第51話:三木の干殺し
第51話:三木の干殺し
天正七年、晩秋から冬へ移ろう季節。東播磨の山々は枯れ葉を落とし尽くし、寒風が三木城を包む重々しい竹矢来と土塁を容赦なく吹き抜けていた。
三木城が羽柴秀吉率いる織田軍によって完全に包囲されてより、すでに一年有余の歳月が流れていた。
城の周囲を取り囲む三十余箇所の付城(包囲砦)からは、昼夜を問わず篝火が赤々と焚かれ、織田軍の鉄砲狭間が牙を剥いて城内を睨みつけていた。一粒の米、一包みの塩すら持ち込ませぬ秀吉の「兵糧攻め」は、三木城を完全なる死の檻へと変え果てていた。
城内の悲惨さは、すでに人間の理解を超えた地獄の領域に達していた。
包囲が始まって数ヶ月で蔵の米は底を突き、馬や犬、猫、鼠に至るまで喰らい尽くされた。
この年の秋を迎える頃には、樹木の皮を剥いで噛み砕き、壁の藁や粘土を水に溶かして飲み込み、雑草の根を貪り食う有様となった。
城中のあちこちには、皮と骨ばかりに痩せ細り、目は窪み、腹だけが水腫で不気味に膨れ上がった人間が、まるで行き倒れの亡者のように転がっていた。毎日数十人もの餓死者が積み重なり、埋葬する気力すら失った城兵たちは、その骸を掘に投げ捨てるしかなかった。
風に乗って漂ってくるのは、立ち上る煙の匂いではなく、城内から漏れ出るおぞましい腐臭と、空腹に狂った人々の悲痛な呻き声であった。
安楽寺の客殿でその噂を耳にするたび、恵瓊は自らの胸が鋭い刃で抉られるような痛みを覚えていた。
さきに自ら手配した補給路の開拓に失敗した責任が、重く恵瓊の肩にのしかかっていたからである。
己の仕掛けた裏工作が破られなければ、三木城の民や兵たちがここまで凄惨な飢餓に苦しむことはなかったかもしれない――。
その罪悪感と無力感が、夜ごと恵瓊の心を苛み続けた。
「何としても、あの地獄から一人でも多くの命を引き出さねばならぬ……」
恵瓊は固い決意を抱き、行動を起こした。
恵瓊は、かねてより深い信頼関係を結んでいた赤松旧臣のネットワークや、城内に通じる密偵を通じて、三木城の奥深くへ向けて一通の極密の書状を送り届けた。
宛て先は、当主・別所長治とその重臣たちであった。
書状の中で恵瓊は、外交僧としての矜持を横に置き、血を吐くような切実な言葉で訴えかけた。
『城の持ちこたえは、もはや限界にございます。毛利の本軍が届かぬ以上、このまま全員で餓死を待つは、死中に理なし。せめて戦力とならぬ傷病者、幼い子供、そして女たちだけでも、夜陰に乗じて城外へお出しくだされ。それがしが命を懸けて秀吉方の包囲網の隙間からすくい取り、安全な場所へ逃がす手はずを整えまする』
城内では、長治の叔父であり主戦論を主張し続ける別所吉親らが「敵に乞食をするような真似ができるか」と激しく反発した。
しかし、弱年ながらも領民を愛する当主・別所長治は、痩せ衰えた妻や幼い我が子、そして城下から巻き込まれて飢えに苦しむ民たちの姿を見て、涙を流しながら恵瓊の提案を受け入れたのである。
「武士の面目のために、戦えぬ女子供まで餓死させるのは天理に悖る。安国寺殿の慈悲に預かろう」
長治はそう言い残し、密かに城の裏手にあたる断崖の崩れ口から、最も状態の酷い傷病者や女子供五十余名を、夜陰に乗じて脱出させる決定を下したのである。
天正七年、十二月の凍てつく夜。
三木城の北側に広がる谷間の暗がりで、恵瓊と若い修行僧・智念、そして手配された地元の協力者たちが息を潜めて待機していた。
風が吹き抜けるたび、杉の枝に積もった薄雪がハラハラと舞い落ち、恵瓊の網代笠を白く染めた。
恵瓊の手は、緊張と寒さのために冷たく凍え、懐に忍ばせた数珠を握りしめる指先が微かに震えていた。
やがて、山肌の崩れ口から、幽霊のような影がひとつ、またひとつと這い出してきた。
それは、かろうじて息をしているだけの、泥と血にまみれた女子供や傷病者たちであった。
母親たちは声を出して泣くことすら力尽き、骨と皮ばかりの我が子を胸に抱きしめ、滑り落ちるようにして谷底へ降りてきた。
「急がれよ! 声を立ててはならぬ!」
恵瓊は駆け寄り、倒れそうになる母親の身体を支えた。その身体の軽さは、まるで干からびた枯れ木を抱かかえているかのようであった。
しかし、救出工作が半ばに差し掛かったその時、周囲の暗闇から突如として松明の光が放たれ、甲冑の擦れる激しい音が山谷に響き渡った。
「動くな! 織田の巡邏隊だ!」
秀吉の配下、古野奉行の差配する警備兵十数名が、太刀や長柄の槍を掲げて竹林から躍り出てきたのである。
絶体絶命の危機であった。秀吉の軍律では、三木城からの脱出者は理由を問わず「即座に討ち取るか、城内へ押し戻す」ことが厳命されていたからだ。
脱出してきた女子供たちが悲鳴を上げ、智念が青ざめて恵瓊の影に隠れた。
されど、恵瓊は逃げなかった。
彼はすっと前へ進み出ると、手に持った大きな松明を掲げ、堂々とした態度で武者たちの前に立ち塞がった。
