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史実を知る僧は、歴史を変えようとした  作者: チャプタさん


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第100話:天下統一の完成

第100話:天下統一の完成


 天正十九年、秋。九戸政実の乱の平定をもって、陸奥の果てに至るまでの「奥州仕置」が完全に完了したという報せが、上方の都へと届いた。

 室町幕府の威光が失われ、応仁の乱の火蓋が切られてより百二十余年――日本全国を血で染め上げ、幾百万の命を呑み込んできた惨絶なる戦国乱世が、ここに完全に終わりを告げたのである。


 日本国の北の果てから南の端に至るまで、すべての国々、すべての城郭が関白・豊臣秀吉の「惣無事(私戦禁止)」の御法のもとに服し、武士が自らの私欲で刀を抜くことは固く禁じられたのだった。


 天下人となった豊臣秀吉の居城・大坂城、ならびに京の聚楽第の周辺は、前代未聞の祝祭の熱狂に包まれていた。

 街道には全国の諸大名から贈られた祝賀の品々を積んだ車馬が果てしなく連なり、大坂の街辻では太鼓や笛の音が鳴り響き、町衆や農民たちが酒を酌み交わして歓喜の歌を口ずさんでいたのである。


「これで戦が終わったぞ!」

「もう兵糧米を奪われることもなければ、若者が合戦へ連れていかれて殺されることもないのだ!」

「関白様のおかげで、真の泰平の世が来たのだ!」


 人々の口から漏れ出るのは、長きにわたる戦乱の恐怖から解放された、心からの安堵と歓喜の声であった。


 大坂の政庁にあって、毛利家の最高外交僧としてその中枢に座していた安国寺恵瓊のもとにも、連日のように祝賀の客が訪れていたのだった。


 さきに大坂の街で奉行衆の過酷な取り立てから命と店を救い出した米塩問屋・和泉屋甚兵衛をはじめ、京の老薬種商・京屋惣兵衛、さらには毛利領内から上洛してきた庄屋や船頭たちが、恵瓊の前に平伏して感謝の涙を流していたのだった。


「安国寺様、ご覧くだされ。天下がひとつに治まり、関白様のもとで皆が安心して商いができる世となりました。……あなた様が命を賭して毛利の家を守り、私どものごとき小民の命をすくい取ってくださったからこそ、わしらはいま、この泰平の光を拝むことができるのです」


 甚兵衛の言葉に、恵瓊は穏やかな笑みを浮かべ、静かに首を振ったのだった。

「礼には及ばぬ、和泉屋殿。お主たちが土を耕し、商いを広げ、たくましく生きてくれたからこそ、いまの平穏があるのだからな」


 恵瓊の胸中には、深い感慨が広がっていた。

 幼き頃に安芸の山寺で芽生えた「歴史を変えたい」という切なる願い。

 前世の知識という幻想を捨て去り、泥にまみれて生身の現実に挑んできた己の歩みは、いま、この「天下統一」という巨大な実りとなって目の前に広がっていたのである。


 当主・毛利輝元は西国筆頭・百二十万石の大名として豊臣政権下で揺るぎない立場を確立し、さきの備中高松城で散った清水宗治や吉川経家らの犠牲は、毛利の家と数万の家臣の命を救う確かな礎となった。

 さらに、己が命を賭けて救い出してきた数々の名もなき民や人夫たちの生きている息遣いが、この大坂の街の賑わいの中に確かに息づいているのだ。


 (私は……無力ではなかったのだ……。足掻いてきた歩みには、確かに意味があった……)


恵瓊は自らの手にとった数珠の感触をかみ締め、静かな達成感とともに目を閉じたのだった。


されど――。


天正十九年の冬を迎える頃、大坂城の本丸御殿において開催された、関白秀吉による盛大な内々の酒宴の席において、恵瓊のその小さな達成感は、一瞬にして凍りつくような恐ろしい戦慄へと塗り替えられたのである。


大広間の高座の上において、金箔の杯を手に酒を煽っていた関白・豊臣秀吉――。


秀吉の周囲には、徳川家康、前田利家、毛利輝元ら豊臣政権の最高幹部たちが居並び、側近の石田三成や黒田官兵衛らが恭しく控えていたのだった。


酒が回るにつれ、秀吉の破顔一笑の笑みの奥から、冷酷極まりない狂気の光が爛々と燃え上がり始めたのである。


秀吉は豪奢な衣装の裾をはためかせて立ち上がると、高座から居並ぶ諸大名たちを見下ろし、狂気じみた全能感を露わにして言い放ったのだった。


「見よ! 日本国中、わしに平服せぬ者は一人もおらん! 応仁の乱以来の戦国乱世は、このわしの手によって完全に終わったのだ!」


諸大名が平伏して「関白様の御偉業、万歳なり」と唱える中、秀吉は不気味に目を細め、高座の欄干を太い指で強く叩いたのだった。


「じゃがな、諸大名ども! 喜ぶのはまだ早ぞ! この日本という国は、あまりにも狭すぎるわ! 天下を統一したこのわしの手元には、数十万の余り切った武士どもと、使い切れぬほどの米と金が唸っておるのだ!」


