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稲作は悲し

作者: 暇庭宅男
掲載日:2025/10/09

コメなんか儲からないーーー。


昔も今も、ずっと農家にのしかかり続ける、避けられない現実だ。


今年のコメの買い取り価格は去年より4割近く上昇し60キログラ厶(1 俵)2万5千円を上回った。

身体が健康で、身体以外の資本にも恵まれ、土地の条件が良い人は、確実に一家の身入りは良くなったのだろう。ヒトの腰椎と生命をすり潰さんと降りかかる山のような仕事も、心なしか楽しそうにしながら作業している方は多い。


一方、そこから落ちこぼれる農家は確かに存在する。

身体が弱くなったとか、元来土地がそれほど良くないとか、育てる条件はともあれ機械が買えないとか、そういう人たちは空前の主食バブルにもかかわらず、その恩恵に預かることなく眉間に皺を寄せながらの田仕事をしている。


我が家はまこと残念なことに後者だ。家系的にも決して身体が強いわけでなく、土地はよいのだが機械を買ったローンがいつまでも家計を圧迫し続けている。


年間ほんの4〜5日しか稼働しない機械たちに、農家は数百万円の出費を強いられる。それでも何年も使えれば元は取れようが、いや、これがじつに、壊れやすいのだ。


文字通りの金切り声を上げ、我が家のコンバインが壊れたのは1週間前のこと。部品摩耗をなだめすかして使ってきた、私とほぼ同い年のコンバインは、機械の動力伝達用ゴムベルトを派手に焼いてとてつもない匂いを放ちながら、ついに臨終を迎えた。


稲は刈らねば儲けにならぬのだから、機械が壊れたのではいおしまいとはできない。

同じ農機メーカーの後継を探していると、もうとっくに高級車と呼べる価格まで高騰している。


630万円。それは我が家のすべてのコメの売り上げの7割にまで迫る価格だ。当然そんなものを買ってしまえば黒字になどなろうはずもなく、まして新品ですら、やれブレードが欠けただの足回りがやられただので2年に一度は30万円近くかけて直すのだ。ローンの完済は砂漠の逃げ水のごとくいくらでも遠くなる。


何故そんな泣きながらコメをつくるのか?その問いにもはや合理的な答えは私にはない。


自分の生まれた国で、自国の国民の食うコメさえも満足に取れないなどという状況が恥ずかしいというだけなのだ。

貧乏人はわけのわからない灰色でどろどろの甘いようなしょっぱいような総合栄養食を、日に1回しか胃に入れることを許されない……そんな事態になったら我ら百姓の名折れだ。利益を追う企業と違い、我々は稲作をどうしようもなく稼げない作物だと知っていてなお、その意地のために今年も稲を刈るのだ。


だが、企業や、エリートでひとりでふたり分も稼ぐような優秀な人間は、その生産のあり方をしばしばせせら笑う。

何をバカな、と。お前たちが儲からないのは知恵が足りぬからだ。販路を拓いて然るべきところに売れば、農業はちゃんと儲かる。それをやらないだけだと。


わからないではない。生業に選んだ職業で儲かる話を考えぬまま田を抱え頭を痛めている我々は、資本主義の仕組みの中で間違いなく莫迦者だ。でも、コメは、コメだけはどんな貧乏人であれ食うのだ。それを販路開拓の名の下に金を払える人間にのみ売るというのは、いち百姓としての信念がそれを決して許さない。


コメだけではない。畑があれば野菜を作るわけであって、野菜だって金に余裕がなければ買えないなどというのは、それはあってはならない。肥料と各種資材が値上がりしようとも、大葉もゴーヤもミニトマトも、百円あれば買える。そういう仕組みがどこかにあるべきだと信じて、契約先に我が家の野菜を売る場所を借りている。当然、差し引きの最終利益は小さくなる。来年また利益の水準を回復させようと思えば、値段を上げないならば多売しか方法はない。今年の農繁期がようよう終わろうという時に、すでに背水の陣に似た悲壮な雰囲気が家の中に蔓延しはじめている。


今年、迂闊に外出する人間を焼き殺してくれるとばかりに照りつけた太陽のせいか、我が家のコメは収量が思うようでなかった。


通常600kg収穫できる田でさえも、500kgを切る有様だ。当然のことだ。あの猛暑で水路の水は分水の上流側であらかた使われてしまったのだから。水がなければコメはとれようがない。


今もまだ、店によっては備蓄米が並んでいる我が町では、新米に目もくれず備蓄米を買っていく人も多い。みな苦しいのだ。だから私はそれを見てバツの悪い思いはするものの、まさか責める気になどなれない。


老いていようが今一人暮らしだろうが、ちゃんとしたメシを食うくらいのことは、ひとりの例外なく保証したいのに。実態は違う。腹を膨らませるだけの半額パンを両手に目いっぱい持って買っていくおじいちゃんを見て、自分の仕事が不十分だったような気がして正当性があるかもわからない罪の意識が遠くから私を責める。


ばかでも乞食でも、ひとまず3食のちゃんとしたメシを食えるようにすべきなのではないか?と。


そんな感慨に心がとらわれていると、田んぼにはもう不要な雨がまたもじとじと降ってくる。

考えなければいけない。ちゃんと食料を生産してひとまず街の人達に届ける方法を。

秋になってから何十回と繰り返したため息をまたもついて、私は軽トラックに飛び乗った。

フロントガラスは叩きつける雨粒で、一向に前が見えなかった。

百姓というか、食料生産に関していつも考えていたことを書いた。自分でも主張が正しいか全くわからない。たぶん自身が死ぬまで、答えは明確に決めることができないのだろうなと言う予感がある。

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