第一章 「廃館の怪物」2
アイ達の元から怪物が消えて10分後、ヤマトは存在しないはずの4階の一室で震えていた。
「まさか刃物を隠し持っているとはなあ・・・!?」
ヤマトの左足首からは血が流れていた。
息を潜めると部屋の外から微かに足音やドアを開ける音が聞こえてくる。
この部屋に入ってくるのも時間の問題だ。
怪物が別の部屋に入った音がした瞬間に逃げることも考えたが、この足では満足に走ることができないだろう。
ヤマトは部屋の隅にあった先端が尖ったポールハンガーを手に取りドアの前に向う。
そして、ポールハンガーを両手で槍のように構えた。
怪物がドアを開けた瞬間に迎え撃つ、それしか生き延びる方法はない。
怪物の足音が少しずつ大きくなっていく・・・
まるで死そのものがにじり寄ってくるように感じられた。
足音が大きくなり止まった。
明らかに怪物が部屋の前に居る予感がしてヤマトは呼吸を止めていた。
しかし、20秒ほどが経過したが怪物は一向に入ってこない。
(早く入ってこい・・・)
続く静寂、ヤマトは苦しんでいた。
緊張状態が続く中、ついにドアが開いた。
ヤマトは同時にポールハンガーを突き出し渾身の力で突進する。
しかし、ポールハンガーは空を切った。
次の瞬間、視界の右側に怪物が映り込む。
ダンッ!
ヤマトは怪物に首根っこを掴まれ、ゆっくりと宙に持ち上げられた。
首を掴んでいない左手にはナイフが構えられている。
怪物の恐ろしい力にヤマトは屈するしかなかった。
死への恐怖と共に薄れゆく意識で、暗闇に光る怪物の紫色の瞳に意識を奪われていた。
「ヤマト・・・!」
サクラの叫び声が聞こえてくる。
ダダダダダダ!
さらに何者かが廊下を駆ける音が聞こえた。
ゴキッ!
鈍い音が響く。
アイの飛び蹴りが怪物の後頭部を見事に捉えていた。
首を鷲掴みにしていた手の力が緩み、するりと地面に崩れ落ちるヤマト。
その刹那、ヤマトが見たアイの瞳は綺麗な空色をしているような気がした。
「アイ・・・キサマ・・・」
低い女の声、怪物はアイの方に体を向けると後退りした。
打撃の効き目があるとみたアイが追撃の構えをとると、怪物は暗闇に薄っすらと透過してやがて消えていった。
「ヤマト・・・!」
サクラがヤマトのところに駆け寄るとヤマトは辛うじて意識を保っていた。
アイは倒れているヤマトの左足首に手で覆い隠した。
「足を怪我しているの!?」
サクラは思わず叫んだが、アイが手を退けると足首の傷が消滅していた。
「あれ!?」
「痛みが薄れていく・・・」
ヤマトは左足首の痛みが徐々に消えていくのを感じていた。
「アイ、何をしたの?」
サクラが聞くとアイは軽く微笑んだ。
「おそらくヒロシは更に上に向かった・・・」
「怪物に襲われる前に助けねえとなあ・・・」
ヤマトがそういうと2人の手を借りて立ち上がった。
3人はさらに上の階に向かって歩き出した。
アイを先頭に少し遅れてサクラとその肩を借りたヤマトが歩いていた。
アイが2人を気遣い後ろを振り返る。
サクラは気丈に振る舞ってはいても内心恐怖を抱えているだろうし、ヤマトは極度の緊張から完全に疲弊し切っていた。
2人とも怪物に襲われればひとたまりも無いだろう。
2人にはどこかに隠れていてもらおうとも考えたが、得体の知れない怪物がどこからともなく現れるかも知れない。
そんなことを考えると一緒にいた方が安全だと思ったのだ。
緊張の中で歩みを進めると、おそらく6階から7階に向かう階段を登り切ったところで異変が起こる。
道が無いのだ。
階段の先にはただの漆黒が広がるだけだった。
懐中電灯で照らしたところで意味はなかった。
しかし、アイが一歩足を踏み出すと確かにそこには道があった。
階段の先の漆黒の地面は大海のように無限に広がっている気がする。
しかし、この先に何が待ち受けているかわからない恐怖と不気味さに少し戸惑っていた。
「アイ!進もう・・・!」
「私たちもすぐ後ろをついていく!」
背後から聞こえるサクラの言葉に勇気付けられ、アイは歩みを進めた。
一方、ヒロシの方はしばらく漆黒を走り続けていた。
怪物が背後から迫ってくる恐怖が確かに感じられ、どんなに息苦しくても足を止めることができない。
息を切らしながら走るヒロシ。
自分がどこを走っているのか方向感覚も掴めぬままに。
どんなに走っても20メートル程後ろに感じられる、その存在に追い付かれないようにしなければならない。
当然、ヒロシの体力はすでにそこを尽き、歩くスピードとほとんど変わらんかったが、一定の距離を保ちながら怪物は彼を追っていた。弄ぶように。
そして、ついにヒロシはゆっくりとしゃがみ込んでしまった。
「ヒロシ・・・ワタシヲミロ・・・」
背後から低い女の声がする。
ヒロシは懐中電灯をつけてゆっくりと振り返った。
黒いマントに身を包んだ190cmの物体。
おそらく二足歩行で顔の所には美しい紫色の目だけが輝いている。
それはさらに歩みを進め近づいてくる。
だんだんと暗闇から顔が浮かび上がる。
これは、女の顔だ。
「まさか、お前は・・・」
ヒロシが何かを言い終える前に彼の意識は暗闇に消えていった。