秀吉の声は、不気味な熱気を帯びて広間に響き渡った。


「わしは近く、日本中のすべての軍勢と水軍を総動員し……海を渡って朝鮮国を制圧し、さらにその奥にある明国(中国)をも我が手に収めてみせる! 明国の都・北京へ関白の宮を移し、わしがアジア全土の絶対的な王となって君臨するのだ! 輝元! 家康! 利家! お主たちにも数百艘の船を仕立てさせ、先陣として海を渡ってもらうぞ!」


広間に、凍りつくような死の静寂が落ちたのだった。


居並ぶ諸大名たちは顔色を失い、恐怖で息を呑んだのだった。

天下統一が成り、誰もが「戦なき泰平の世」が訪れたと歓喜していたまさにその瞬間に、秀吉の口から発せられたのは、日本中のすべてを破滅へと巻き込む、正気を疑うような「海外侵攻(唐入り)」の大号令であったのである。


秀吉の瞳に宿っていたのは、かつての親しみやすさなど微塵もない、あまりにも巨大になりすぎた全能感と狂気の影であった。

日本国内に敵がいなくなったことで、肥大化した秀吉の野望は歯止めを失い、自らの偉大さを証明するための新たな獲物として、海の向こうの異国へとその牙を向け始めたのである。


恵瓊は末席において平伏しながら、全身の血が激しく逆流するほどの恐ろしい戦慄に包まれていた。


前世の記憶――。

かつて火鉢の炭火のなかで焼き捨てたはずの、あの悲惨極まりない「文禄・慶長の役(朝鮮出兵)」の全貌が、いま、現実の秀吉の叫びとなって恵瓊の胸を激しく打ち砕いたのだった。


(始まったのだ……。天下統一の完成こそが……さらなる巨大な地獄の始まりであったのだ……!)


恵瓊は冷たくなった自らの指先を見つめ、激しい吐き気を押し殺したのだった。


翌年・文禄元年から始まる、あの七年間に及ぶ地獄の海外出兵。

日本中の何十万という武士や農民たちが海を渡らされ、異国の泥と雪の中で飢えと病に苦しみ、耳や鼻を削ぎ落とされ、命を散らしていく。

そして、毛利家もまた、その過酷な出兵の最前線に立たされ、国が干上がるまで力を擦り減らされることになるのだ。


誰もが「平和が来た」と手手を叩いて踊り狂う大坂の街のすぐ隣で、自分一人だけが、これから訪れる未曽有の大惨禍と数万の死の影を知っているという、果てしない絶望と孤立感。


(なぜなのだ……。なぜ、人が平穏に生きられる世は、これほどまでに短く、脆いのだ……)


恵瓊は胸の奥底で、血を吐くように問うたのだった。


大名たちの自尊心と、天下人・秀吉の肥大化した野望。

どれほど歴史の構造を変えようと足掻こうとも、人間の持つこの「業」と「狂気」の前に、一介の外交僧の力など、あまりにも儚く押し潰されるだけであった。


宴が果て、夜の大坂城の楼閣に立った恵瓊は、眼下に広がる大坂の街を見下ろしていた。


城下町には無数の提灯の明かりが揺れ、人々の歓喜の歌声と酒宴の賑わいが、夜の空にどこまでも響き渡っていたのだった。

誰もが「戦は終わった」と信じて疑わず、明日からの平和な暮らしを祝福していた。


されど、その歓喜に沸く人々の笑顔の向こう側に、恵瓊の眼には、やがて海を渡らされ、異国の泥の中で倒れていく無数の死者たちの悲鳴が透けて見えていたのである。


「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」


恵瓊は懐から数珠を取り出し、歓喜に揺れる大坂の街へ向けて、静かに、そして痛切に念仏を唱えたのだった。


涙が恵瓊の頬を伝い、大坂城の冷たい石垣の上に落ちていった。


天下統一の完成という巨大な光の足元で、さらに暗く過酷な時代の嵐が、すぐそこまで迫っていた。

されど、安国寺恵瓊は、膝を折ることはしなかった。


どれほど巨大な狂気が世を覆おうとも、自分は逃げない。

毛利の家を守り、海の向こうへ向かう生身の命をひとつでも多くすくい取るために、自分はこの時代の中で、泥をすすって立ち続けねばならないのだ。


初冬の冷たい夜風を受けながら、一人の外交僧は、狂喜乱舞する大坂の街の光の中で、静かに、力強く自らの胸の中に不退転の覚悟を刻み直すのであった。

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