門番との出会い
これはこの物語の次の章です。楽しんでいただければ幸いです。
午後七時、ギリシャ大使館の前に立ったとき、リンタロウは自分の呼吸が少し早くなっていることに気づいた。
高層ビルの谷間にひっそりと佇む洋風の建物。玄関の両側にはギリシャ国旗が風に揺れていた。その静けさは、都心の喧騒とはまるで別世界のようだった。
「山口リンタロウ様ですね。こちらへどうぞ。」
館内に通されると、濃紺のスーツを着た男がリンタロウを迎えた。背は高く、鋭い目つきのその男は、流暢な日本語で自己紹介をした。
「アレクサンドロス・ドラコスです。このプログラムの面接を担当しております。」
重厚な扉の向こう、小さな応接室に案内される。中には古風な木製のテーブルと革張りの椅子が一組。部屋には淡いレモンの香りが漂っていた。
面接は淡々とした確認事項から始まった。パスポート、戸籍、職歴、健康診断書――書類が一つ一つ丁寧にチェックされていく。
「では最後に、いくつか個人的な質問をさせてください。」
静かな声でドラコスが切り出した。
「この移住プログラム、『プラシニ・リパンシ』については、どのように知ったのですか?」
「インターネットで偶然見つけました。」
「なぜそのようなプログラムを探していたのですか? 強い動機があるように感じます。日本を離れたい理由が何か?」
不意を突かれた。リンタロウは口を開こうとして、すぐに閉じた。
(逃げたい――その言葉は、口に出すにはあまりにも幼稚すぎる。)
彼の中に渦巻いていたのは、ただの「逃避」ではなかった。都市に縛られ、歯車として削られていく自分に気づいてしまった以上、別の道を探すしかなかった。だが、それを言葉にするには、自分の気持ちすら曖昧すぎた。
「……自分の力が、ここでの貢献よりも、そちらで違う形で生きるかもしれないと感じたからです。確かめてみたいんです。」
短く、無難な答え。それでも、ドラコスはじっと彼を見つめ続けていた。
「なるほど。農業の経験は?」
「両親が東北の出身で、幼少期はそちらで暮らしていました。農作業はよく手伝っていました。」
そして、少しだけ嘘を添えた。
「でも、私はもっと国のためになる仕事をしたいと思い、東京に出てきたんです。都市の中でこそ未来を作れると信じて。」
(本当は、騙されただけだった。華やかで意義のある仕事だと信じていたが、待っていたのは終わらない雑務と誰にも見えない疲労の山だった。)
(それでも――誰かが犠牲にならなければ、日本という巨大な機械は動き続けることができない。その“誰か”が、たまたま自分だった。ただ、それだけのことだ。)
面接はそこまでだった。書類を丁寧にまとめたドラコスは、微笑みながら手を差し出した。
「では、後日、結果をお知らせいたします。」
リンタロウはその手を握り返した。どこか乾いた温もりだったが、それでも、いまこの瞬間だけは「人」として扱われている気がした。
建物
を出ると、夜の空気は冷たく澄んでいた。
希望と不安がないまぜになったまま、彼はネクタイを緩めて、ゆっくりと東京の闇に歩き出した。
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