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青いウサギはそこにいる。  作者: 鈴木志稀
溢れ出すミュージック

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45/50

溢れ出すミュージック③

 大学病院の救急受付を終わり、瑞稀みずきが救急の処置室を訪ねると、母はストレッチャーの上で、ひとりで横になっていた。瑞稀みずきが近くに行くと、寂しそうな顔をして言った。

「みーちゃんごめんな、明日オーディションやのに」

「そんなことない。うちがずっとついとるから、大丈夫やから」

 そのとき、「症状は落ち着いていますんで、先生から説明があります」と、看護師に呼ばれる。

 瑞稀みずきが処置室の先にある小部屋に通されると、若い医師がレントゲンの写真を見せて言った。

「カルテも見せてもらったんですけど、今撮ったレントゲンでも変わりが見えないのと、救急隊の応急処置の報告から見ても大丈夫そうです」

 若い医師はそう言うとニッコリと笑顔を見せ、続けて言った。

「どうします? このまま帰っても大丈夫ですし、一晩入院していきます?」

 その言葉に安堵したが、心配なので一日二日入院するようお願いする。

 そのとき、ふと気になって瑞稀みずきは医師に尋ねた。

「私、明日東京に行かなきゃいけないんですけど、難しいですよね?」

 その問いに医師は明るく「大丈夫、大丈夫。入院もされるし症状も落ち着いていますから。安心して行ってきてください」と言った。

 その医師の言葉に安心した瑞稀みずきだったが、オーディションは諦めようと決意した。医師はそう言ったが、心配でまともにできる状態じゃない。

 処置室に戻ると、母に足がちょっと寒いからと、家に戻って靴下を取ってきてくれへんかなと言われた。瑞稀みずきは母の手編みのルームソックスとカーディガンを持ってタクシーに乗った。病院に向かう途中、太陽が登り始めたのか、あたりは白くなっていた。

 

 病室に戻ると、母は笑顔で迎えてくれた。しかし、いつものような元気はなかった。

 瑞稀みずきは母にルームソックスを履かせ、布団の上からカーディガンを掛ける。

 母は、弱々しい笑顔を向けて言った。

「みーちゃんごめんな、カレー作れんで……」

「ううん、大丈夫。私がずっとそばにおるから早く元気になってね」

瑞稀みずき、今日オーディションやろ?」

「ううん、行かない。お母さんのそばにおる」

「あんなに楽しみにしてたんや、行きなさい」

「いやだ、お母さんを放って行けないよ!」

 瑞稀みずきは母のベッドに顔を埋めて泣きじゃくる。

 その頭を優しく撫でながら、強い口調で母は言った。

「行きなさい、みーちゃん。こんなことで夢を諦めるような娘に育てたんやないえ。お母さんの娘なら行きなさい。そして、自分の精一杯をぶつけてきなさい!」

 母はそう言うとニッコリ笑って続ける。

「みーちゃんは私の宝や、世界で一番愛しとるよ。頑張って行ってきなさい。みーちゃんがステージに立つの楽しみにしとるで」

 瑞稀みずきは母の目を見てしっかりと伝える。

「わかった、行ってくる」

 瑞稀みずきはマンションへ戻ると、準備してあった黒のリュックを持って京都駅へ向かった。

 

 早朝の新幹線、指定席も難なく取れ、京都を出発した。

 席に座り、スマホを取り出すと、LINEを起動してバンドのグループに『昨日の深夜にお母さん倒れて救急車で運ばれた。今落ち着いてて、先生も大丈夫って言ってるからひとりで東京に向かってる』と、送信する。間をおかずに皆から心配を告げるメッセージが届いた。それに返信するころ、新幹線は名古屋駅を出発する。

 名古屋駅を出て、「次は新横浜に停まります」とアナウンスが流れる。と、そこに見知らぬ番号からの着信が瑞稀みずきのスマホにかかってくる。嫌な予感を殺してデッキに出て着信をとると、看護師と思える女性がこう告げた。

