第五章 「英雄の志願者」3
とある日の夜、ヤマトは尿意を感じ目を覚ました。
ギュウギュウ詰めで寝ていた、暑苦しい部屋を抜け出しトイレに向かう。
訓練施設は簡素な作りで、訓練兵の寝室、教官たちの寝室、そして学科などで使う多目的な部屋の3つしかなかった。
トイレまでの道は外に出る必要があったが、決して遠くはない十数メートルの距離だった。
そこまでの道には簡単な屋根があり、常に少量の暖色の電灯が灯してある。
そして、左手にはグラウンドが、そして右手には森がある。
<夜は外を出歩くなよ>と教官からは強く言われていた。
当たり前だ。いつ鬼に襲われるか分からない。
用を足しトイレの帰り道、夜風が心地良い。ずっとここに居たくなるが、少量の電気でこの薄暗さ。多少の恐怖があった。
ふと何かを感じ左を見た。
帰り道は左に森がある。見えにくいが多分何もない。
木々の葉っぱが擦れてザワザワ音を立てているだけだった。
そして、何気なくグラウンドの方も確認してみた。
グラウンドには何もない。訓練できるだけのスペースがそこにあった。
少し安心した。暑苦しい部屋がこんなにも恋しくなるとは思わず、部屋の方に顔を戻した。
(ん・・・!?)
何かが居た。
正確に言えば、前方ではなく顔を戻す瞬間にチラッと、右斜め前にある玄関の方に、白髪の男の後ろ姿が見えた。
慌てて玄関側を見たが誰も居なかった。
ヤマトは少しだけ考えたが、暗闇の恐怖から逃れたい一心で寝室に向かった。
(教官の誰かか?)
敷き布団に寝そべるとそう考えながら眠りにつく。
結局ヤマトがその答えを知ることはなかった。
そして翌日、訓練から2か月が経過した。
その日の朝6時に再び20人がグラウンドに集められ、整列をさせられている。
それぞれが銃剣を携え、2か月前とは比べ物にならない精悍な顔だちをしていた。
それは尋常じゃないほどのきつい訓練を揺るぎない信念を持って乗り越えてきたからに他ならない。
そして今日は彼らが訓練を終える日だった。
「お前たちはこれから訓練兵から兵士となった。まだまだ訓練し足りないが、俺たちにはもう時間がない。今からお前たち5人の班をそれぞれの隊長たちに引き継ぐ」
年長の教官がそう言い終えると、ヤマトたちのもとにヘルメットをかぶった隊長らしき男がやってきた。
「今日からこの小隊を任された重保タクミだ。」
隊長はヘルメットを外すとそう言った。年齢は二十代前半くらいで身長は180cmほどだった。
「アナタは・・・」
ヤマトが何か言い始めた。ヤマトにはこの男の顔に見覚えがあったのだ。
「アナタは鬼島アイさんのお兄さんですね・・・?」
ヤマトは偽の苗字であることを察して小声で聞いた。
それを聞いたタクミ隊長の顔がみるみる険しくなっていく。
「黙れ・・・」
タクミ隊長は静かな声で言った。
「口を閉じていろ。後で説明する・・・」
タクミ隊長の静かだが圧を感じる声に恐れを抱き、ヤマトは押し黙った。
タクミ隊長に誘導され、舗装された山道に向かうと4台の軍用車が並んでいた。
6人乗り仕様の軍用車だ。
「車に乗れ」
タクミ隊長の運転で山道を降りていく。
「早速だが、これから任務だ。資料に目を通せ」
タクミ隊長は助手席のタジマに資料を渡して、後ろの座席の者たちに回させた。
中列に乗っていたヤマトとヒロシが資料を見て驚いた。
それには、討伐目標。つまり鬼の顔写真が載っている。
左には知らない女性の顔、そして右には・・・
「まさか、これは・・・!?」
ヤマトは思わず呟いた。
「さっきはすまなかったな。右に載っているのは鬼島アイ。つまり俺の妹だ。鬼島の一族の者は入隊できない決まりになっているからな」
鬼島タクミはヤマトの方を少し振り向き、ニコッと笑うと話を続けた。
「ただ、これから行う任務は目標の討伐ではない。我々に支持を出している鬼殲滅委員会のトップにセンエイという男がいる。そいつは半鬼の傾向と動向のおおよそを把握している。指示によるとどうやら半鬼たちの動きが活発化しているらしい。お前たちは施設に居たから知らないだろうが、住民はすでに避難させている。そして俺たちの勤務は避難所の一つ、天地西小学校の守備だ」
「なんてことだ・・・アイが俺たちの敵だったなんて・・・」
ヤマトは震えながら言った。
「気持ちはわかるが、今は任務に集中しろ。全滅したくなければな」
「わかりました・・・」
ヤマトは震えながら答えた。
施設から天地西小学校までは車で1時間ほどの距離があった。
「アイが姿を消したのはそのためだったのか?それじゃあサクラはどうなったんだ?」
ヤマトはヒロシの方を向いた。
さっきから一言も話さず、様子が少しおかしいと思っていたが、これから兵士としてやっていくことに不安を感じているのだろうとヤマトは思っていた。
顔を見ると普通じゃないくらい青ざめている。
「ヒロシ、大丈夫か?」
「ああ、怖気付いたわけじゃないんだ。昨日変な夢を見てな」
「お前、今日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「冗談じゃない。お前に遅れをとるわけにはいかないさ」
ヒロシは無理に作り笑いをすると、また俯いた。
6人は天地西小学校に到着すると、タクミ隊長の指示の下で配置についた。
天地西小学校には正門と裏門が存在し、正門は川側で川向いには町がある。そして裏門は森側でその向こうには山があった。
正門にはオカベとトモハルを配置し、実は最も努力し優秀な成績で訓練を終えていたヤマトとヒロシは裏門を任されることになった。
そして、最年長のタジマを学校内部に配置して、どちら側のカバーもできるようにした。
タクミ隊長は司令塔として屋上に登り、実際に目と声で指示を出し、モニターで全域を監視できるようにしていた。
「この広範囲を守るには人数が少ないが勘弁してくれ。そしてこの防衛は明日の朝まで続く、交代で仮眠を取るようにしろ。タジマは俺と交代だ」
タクミ隊長からの無線が全員に届いた。
そして、夜が来る・・・
鳴り響くアラームにヤマトが目を覚ますと、辺りはすでに暗くなっていた。
「ヒロシ、交代だ。異常はないか?」
「ああ、今の所はな・・・」
ヒロシの顔を見ると、顔色も悪くやはり具合が悪そうだった。
「大丈夫か?多めに休んでいいぞ。今のところ俺は元気だからな」
「すまないな・・・」
トボトボと歩いていくヒロシの後ろ姿を見送り、ヤマトは森の中を隈なく注視した。
一方ヒロシはすでに限界で意識が朦朧としていた。
ここ数日、ろくに眠れていなかった。
夢の中で不適な笑みを浮かべた何かが見つめてくる。
紫色の瞳をしたそいつと後ろには無数の人影があった。
「ヒッヒッヒッ・・・」
奇妙な笑い声が聞こえ、ヒロシは意識を失った。




