兜割りの極意
秋の歴史2024参加作品。
剣豪小説です。
フィクションですので登場人物、流派、技は全て架空のものです。
江戸の後期は剣術を志す者にとって、分水嶺となる時流があった。
竹刀稽古の隆盛である。
それまで剣術は木刀を用いた稽古が主だった。木刀で打ち合うことは、今で例えるならば木製バットで叩きあうようなもで、まともにやったら大怪我をしてしまう。だから素振りや約束組手のような型稽古が中心。試合と言っても寸止めである。
これはたいてい師範や兄弟子、即ち位が上位者が勝つように出来ていた。
実際に当てないので、有効打かどうかの判断が師範の一存で決まるからだ。
しかし、竹刀と防具の発達・普及により、実際に当てて試合をするようになると様相が一変する。
キャリア10年のベテランが、センスの良い新人に試合で負けてしまうことが普通に起こるのだ。
また、この試合は素人が見ても勝敗が分かりやすい。それゆえ、有名な道場試合には見物が集まった。
「くだらん。あんなものは剣術ではない」
鶴見京之介はイライラしていた。
彼は剣術で某流の皆伝を受けている。その流派は伝統を重んじ、竹刀稽古を採用していない。
しかし、時流には勝てず、無理やり竹刀試合に引っ張り出されてしまったことが一度だけある。
結果は惨敗だった。
「はじめ!」
という審判の合図とともに、まだ少年の面影を残した相手が飛び込んで来た。そして矢鱈目ったらと上段を連打する。
(雑すぎる。これでは子供の喧嘩だ)
戸惑っているうちに腕に衝撃が走った。
「小手有り!一本」
衝撃の後から、じんわりと痛みが廻って来た。
見物客がざわめく。
なにしろ身長も年齢も一回り下の方が果敢に攻めて一本を取ったのだ。
(これでいいのか?!)
京之助は動揺した。小手に受けた一撃は刃筋が立っておらず、これでは斬れない。まして、その前の上段の乱打は何だ?あれでは真剣なら刀が折れてしまうだろう。
普段、道場で煩く言われていることを、目の前の少年は何も守っていなかった。そして、周りの誰も気にとめていないようだ。
試合は3本勝負だが、これで動揺してしまった京之介は、まったく良い所なく残り2本も取られてしまった。
このようなことが、各地で起こっている。
この時流を受けて各流派が選ぶ道は三つ。
竹刀に合わせるか、あくまで従来の剣術を貫くか、廃業するか。
いまだ竹刀を選ばない京之助の流派は風前の灯火だった。
いくら口で『あれは真剣では使えない』等と言おうと、衆目には試合の勝敗が強さだ。
「あそこの道場は口だけ」
そんな評判に晒されては、一人二人と門下生が抜けていく。
京之助は葛藤し、模索し、もがいた。
そして、とある情報を得て一人の老人を尋ねた。
その老人は兜割りの妙技を持つという。それが出来れば竹刀試合等しなくても、大衆に強さを示せるのではないか?