『京都福祉大学病院の看護師、福田ふくだです。今、先生に代わりますね』

『京都福祉大学病院、当直医の飯田いいだです。今、お母様が危篤状態になられました。延命を希望しますか?』

 当直の医師と名乗る男は事務的に告げた。

「え? ちょっと待ってください、さっき大丈夫って言いましたよね?」

『急変です。危篤状態になられました。早急な判断が求められます。延命を希望しますか?』

 医師は冷たく言い放つ。

「待ってください、よくわからないし判断もできません。折り返しますんでちょっと待ってください」

 瑞稀みずきはそう答えると、親戚の叔父さんとおばさんに電話をかける。しかし、どうしようと問う瑞稀みずきに『わたしらには判断できん、瑞稀みずきちゃんが判断しなさい』としか言ってくれない。その間にも病院から着信がある。かけ直すと、先ほどの医師が出て、『今、お母様が息を引き取りました。何時ごろ来れますか? そのときまで呼吸器は外さないでおきますので』と言った。

 目の前が真っ暗になった。「息を引き取った……昨日大丈夫って言ったのに……」瑞稀みずきはデッキで膝から崩れ落ちる。

 ゴトン、と、スマホが手からこぼれ落ちる。そのとき、ある顔が脳裏に浮かぶ。瑞稀みずきはグループチャットを開けて通話ボタンを押す。短い着信音の後、「はい」と、眠たそうなたまきの声がした。

「たまちゃん、どうしよう、お母さんが死んだって」

 突然の連絡にたまきは飛び起きた。

「どうしよう、どうしよう」

 泣きじゃくる瑞稀みずきの声にたまきは答えた。

『落ち着いて、瑞稀みずき。今どこ? 病院? どこにおるん!?』

 瑞稀みずきは答える。

「今、新幹線の中。名古屋を出て、新横浜に向かっとる。名古屋出たときに連絡があって……新横浜まであと一時間もかかるみたいで……うち、どうしたらええかわからない……」

『落ち着いて、瑞稀みずき。新横浜に着いたら電話して! 切符買って早く戻ってくるんや。それまでうちらが先に病院行くから!』

「わかった、ありがとう……」

 新幹線は東京に向けて走っている。「次の停車駅は新横浜」とアナウンスが告げる。母が亡くなったというのに、私は逆方向へ向かって走っている。その事実が重く瑞稀みずきを苦しめた。

 

 たまきはグループチャットにメッセージを残すと通話ボタンを押し、全員に瑞稀みずきの状況を話し病院へ行くように連絡した。

 

 新幹線のシュン、シュンという音が瑞稀みずきの心を通り抜けていく。そして一時間後、新幹線は新横浜駅へ到着した。

 フラフラとホームに降り、グループチャットに連絡をする。

 たまきの声が聞こえる。優里ゆうりのも、舞星まいせの声も。そしてののかが言う。

『落ち着いてな、新幹線を降りたらホームを降りて窓口で切符を買うんや。そんで京都駅に着いたらタクシーに乗り、うちが病院の前で待っとるから』

「うん、うん」

 もう声にならない。瑞稀みずきは言われた通り、ホームを降りて、窓口で切符を買い、ホームに戻ろうとする。と、エスカレーターの前に母が言っていた赤いシュウマイのお店が見えた。

「お母さんに買っていかないと……」

 そう呟くと、ふらつきながらも一番大きいシュウマイの箱を買った。

 

 そこからはよく覚えていない。タクシーが病院に着いて、ののかに抱きかかえられるように病室まで行った。

 ベッドには母が横たわっており、たまきをはじめバンドメンバー、叔父、叔母が立っていた。

 瑞稀みずきは、よろよろと母に近づく。人工呼吸器が繋がれ、母の胸が不自然に動いている。

「それでは呼吸器を外させていただきます」

 看護師は慣れた手つきで母のマスクを外し、機械を病室の外へ運び出す。

 母の手を取り、息をせずに眠っている母を見つめる。手のひらから温かさは感じなかった。口元には拭ききれなかった血が滲んでいる。

「お母さん、頑張ったな」

 そんな瑞稀みずきを見て我慢できずにたまきは泣き出した。

「お母さん、最後に一緒にいれへんでごめんな」

 そう言うと、瑞稀みずきはベッドに顔を埋めて泣いた。

 

 その後、葬儀では瑞稀みずきが立派に喪主を務め、火葬をした後、連絡が取れなくなった。

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