秀吉の焦燥を伝える報せが、恵瓊のもとへと届いていたのだった。


 恵瓊は、美濃の陣屋において、届く情報を帳面へ克明に書き留めながら、静かに思考を巡らせていた。

「羽柴秀吉という男は、人間の欲と金、そして神速の機動力をもって相手を呑み込んできた。……されど、徳川家康という男は、その秀吉の『熱気』が一切通用せぬ、不気味な底知れぬ男だ」


 家康は、秀吉がこれまで対峙してきたどの武将とも異なっていた。

柴田勝家のような武門の情念に囚われることもなく、清水宗治のような高潔な自己犠牲に走ることもない。

ただ冷徹に時を待ち、自軍の傷を最小限に抑え、相手が焦れて隙を見せるその一瞬を、獲物を狙う狸のごとくじっと息を殺して待ち続けているのだ。


そして、天正十二年四月九日。

恵瓊の恐れていたその「一瞬の隙」が、最悪の形で現実となったのである。


長久手の地において、天下を揺るがす凄惨な大敗北が、秀吉軍を襲ったのだった。


小牧山城の家康の固い防陣を崩せずに焦った秀吉軍の総大将格・三好秀次(秀吉の甥)と、猛将として知られた池田恒興、森長可らは、秀吉の制止を押し切るようにして「三河中入り」の別動隊を結成した。

家康の本拠地である三河国へ向けて迂回攻撃を仕掛け、家康を小牧山城から引きずり出そうと試みたのである。


されど、この動きは完全に家康の読みの内にあった。

家康は秀吉軍の別動隊の動きを完璧に察知すると、夜陰に乗じて小牧山城を静かに出て、井伊直政や榊原康政らの精鋭を率いて追撃を開始したのだった。


長久手の白山林において、油断しきっていた三好秀次の部隊は、突如として背後から襲いかかってきた徳川軍の凄まじい奇襲を受けた。

「敵は徳川の旗印だ!」

奇襲を受けた秀吉軍は大恐慌に陥り、総大将の三好秀次はいの一番に馬を捨てて逃げ走り、部隊は壊滅的な乱戦となった。


救援に駆けつけた池田恒興、その嫡男・池田勝九郎、そして「鬼武蔵」と恐れられた猛将・森長可らは、三河武士団の集中砲火と一斉突撃の前に逃げ場を失い、次々と討ち取られて惨絶な戦死を遂げたのである。


秀吉軍は、織田家中の重臣たる池田恒興と、勇名を馳せた森長可という二人の巨大な巨頭を一度に失い、数千の将兵の骸を長久手の野に晒して大敗北を喫したのだった。


近江の拠点においてその敗報を聞いた安国寺恵瓊は、あまりの衝撃に立ち尽くし、全身の皮膚が冷たく粟立つのを感じていた。


羽柴秀吉が、戦術においてこれほどまでに完全なる敗北を喫したことは、一度としてなかった。

あの神速の機動力を誇り、鳥取や高松で相手を泥の中に沈めてきた秀吉が、徳川家康というたった一人の男の前に、完璧に叩き潰されたのである。


恵瓊の脳裏の奥底で、かつて火鉢の炭火で焼き捨てたはずの、前世の記憶の影が不気味な黒い像となって浮かび上がってきた。


(徳川家康……! この男こそが、秀吉の死後に天下の覇権を握る、あの徳川家康なのだ……!)


恵瓊は冷たくなった己の指先を見つめ、激しい吐き気を押し殺した。

前世の記憶に書かれていた「徳川家康」という名の持つ真の重みが、いま長久手の合戦での勝利という生の現実となって、恵瓊の胸に突き刺さっていた。


家康は、秀吉のように派手な金銭や情念で世を動かす男ではない。

圧倒的な忍耐と、隙のない合戦の理、そして人間の弱みを完璧に見抜く冷徹な計算をもって、相手が自滅するのを何年でも待ち続けることができる男なのだ。


(秀吉という化物を、真っ正面から打ち破る男が、この天下に存在したのだ……)


恵瓊は深い恐怖とともに、これより先の日本の歴史において、秀吉と家康という二人の巨頭がどのように対峙し、やがてどのような破局へと向かっていくのかを、冷や汗を流しながら見すえていた。