「控えよ! 私は小早川隆景様および毛利輝元様の命を受け、双方の検使として播磨の戦後処理を預かる外交僧・安国寺恵瓊である!」
恵瓊の声は、凍てつく夜の山谷に重々しく響き渡った。
武者たちの足が止まり、隊長らしき男が太刀を構えたまま吐き捨てた。
「安国寺だと……? 毛利の坊主が、なぜこのような夜陰に城の抜け道におるのだ! さては城兵を助け出そうとしているのか!」
「言いがかりを吐くな!」
恵瓊は一歩を踏み出し、太刀の刃の目の前まで詰寄った。その瞳には、一切の動揺も恐れもなく、ただ恐ろしいほどの理と威厳が宿っていた。
「この者たちは、三木城内で熱病(疫病)を発し、捨て置かれた死に損ないの民に過ぎん! 秀吉殿の陣営にも知れておろうが、いま城内では赤腹と熱病が猛威を振楽っておるのだ! これを城内に放置すれば、やがて包囲網を敷く織田軍の将兵へも感染が広がり、羽柴秀吉殿の天下の御事業を妨げることになろう! それがしは仏門の慈悲として、この感染の恐れのある民を引き取り、寺の薬師堂にて隔離手当てを行おうとしておったのだ!」
恵瓊はさきの上月城の時と同じく、相手の最も恐れる「疫病」の脅威を突く嘘の弁舌を、命がけで展開した。
さらに、恵瓊は懐から大量の永楽銭が入った革袋を取り出し、隊長の手に力ずくで握らせた。
「この者たちをここで斬り捨てれば、血によって病がこの山谷に伝染するぞ。見逃せとは申さん。私が引き取り、遠く他国の山奥へ隔離する。これ以上騒ぎを立てて小早川様、秀吉殿の耳に入れば、お主たちの不手際も問われよう。……これで納められよ」
武者たちの隊長は、重い革袋の感触と、恵瓊の放つ尋常ざる気迫に圧倒された。
もしここで争えば、疫病に感染するかもしれず、また毛利との外交問題へ発展して己の首が危うくなる。
隊長は舌打ちをすると、太刀をサヤへ納めた。
「……フン、気味の悪い坊主だ。病人を引き取るというなら勝手にせよ! ただし、二度とこの山へ近づくことは許さんぞ!」
武者たちは捨て台詞を残し、逃げるようにして暗闇の中へ去っていった。
間一髪で、三十余名の女子供や傷病者たちの命が救い出された。
恵瓊は彼らを、あらかじめ手配しておいた馬車や荷車に乗せ、安芸本国の方向へと続く山奥の隠れ村へと秘密裏に逃がした。
大局の合戦を止めることはできず、三木城の全体を救うこともできなかった。
されど、この夜、自らの命と弁舌を賭けたことで、三十あまりの生身の命が破滅の地獄から引き揚げられたのである。
天正八年、正月半ば。
一年半に及んだ「三木の干殺し」は、ついに最終の結末を迎えた。
城内の兵糧が完全に尽き、餓死者が数千に達したことを悟った当主・別所長治は、ついに秀吉に対して開城の申し入れを行った。
長治の出した条件はただひとつ。
『我が身ひとつの命と一族の首を差し出すゆえ、城内に残された残兵と民の命だけは、どうか助けていただきたい』
というものであった。
秀吉はその条件を快く受け入れた。
正月十七日、三木城の本丸において、城主・別所長治、その妻・波々伯部氏、そして弟の別所友之ら一族が、別れの宴を催したのち、静かに腹を切った。
長治は辞世の句を残した。
『いまはただ うらみも知らず あけはなつ 数添ふ身とな なると思へば』
己の命と引き換えに、残された城兵や民の命を守り抜いた長治の最期は、誠に見事であり、武士の誇りを余すところなく示すものであった。
後に備中高松城で切腹する清水宗治の覚悟に先立ち、家と民を残すために自らの命を差し出したこの長治の最期は、播磨の地に深い悲しみと高潔な誇りを刻み込んだのだった。
安楽寺の丘の上に立った恵瓊は、遠く三木城の櫓から立ち上る開城の白い煙を見つめていた。
長治らが自刃したことで、三木城の包囲は解かれ、生き残った城兵や民たちは命を助けられて外へ引き出されていった。
恵瓊は泥の上に静かに膝をついた。
法衣の裾が冷たい霜に濡れるのも構わず、両手を強く合わせると、静かに念仏を唱え始めた。
「南無阿弥陀仏――」
涙が恵瓊の頬を伝い、乾いた土の上へ落ちていった。
別所長治という一人の若き大名が、苦悩の末に辿り着いた「命の差し出し」の覚悟。
そして、自らが命がけで引き揚げた三十余名の女子供たちの生きている息遣い。
歴史の巨大な惨劇を止めることはできず、三木城の陥落を防ぐこともできなかった。
されど、自らが泥にまみれて足掻いたことで、残された命があり、救われた笑顔がある。
知識という呪縛を捨て去り、一人の泥臭い僧として生きる恵瓊の胸の中に、悲しみを超えた静かな覚悟が刻まれていた。
三木合戦は終わった。されど、織田と毛利の果てしなき戦いは、さらに激しさを増して西へ西へと広がっていく。
恵瓊は立ち上がり、吹き抜ける寒風の中で、再び強く自らの足元を踏みしめた。
目の前にある命を守るための、外交僧・安国寺恵瓊の戦いは、どこまでも続いていくのだった。