京之助は突然の訪問の非礼を詫び、指南を願い、思いを切々と語った。
「今、剣術は未曾有の危機に瀕しております。このままでは真剣では使えぬ技が主流となり、先人達の編み出した技は失われる一方。無理な願いは百も承知ではございますが危急存亡の秋ゆえ、ここは流派を越え・・・」
「構いませんよ」
老人は、長口上は結構とばかりに、あっさり答えた。そして京之助を道場に通す。
中に入ると老人は、隅から古い兜を取り出した。
「改めてください。今は兜なんて易々とは手に入らないので、年代物ですみません」
老人が片手で差し出した兜は、京之助が受け取るとずしりと重く、思わず落としそうになった程だ。
凄まじい兜だった。
角飾りのようなものはすっかり折れて消失しており、分厚い鉄鍋を連想させる。
そこにあちこち深い切れ目や傷がある。それは、粘土に楔を打ち込んだような鋭く深い傷だった。
顔を近づけ傷を凝視すると、古い脂と金気が匂う。
「この辺を斬りましょうか」
兜に見入っていた京之助の脇から、老人が指を指す。
「妙技をご披露いただけるのですか?!」
京之助は興奮する。
「妙技なんて、たいそうなもんじゃありませんよ。まぁ極意のようなものは、ありますけどね」
そう言って老人は兜を台に載せた。
妙技と極意は何が違うのだろう?京之介は一瞬考えたが、それよりも兜割の実技が見られることに興奮していた。
老人は、いかにも試漸用の簡素で無骨な刀を手にしていた。それを抜いて上段に振りかぶる。
そして素振りの一回もせず、気合の一つもかけず、ただ兜に向かって振り下ろした。
その拍子抜けするような一撃で兜の端が斬れた。老人が示した通りの場所である。
「やってみますか?」
当たり前のように老人が刀を差し出す。促されるまま試すも出来るはずがない。
刀は大きくはじかれた。京之介が刃こぼれを詫びようとするも、老人は気にも止めなかった。
「小手先ですね。胸と背中が使えていない。これでは腹の力が腕まで伝わらないから遅いし弱い」
刃こぼれよりも、老人は京之介の欠点に興味があるようだ。
そして、道場の傍らにあった竹の束を持ってきた。
それは京之介の身長ぐらいで切った竹を束ね、麻紐で括ってある。両手でやっと抱えられるほどの巨大な束なのだが、やはり老人は軽々と運び、二つの台に橋渡すように横たえた。
「これの真ん中を思い切り打ってみてください」
そう言って老人は木刀を差し出した。何の意図か分からぬまま京之介は構えた。
兜ならまだしも、竹を木刀で打つぐらいは出来る。
(いっそ、竹を折ってやる!)
少しは良い所を見せなければ、せっかくの指南が終わってしまうのではと思い、京之介は奮起した。
『遅いし弱い』と言われたのも少なからず自尊心が傷ついている。
・・・が。
渾身の一撃は、束ねた竹の弾力に跳ね返された。
「ね。弱いでしょ?跳ね返されるようでは、打った力は全て自分の刀に返って来ています。相手には伝わっていません」
そう言って老人はもろ肌を脱いだ。そして木刀を構える。
京之助は刮目した。
老人の行動は、もったいぶった所が一切無いので、必死に食らい付かないと、重要な情報を逃してしまいそうだ。
老人が木刀を叩きつけると、図太い竹の束が逆への字の折れ曲がった。
そのまま束を押さえつけた木刀は、微動だにしていない。恐ろしいほどの弾力が掛かっているはずなのに・・・
そこで京之介は、老人が上半身を脱いで見せた意図が分かった。
分厚い。
酒樽のような太い胴体。しかし肥満ではない。腹筋は洗濯板のように削り込まれている。
胸、背中、肩、上腕、前腕、すべての筋肉が金剛力士像のように隆起していた。
「こんなもんです」
老人が木刀を外すと、反動で巨大な竹の束が宙に舞う。そして、ダムダムと地面に転がった。
「全身くまなく使い、狙った所に正確に、速く、強く打ち込みます。原理はそれだけですよ」
だから老人は『妙技』を否定したのだ。そしてあっさり実演して見せたのだ。うわべの形だけ真似してどうこうなる次元ではないのだから。
その日から京之助は通い弟子となった。
といっても稽古は専ら竹の束を打つことだ。
速く、強く打つことを心がけ、ひたすら打ち込む。
時折老人が、腹が弱い、背中が弱いとヒントを与え、見本を見せるが、基本的には自分の体と対話しながら叩き続ける。
一月もする頃、少しずつ発見が出てきた。
当初、老人の言葉で、いまいち意味がわからなかった「背中で打て」の感覚が分かってきた。それに伴い、背中に厚みがましてきたようにも思える。
半年した頃、老人が言った。
