沈む太陽の向こうの地
これはこの物語の最新エピソードです。皆さんに楽しんでいただければ幸いです。
夕暮れの東京。
街はまだ動き続けていたが、リンタロウの心だけは静かだった。
応接室に通されたリンタロウの前に、再び現れたのはあの男——
アレクサンドロス・ドラコス。
今日も紺色のスーツにネイビーのネクタイ。だが、その表情は前回よりも柔らかかった。
「ようこそ、リンタロウさん。おめでとうございます。正式に選出されました。」
「……ありがとうございます。」
軽く会釈しながらも、緊張は抜けなかった。
ドラコスは分厚いファイルを机に置き、指でページをめくりながら言った。
「あなたが配属される地域は、トリカラ(Tríkala)。ギリシャ本土の中央部に位置し、かつては交易の中心地として栄えた小都市です。現在は人口の減少が著しく、特に農業の担い手が不足しています。」
リンタロウは、ゆっくりとその地名を心に刻んだ。
トリカラ。
聞いたこともなかったが、それがかえってよかった。真っ白な場所から始められる。
「あなたの住居は、地元自治体が用意した古民家を改装したものになります。インフラは最低限揃っており、Wi-Fiもありますが、都市とは違い、冬は寒く、夜は非常に静かです。」
ドラコスの目がわずかに鋭くなった。
「都市の喧騒と比較すれば、孤独に感じるかもしれません。それでも、大丈夫ですか?」
リンタロウは、はっきりと頷いた。
「むしろ、それを求めていました。」
数秒の沈黙ののち、ドラコスは微笑んだ。
「よろしい。出発は——来週の火曜日、午前10時の便です。アテネ経由でトリカラまで送迎があります。」
ドラコスは書類を差し出した。
「これは旅程と現地連絡先、これは住居に関する契約書、そしてこれは緊急時の手続きについてです。すべて日本語に翻訳されています。今夜中に目を通しておいてください。」
リンタロウは書類を受け取り、再び深く礼をした。
「本当に……ありがとうございます。」
「ひとつ、忠告しておきます。」
ドラコスの声が、少しだけ低くなった。
「日本と違い、ギリシャの地方は“効率”よりも“関係性”が重視されます。時間の感覚も、価値観も違います。あなたの誠実さが、鍵になるでしょう。」
「……心に留めておきます。」
帰り際、ふと廊下のガラス窓越しに見えた空が、やけに青く、どこか懐かしかった。
トリカラ。
知らぬ土地。知らぬ言葉。知らぬ人々。
だが、ようやくたどり着いた自由の入り口。
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