ONE DAY④
森沢瑞稀は悩んでいた。先日、桃井の情熱に負けて喫茶店で話した内容のことだった。
「社長が新たに条件を出してくれました。京都のご実家の維持です」
京都の実家、それは瑞稀の母が瑞稀を育てながら働いて購入した二LDKのマンションだ。
濠川に掛かる「であい橋」が目の前に見えるマンション。春になると桜が満開になる伏見の人気スポット。
なにより幼いころからの母とふたりで過ごした思い出の場所。
この場所だけは絶対に手放したくない。瑞稀はそう思っていたが、そのためには、高校を卒業したら就職も視野に入れなければならず、ミュージカルの舞台に立つことは難しくなる。東京での生活費、学費に加えてレッスン費まで持ってくれるのなら安心して打ち込める。桃井の提案は魅力的だった。
しかし、引っかかるのは、桃井の事務所がアイドルの事務所ということだった。
桃井が言うには、アイドルでもトップクラスになれば、ミュージカルも映画や舞台、グラビアまで向こうからお願いされるくらい来ます。それだけの素質を瑞稀さんは持ってるんです。うちの事務所は瑞稀さんを万全な体制でバックアップさせていただきます! とのこと。
まあ、芸能界なんて、お母さんが言うには、ヤクザな世界だし、話半分で聞いとこう。と、思っても魅力的なことには変わりない。働きながら寝る間も惜しんでバイトしながら目標を目指し続けるのか、レッスンに集中できる環境を選ぶのかの二択だった。
今日は、いつものレンタルスタジオ「ジミーちゃん」で、十一月の選考会に向けての練習だ。十一月は京都の有志の軽音部が集まって開催する、ライブハウスでのジョイントコンサート、通称「ジョイコン」だ。
ライブハウスという、高校生にはとても魅力的な場で演奏したい! と、舞星と、ののかがノリノリで作戦を練っている。その日、瑞稀はみんなに悩みを打ち明けた。
さすがに将来の進路を決める決断に、返答はなかなか返ってこなかったが、環が口を開く。
「どっちにするかは多分、うちらには言えん。でも、瑞稀には目標を叶えてほしい」
それを聞くとののかは言う。
「瑞稀、相談するってことは、どっちか決めとるんやん? うちらに背中押してほしいっちゅーことやろ?」
ののかの言葉を受けて舞星が言う。
「でも、芸能の世界は厳しいって聞くから、慎重に考えて決めな」
「まあ、こればっかは、本人の意思の問題やからなぁ。でも、うちらが知ってる瑞稀は、どんなことでもへこんだりしいひん。なあ、たまちゃん」
環は立ち上がって言う。
「瑞稀が決めたならどんなことでも応援する。瑞稀のお母さん言ってた。うちらみんな娘やって。そしたらうちら家族やん。違う?」
瑞稀は環をまっすぐ見て言う。
「違わへん。うちはひとりぼっちやないからな」
「残念なお姉ちゃんもおるし」
ののかが笑うと舞星が「どういうことー」と肩を揺さぶる。いつもの風景だ。
「うちからしたらみんな最高のお姉さんや。そばにいてくれてありがとう」
「うん、ずっと一緒やで!」
環はにこやかに笑うと最高の笑顔を見せる。
「あら、たまちゃん、また涼子に突っ込まれるで」
優里がからかう。
最高の家族であり、最高のバンドだった。
その日、瑞稀は桃井に電話をした。
「よもゆりプラス」は、十一月の選考会で見事にジョイコン出場を決めた。曲は岡崎舞星が、作詞はなんと優里という意外なコンビの新曲だ。アレンジはもちろん伊藤ののかが務める。
学園祭で演った曲は、あれ以上の演奏をするのは難しいという理由でもっともっと成長してからやることに決めた。
十二月のある日、グループチャットに瑞稀からメッセージが届く。
『たまちゃん、優里、のんちゃん、舞星ちゃん。みんなに黙って行くの許してね。やっぱり顔見ると挫けちゃうから。私は頑張る!みんなも頑張れ! みんな大好き。最後にたまちゃん、うちと友達になってくれてありがとう』
「行っちゃいましたな」
優里が寂しそうに言った。
「でも、うちら家族やし、いつでも会えるわ」
ののかが言う。
「全く、紅葉館のジュリエットはいつも突然ね」
舞星が寂しそうに呟いた。
「いつか、きっと一緒に演奏できる。うちは瑞稀を信じてる。やろ?」
環が空を見上げ、大空に手を伸ばして言う。
優里が、ののかが、舞星が、大空に手を伸ばした。
「うちらは、ハートビート・クラブ・バンドやから!」
エピローグ
小さいころの夢を見た。
それは、母が三泊四日の研修で、伊豆の修善寺に行くことになった日だ。
その間は、おばあちゃんが泊まりに来てくれることになっていた。
「いやー、いやー、ママ行っちゃいやー」
幼い瑞稀は泣き叫び、駄々をこねた。
さすがに困った顔をして祖母を見る母。
祖母もなにもできないわという顔をして答える。
「そや、ママ、出張行ってる間、瑞稀にお手紙書いとくから一日ずつ読んでな。そしたら寂しくないやろ」
母はそう言うと、ふすまにクレヨンで絵を描き始めた。母が話してくれるお話の中でも、瑞稀が一番楽しみにしているムーミン谷の絵だった。その下に『一日目』『二日目』『三日目』と書き込んでいく。
日付の下に画用紙を貼り付け、瑞稀に言った。
「一日ずつ、この画用紙を剥がすんやで。そしたら、ママから瑞稀へのお手紙が書いてあるからな」
瑞稀はその言葉にわくわくが止まらなかった。
期待に目を輝かせる瑞稀に母は言った。
「これでいい子にして待っててくれるな」
瑞稀は大きく「うん!」と頷くと、母の胸に飛び込んで言った。
「ママ、世界で一番愛してるー」
――おわりーー
35年思い描いてきた作品に幕。完結しました。
「青いウサギはそこにいる。」完結しました。
他社ですが、賞に応募するという無謀な挑戦をしてみましたが、ラノベの猛者が集う賞に小説初心者のわたしが参加するなんて烏滸がましいと思いましたが、参加することに意義があると思ってます。
今は物語を描き終えたという充実感でいっぱいです。登録して一話を書いたのが約2年。2年間たくさん考えて常に頭の中でキャラクターたちの事を考えてました。
プロットを細かく作っていたのに、キャラクターが暴走して話しがいい方向に膨らむという経験もさせてもらえたのは嬉しい副作用ですね。とにかく、約12万文字。こんなに長くなるとは思いませんでしたが、無事完結できました。
筆がのるという経験もさせてもらいました。1から9話まで1年10ヶ月もかかったのに、ラスト3話は2ヶ月、と、いうよりほぼ10日くらいで一気に書き上げました。
随時、書き直していく予定です。
幕間になるストーリーもたくさんありますが、一旦これにて物語は完結です。
ありがとうございました。




