ONE DAY②
夏も終わり、肌寒い風が吹く十月初旬、桃井はるかは京都にある紅葉館伏見学園高等学校へ来ていた。
彼女は、薙原プロダクションという芸能事務所で、マネジメントの仕事をしている。彼女の目的は、増田プロダクトカンパニー主催、二・五次元ミュージカル「生々流転の反逆者」のオーディションに応募してきた「森沢瑞稀」という女生徒に会うためだった。
所属する『後藤紗代子バレエスクール』へ連絡しても「退団して連絡先は教えられない」と相手にもされず、応募プロフィールにある電話や手紙に連絡しても繋がらず、通っている学校を突き止めて教師に連絡したいことがあると伝え、学校側に説明だけはさせてもらえることになった。今の時代、自宅の前や道で張り込んでコンタクトを取るような行為は、コンプライアンスが許してくれない。
それで、学園の関係者に話を通してもらい、この学園へやってきたのだ。
校長、担任の教師に事情を説明し、できれば本人に直接会って話がしたいと懇願した。
長い時間待たされたが、ようやく本人が面談室へやってきた。もちろん、安全のために担任教師も同行している。
スラッとしたバランスのいい肢体に長く細い手脚、長いまつ毛に輝く瞳、そして均整のとれたフェイス。高い位置でまとめられたポニーテールが余計に魅力を輝かせていた。
彼女が入ってきた瞬間、桃井は緊張して立ち上がった。いつもより深いお辞儀。それは、この女性にひれ伏すのが喜びと言わせんばかりの行為だった。
瑞稀は不思議そうな、そして決して警戒を解かない表情で問うた。
「どちらさまですか?」
「はじめまして、私、東京の「薙原プロダクション」という芸能事務所でマネージャーをしている桃井はるかと言います。今日は、森沢瑞稀さんにお話があって来ました」
桃井はそう言うと、両手で名刺を瑞稀へと差し出した。
「芸能事務所? マネージャーが私になんの用です?」
瑞稀は、名刺も受け取らずに言う。
「増田プロダクトカンパニーの二・五次元ミュージカルのオーディションを受けられましたよね。私と弊社の代表が、あの場所にいまして、最終審査の会場でお話をさせていただきたかったんですが、森沢さんは欠席されてオーディション会場にいらっしゃらなくて……その、お母様がお亡くなりになったと聞きました。お悔やみ申し上げます」
「はぁ……」
瑞稀は不機嫌そうに答えた。今の瑞稀は、環に会う前の「紅葉館のジュリエット」と呼ばれたころの警戒心を持って、桃井に接していた。今にも踵を返し、面談室を出ていきそうだ。
「二次審査の最中に、社長と『あの子はいい、あの子がいい』って言っていたんです」
桃井は再び頭を下げる。今度はさらに深く、深く。
「ちょっとやめてください、大人でしょ? 恥ずかしい思わへんのですか?」
瑞稀はキッと睨んだまま言った。
「恥を忍んで言います。東京に来て、私たちと一緒に芸能界の頂点を目指しませんか? あなたなら、いや、あなたしかできないって思ったんです」
桃井は顔を上げ、まじまじと瑞稀の目を見る。その瞳は吸い込まれるように深く、綺麗だ。オーディションで見たときよりも数倍綺麗になっている。なにが彼女を成長させたかわからない。でも、今の彼女なら、芸能界のトップを取れる。そう確信した桃井は、社長の薙原が提示した条件を瑞稀に伝える。
東京での衣食住の生活費、高校への編入と卒業までの費用、希望するレッスン費を全額負担、事務所は中堅だが、大手に強いパイプがあること、そして事務所のトップとして仕事をとっていくこと。最高に魅力的な提案だった。今の芸能界では上位の待遇だ。しかし桃井は、瑞稀にはそれだけの価値があると確信していた。
そんな熱い眼差しで語る桃井に瑞稀は「無理ですね」と一言だけ言うと、礼をして相談室を出て行った。
呆気にとられる桃井。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。教師に挨拶し、学園を出ると、瑞稀の下校を待ち、大声で言った。
「森沢さん、チャンスなんですよ!」
そして桃井は恥も外聞もコンプライアンスも投げ捨て、それから毎日瑞稀の下校を待った。
十日も経ったころだろうか、下校時の瑞稀が桃井を見てこう言った。
「なんなんですか、あなた」
その冷たさの中に自身のチャンスが少しでもあるのを確信した桃井は狂喜したのだった。