長久手での敗戦により、秀吉は自らの軍事的な限界を痛感せざるを得なかった。

武力をもって家康を叩き潰すことが不可能であると悟った秀吉は、即座に手立てを切り替えたのである。


合戦での勝利を諦めた秀吉は、圧倒的な資金力と政治的工作をもって、家康の盟主である織田信雄へ向けて猛烈な和睦の裏工作を開始した。

信雄の領地である伊勢や尾張の小城を片端から圧迫し、「信雄殿さえ和睦に応じれば、織田家の家格を保ち、莫大な領地を差し上げる」と持ちかけたのである。


戦場で勝ちながらも、政治的に孤立させられた織田信雄は、天正十二年十一月、秀吉の差し出した甘い条件に屈し、家康に相談することなく勝手に秀吉と単独和睦を結んでしまったのだった。


大義名分であった信雄を失った徳川家康は、戦を続ける名目を失い、自軍の兵を引いて三河へ退かざるを得なくなった。

秀吉は、合戦の場では家康に負けながらも、政治の場においては完璧な勝利を収め、家康を自らの磁場の中へと静かに引きずり込んでみせたのである。


この長達三年にわたる小牧・長久手の攻防の全過程において、安国寺恵瓊の果たした外交的役割は、極めて巨大であった。


恵瓊は毛利輝元および小早川隆景を巧みに差配し、毛利四万の大軍を西国において完璧に自重させ続けた。

四国の長宗我部元親や紀州の太田党が家康に呼応して挙兵する中で、毛利家が微塵も動かず、秀吉に対する「血判の誓約」を守り抜いて背後を固め続けたことが、秀吉にとって最大の救いとなったのである。


もしこの時、毛利が家康に呼応して西から兵を挙げていれば、秀吉は挟み撃ちとなって完全に破滅していたはずであった。

恵瓊の冷徹な見極めと粘り強い差配が、毛利を自滅から救うと同時に、秀吉の政権を土壇場で支え切ったのだった。


天正十二年、年末。大坂の建設途上の大坂城において、恵瓊は再び羽柴秀吉と謁見した。


小牧・長久手での苦戦と長久手での敗北を経て、いくぶん痩せこけた秀吉であったが、恵瓊の顔を見るや、床几から跳び下りて恵瓊の手を固く握りしめた。


「おおッ! 安国寺殿! よくぞ来てくださった!」

秀吉は涙ぐまんばかりの表情で、恵瓊の肩を何度も力強く叩いた。


「わしは忘れんぞ! 家康との苦しい戦の最中、毛利殿と其方が西国を完璧に固め、わしの背後を温かく支え続けてくれたことをな! 輝元殿と其方のその深い誠意がなければ、いまのわしは生きて大坂にはおれなかった! 安国寺恵瓊、其方は真に天下の重宝なり! 毛利家には生涯、足を向けて寝るような真似は絶対にいたさんぞ!」


秀吉は大声をあげて恵瓊の手腕を絶賛し、毛利家に対して更なる厚遇と、西国の「盟友」としての絶対的な立ち位置を保障する朱印状を与えたのである。

恵瓊自身にも、秀吉から直接、外交僧としての破格の寄進と重用が重ねて約束されたのだった。


毛利の家と領国は、ここにまたしても完璧に保全された。

恵瓊の外交の手腕は、秀吉政権の中枢において、誰もがひれ伏す絶対的な権威として確立されたのである。


されど――大坂城の楼閣から初冬の空を見上げる恵瓊の胸中にあったのは、栄話の歓喜ではなかった。


恵瓊の脳裏には、長久手の野で池田恒興らを撃ち破り、小牧山城の山頂で静かに城下を見下ろしていた、あの徳川家康の冷徹な眼差しが焼き付いていた。


秀吉は勝った。されど、家康という男は死んでいない。

秀吉の築き上げる新しき天下のすぐ隣に、秀吉ですら力づくで倒せなかった巨大な「狸」が、静かに息を潜めて座しているのだ。


「秀吉殿の天下は成る……。されど、その先にあるものは……」

恵瓊は泥のついた法衣の袖を固く握りしめ、静かに念仏を唱えた。


前世の知識という呪縛を捨て、一人の生身の外交僧として歩んできた己の前に、歴史はさらに巨大で過酷な二人の英雄の化かし合いを見せつけようとしていた。

毛利の家を守り、人々の命を繋ぐための安国寺恵瓊の戦いは、これからさらに深き闇へと足を踏み入れていくのであった。

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