溢れ出すミュージック②
瀬名に師事することで、瑞稀は少しずつだが、自信を取り戻していた。
みんな同じことを言う。音程やリズムは正しく、楽譜に忠実に。そして表現力が大事。でも感情を入れて歌っても、オーバーな表現になっているんじゃないかと瑞稀は感じていた。しかし、瀬名の言うことは違った。リズムは崩す、音程は不安定でいい、表現力は魅せる技術だと言い切る。この変わった指導が、頑固で意固地な瑞稀にはピッタリハマった。基礎をしっかりやってきた瑞稀ならではのやり方なんだと瀬名は言った。
瑞稀の変化はバンドのメンバーにもしっかりと伝わっていた。練習曲も今までとは違う力関係が動いている。
ののかは、そのタイミングを見計らって学園祭で演奏する曲を発表した。
「今度の学祭でやる曲は舞星が作った曲にしよう思う。瑞稀にお願いした詩も出来上がってきたんで、皆で意見出し合うて完成に向かって頑張ろ!」
その日から曲の練習が始まった。あのとき、喫茶店で舞星が渡し、ののかが特によかったと言った三曲目のミディアムバラード。よもゆりプラスとして初めてのオリジナルソング、皆で作り上げる楽曲。ののかはひとりひとりがしっかりとした見せ場がある曲にすると意気込んで、練習中でも「ここはこうしてみよう」「今、思いついたんやけど」と、曲をよりよいものへと変えていく。
演奏中、瑞稀が演奏を止める。
「たまちゃん、そこ音が出てきすぎやから歌いにくいんやけど」
環は何も言わない。瑞稀が自信を取り戻して、環は逆にやりにくくなり、バンドのギクシャクした演奏は、よくなるどころか悪化していた。
そのとき、瑞稀の母、尚美から連絡が入る。退院が決まったようだ。
翌日、瑞稀が母を迎えに行った際、看護師に「病状についてご家族の方に説明がありますので」と、面談室に案内された。
初老の医師がレントゲンを見せながら説明する。
「お母さんの場合、左心室の心房と心室の間にある弁がうまく作動していないんだよ。 それで呼吸が苦しくなったり、不整脈が起こったりするのね。でもなぜうまく作動していないかがわからない。で、このまま入院していても変わらないから、一旦退院してもらって通院しながら様子をみようということになりまして」
瑞稀は黙って説明を聞いていた。それは安心できるものではなく、長い闘病を感じさせるものだった。
瑞稀は、今度は私が母を支えていくんだと思った。
説明を終え、退院準備をしていた母の病室へ向かうと、母は瑞稀の姿を見て「あ、やっときた」と微笑んだ。
同室のおばちゃんたちから「元気でねー」「化粧品買いに行くわ」「退院したらランチ会しましょ」と声をかけられ、上機嫌に「連絡しますわー」と返す母を見て、先ほどの心配を少しの安心が包んでくれた気がして瑞稀はホッとする。
「とりあえず通院して様子みようってな。あー、みーちゃんに世話かけてしまうなぁ」
母がそう言うと、瑞稀はしっかりと言った。
「今までお母さんにずっと迷惑かけてきたんやから、色々うちに任せてな!」
「オーディション、こんなやし東京まで行けへんかもなぁ。そや、たまちゃんやのんちゃんに頼んで一緒に行ってもらうのはどや? 新幹線の切符もあるし、ホテルもとってあるから旅行気分で行ってきて。その代わり、お土産買うてきてな。この前のオーディションのとき、帰りに東京駅で買うた鯵の押寿しもおいしかったやろ? あれも東京にいた頃の思い出の味なんやけど、もうひとつおすすめがあるねん。横浜の赤い箱のシュウマイ。あれ、あったこうても冷たくてもおいしゅうてな」
「わかったわかった。わかったからもうはよ帰って横になろ。疲れるやろ」
ちょうど通りがかったタクシーを停め、自宅へと向かう。
「そや、カレーの材料買うてきて。明日はみーちゃんの好きなカレーにしような」
瑞稀は「うん」と答える。
その夜は一緒の布団で眠りに落ちるまで話をした。瑞稀にとっても、母にとっても幸せな時間だった。
翌日、瑞稀はバレエの水森先生に会い、しばらくレッスンに行けない旨を伝え、バンド練習がある「ジミーちゃん」へと向かった。
先に来ていた四人は、瑞稀が来るや『お母さん大丈夫?』と口々に聞いてくれる。心細かった瑞稀にはありがたい味方だった。
「ありがとうみんな。でな、今週の日曜オーディションで東京行くんやけど、お母さん行けへんやん。お母さんが言うには、ひとりやと心配やから、誰かについていってもらえ言われたんよ」
目を合わせずに言う瑞稀の姿は、お母さんと行けない寂しさをにじませている。
「心強いのはのんちゃんやない? 一番しっかりしとるし」
優里がののかを見ながら言う。
「うちはええけど、瑞稀はほんまにそれでええの?」
ののかは瑞稀をじっと見つめて言った。
しばらくの沈黙を経て瑞稀は言う。
「うち、たまちゃんがええ。たまちゃんに見守ってほしい」
瑞稀がそう言うと、環は狼狽えた。ここのところ、無意識に瑞稀を避けてきた。
「うちは……」
「環が大丈夫なら、うちも環がええと思う」
ののかがそう言うと、優里も「そやね」と同調する。
「環なら狂犬やから変なヤツが来ても大丈夫やろ」
舞星がイヤミっぽく言うと、環はくちびるを尖らせて「舞星ンは一言余計なんよな」と言う。
「マイセンとか言うな!」
舞星はぷりぷりしながら環に突っかかる。場の空気が和らいだのを見て瑞稀は環に聞く。
「たまちゃんダメ?」
環は肘を抱え、ぷいと横を向いて言った。
「瑞稀が来てほしいなら……」
瑞稀は笑顔で「ありがとう」と伝えた。
オーディション前日、深夜二時ごろ、瑞稀は「バタン」という物音で飛び起きた。
部屋から出ると、母がうめき声をあげながら倒れている。
「お母さん、どうしたの!? お母さん!」
必死に呼びかける。母は途切れる声で言う。
「息が、息ができへんの……」
瑞稀は部屋に行くとスマホを持って救急車を呼んだ。
母をなんとかベッドまで連れて行き、声をかけ続ける。
途方のない時間が過ぎたように感じたが、五分ほどで救急車のサイレンが聞こえた。
「お母さん、もう大丈夫だからね!」
母の手をしっかりと握って励ます瑞稀。
救急隊の手で、母はストレッチャーに乗せられて救急車へ乗せられた。
救急隊員が処置をしながら瑞稀に言う。
「今、受け入れ病院に確認していますので、必要なものを取ってきてください」
瑞稀は急いでマンションに戻り、病院のカードなどが入った母の財布と上着を持って救急車に戻る。
救急隊員が言う。
「気持ちが悪くなって吐いたそうです。そのときに吐いたものが詰まったようでして、今、入院していた京都福祉大学病院が受け入れ大丈夫の返事をもらえましたので向かいます」
救急車の中では、サイレンの音に紛れて母の呼吸音が響いていた。瑞稀はギュッと母の手を握りしめて「お母さん大丈夫だからね」と、声をかけ続けた。