「だいぶ小手先ではなくなりましたね」と。
刀で斬る時、刃は対象に垂直に当てねばならない。これを『刃筋を立てる』と言う。
ここに来るまで、京之助は手首だけでその角度を調整していた。
その小手先に意識が集まるあまり、全身が使えず、動きが小さくなっていたのだ。
しかし今は肘、肩、背中、腹、股関節、全てを使って刃筋をコントロールできるようになった。
「そろそろ正確さの鍛練も加えましょう」
その日から糸で吊るした大豆を斬る鍛練が加わった。
これは正確さの他に真剣の扱いに慣れる意味もあるという。
三年が経過した。京之助の元いた道場は時流に勝てず廃業していた。
京之助は老人の仕事を手伝いつつ、鍛練を続けていた。
老人の仕事は鋳掛け屋である。当時は鉄鍋等は消耗品ではない。割れたり穴が空いても、余程でなければ修理をして使う。
その修理をするのが鋳掛け屋だ。
この仕事は金属の弱い部分を見極める鍛練にもなるので、修行と実益を兼ねている。
ある日、京之助が仕事から戻ると、道場の前に怪しげな集団がいた。
一際大柄な男の周りに5人ほどの取り巻きがいる。
大男は京之介を見つけると、周りに聞こえるように芝居がかった声で挑んで来た。
「剣術道場とお見受けする!是非一手ご指南頂きたい」
『指南』とは言っているが、見るからに道場破りの口上だ。
「お帰りください。ウチは剣術等教えておりません」
京之介は素通りして帰ろうとする。すかさず取り巻きが道を塞いだ。
「これは、おかしなことを!中には立派な道場に竹刀、木刀、試漸刀まで揃っているではありませんか?!怖気づかれるにしても別な言い訳があるでしょう」
男の言葉に取り巻きがゲラゲラと笑う。
「勝手に中に入ったのか?!」
京之介はキッと睨む。
「悪気はありません。いくら尋ねても返事が無いので、留守なら不用心と思いましてね。でも今、道場があることは、お認めになられましたね」
ニヤニヤ笑う男に、取り巻きが大げさに頷く。
あまりの大声に、何事かと見物人が増えてきた。
「あいにく主が不在ですのでな」
「待ちますよ。いつお戻りになられますか?」
男は引き下がらない。
「望む『指南』とは何だ」
埒が開かぬので、京之介は率直に聞いた。
「そうですなぁ・・・」
大男はわざと考えた素振りをする。そして言った。
「竹刀で三本勝負というのはどうでしょう?当方無骨もの故、型だけ見せていただいても何も学べません。思う存分打ち据えて頂きたい」
「それなら、公平を期する為に私が審判をやってもいいですよ。通りがかりですが、多少心得がありますので」
取り巻きの一人が言った。通りがかりのワケはないだろう。おそらくこれは、お決まりの手口だ。竹刀稽古に慣れない古流を見つけては勝負を挑み、勝ちの実績を積み、名を上げようとしているのだろう。
「それはありがたい!」
審判を買って出た者にそう言うと、大男はもう試合が決まったとばかりに竹刀を構え、得意気に振って見せた。
その瞬間、京之介の脳裏に稲妻が走った。
「いいでしょう。主は留守ですが、私がお相手します」
京之介は態度を一変させた。
正直、この勝負自体はどうでもいい。しかし、それよりも拭い難い興味があったのだ。
大男と取り巻き、そして集まった見物人は道場に移動する。
各々防具を付けて相対した。
彼らの手筈通り、取り巻きの一人が審判をやることを京之介は許した。
「はじめ!」
審判が声をかける。
「いやぁ!」
大男は上段に構えた。
(やはり見える)
京之介は思った。構えこそ上段だが、左右の肩甲骨が揃っていない。おそらく弧を描いて軌道を変化させるつもりだろう。そして膝がやや高い。これは膝を落とす準備に見える。
(下段か?邪道剣だな)
そう思った刹那、大男が踏み込んで来た。
「たぁ!」
京之介の目を見据え、今や面を打たんとするところで膝がかくっと落ちた。
大男の剣は弧を描き、京之介の足を狙う。
京之介は難なくそれを払って、大男の喉元に突きを寸止めした。
ざわめく野次馬達。
「待て!突きは禁じ手。今のは勝負無し」
審判が言った。
「そうなのか?なら、先に言ってくれよ」
京之介が尋ねる。
「ああ。すまない。しかし、お互いの技量が分からない初顔合わせでは突きは危険なので禁じ手にするのが最近の通例だ。彼もそのつもりだったのではないか?」
「ああ・・・そうだな」
大男は審判に合わせた。
「ふぅん。まぁいい。続けよう」
京之介はそれ以上、追及はせず、仕切り直しとなった。
「はじめ!」
審判が合図をする。大男は今度は正眼に構えた。
(どういうつもりだ?)
大男の肩が緊張している。これでは竹刀を振り上げることはできないだろう。そして先ほどよりも脇を絞り、手首も固定され、剣先の揺れが少ない。
(突きだよな・・・)
見えてしまえば陳腐な不意打ちだ。
しかし、禁じ手の件は何と言い訳するのだろう?『一本手を合わせたから、もう初顔合わせではない』とでも言うのだろうか?それとも『京之介が先に仕掛けたから』等と言うかもしれない。
京之介はそれを想像しては可笑しくなり、笑いをかみ殺していた。
「やっ!」
予想通り大男は突きを放つ。
それよりも速く、京之介の片手面打ちが大男の頭を捉えた。
片手にした理由は二つ。一つは射程距離が長いこと。これなら突きにも対抗できる。
もう一つは手加減である。
三年間、鉄の兜を割らんと鍛えに鍛えた京之介は、両手打ちでは竹刀で防具越しにでも怪我をさせてしまうかもしれない。そう思って片手にした。
しかし、大男は崩れ落ち、起き上がれなかった。明らかに脳震盪を起こしている。
(しまった・・・これでもやり過ぎたか・・・)
京之介は焦ったが、その素振りを見せると、また何か付け込まれるかもしれない。
だから、あえて激高して見せた。
「どういうつもりだ!基本の防御すら出来ていないではないか!自分で禁じ手と言った突きを仕掛けておいてこの様だ。悪いがこれ以上手加減は出来ない。こんな未熟者に指南すること等何もない!基本稽古からやりなおせ!」
かなり芝居がかった物言いだが、実際に完膚なきまで叩きのめされた後なので、大男と取り巻き達は、そそくさと退散した。
京之介は野次馬達に囲まれ、質問攻めにあった。
それをなんとかはぐらかし、やっとのことで帰ってもらうと、ひょっこりと老人が顔を出した。
京之介はバツが悪そうに頭を掻く。
「見えていましたな」
老人が言った。
「はい」
京之介は短く答えた。日々自身の体と対話し、より速く、より強く、より正確に打つ体の使い方を研鑽するうちに、相手の姿勢、重心、筋肉を見れば、行わんとする動作が読めるようになっていたのだ。
「そろそろ、やってみますか?」
老人が尋ねた。
京之介の全身に緊張が走った。先ほどの大男が真剣で挑んできたとしても、これほどの緊張はしないだろう。
京之介は意を決して、腹の底から声を出した。
「是非!」
老人が件の古兜を持ってきた。
それを台座に据える。
京之介は渡された試漸用の無骨な刀をスラリと抜いて上段に構えた。
その刹那、兜の一点が光ったように見える。
(速く、強く、正確に)
それだけを唱えて刀を振り下ろした。
ザムッ
刀は粘土を叩いたように兜に深く食い込んだ。
「お見事」
老人が手を叩いた。
京之介はふぅと大きくため息を付き、晴れやかな笑顔で言った。
「でも、まだまだです。これじゃ実戦では使えません」
そう言って刀を軽く引っ張る。深く食い込んだ刀は容易には抜けない。
「しかし強くなられた。これが極意です」
「はい」
京之介は真剣な眼差しで頷いた。
結局の所、竹刀だろうと、木刀だろうと、兜割だろうと実際に人を斬っているわけではないことに変わりは無い。
しかし、それらの鍛錬には意味がある。その意味を見出すことこそが極意なのだ。
老人は満足げに頷き、高らかに宣言した。
「これにて皆伝です」
京之介は深々と頭を下げる。
その後、彼は自流を立ち上げ、多くの門下生に囲まれるようになるだが、それはまた後の話。
ー了ー