普通のエクスパート③
同じ頃、岡崎舞星もクラスの友人たちとお昼を食べていた。
ピリついた軽音部とは違い、和やかな空気が流れている。教室の窓から差し込む日差しが心地よく温かい。
「なあなあ舞星、チョコビス食べん? グミもあるよ。あ、うちな、最近ラムネのソフトグミにハマってるんよ。ちょっと食べてみん?」
舞星の友人、山口春奈がスクールバッグからお菓子の袋を取り出した。
「あ、私ちょっとだけ太っちゃってな、ダイエットっちゅうか」
「なになに舞星、二キロくらい?」
お菓子を広げながら春奈が聞くと、一緒に机を囲んでいたあかりが、チョコビスを摘みながら舞星に笑いかける。
「舞星はそのちょっともちもちしたのがええんよ。ダイエットなんかしたらあかんわ」
そう言って、チョコビスを舞星の口に近づけ「はい、あーん」と迫った。
「やめてやー!」
友人とふざけ合う舞星の顔には、軽音部の悩みなど微塵も感じられない。考え込むより、ずっといい。それが「普通の女子高生」の姿なのだから。
舞星は、自宅では東京出身の父に合わせて標準語だが、学校では周囲に合わせて京都らしい言葉を喋る。
「じゃあ、グミだけいただくわ」
舞星は、春奈がハマっているというラムネのソフトグミに手を伸ばした。
「あ、明日の放課後にMOMOテラスに服見にいかへん? うちなぁ、キャメルのカーディガン欲しいんよ」
「今、夏やけどなぁ」
キャメルのカーディガン……。伊藤ののかがいつも羽織っているやつだ。舞星の胸に、もやもやとした感情が走る。
「あかりはそのネイビーのベストが似合ってる思うよ」
動揺を見透かされないよう言葉を返すと、あかりは自分のベストの襟を摘んで「そう?」と笑った。
「舞星のあざといグレーのパーカーくらい似合っとるわ」
春奈の茶々に、いきなり流れ弾が飛んできた。
「どこがあざといん? 普通のJKとちがう?」
舞星は唇を尖らせて春奈に言い返す。
「そんなこと言うなら買いもん付き合わんよー」
「あー、うそうそ、甘味屋でアイス奢るから許してーな」
舞星は腕を組んで「ふふん」と勝ち誇った笑顔を見せた。
「やから、そのちょっともちもちは維持してな」
「やめてって!」
ぷりぷり怒る舞星を見て、友人たちは笑う。つられて舞星も笑顔になった。この穏やかな空間を、ずっと大事にしたいと心から思った。
翌日の放課後。環、優里、涼子の三人は瑞稀と合流し、大手筋にある粉もん屋の前にいた。焼きたてをそのまま手渡され、店先で食べるスタイルだ。
「あんバターとカスタード。うーん……」
環が真剣に迷っているのを見て、瑞稀が不思議そうに言う。
「なんであんバターとカスタードで悩むん? あんことあんバター、あんまし変わらへんよね」
「いや、スタンダードなあんこは食べるやん。でも、バターかぁ……」
環の深刻な悩みに、涼子が横から口を出した。
「あ、たまちゃん、また眉間にしわ寄せてるよ」
「寄せてないわ!」
環は一層深く眉間に皺を寄せて言い返した。
「涼子は悩み無いし、よろしおすなぁ」
たこ焼きを上品に摘みながら、優里が冷ややかなツッコミを入れる。
「あ、そんなことないって。悩み、いっぱいあるんだよ」
「そうでしたか。ほな、うちが聞いて差し上げましょか?」
優里に詰め寄られ、涼子は思わず口ごもる。
「言えへんの? いっぱいありますんやろ、さあ、言ってみ」
涼子は悔しそうな顔をして瑞稀に抱きついた。
「瑞稀ちゃーん、優里がいじめるよぉ!」
「なに言うてますの。悩みを聞いてあげる言うてんのに」
優里は「さあ!」と両手を広げて迫る。笑顔のわりに威圧感のある優里を見て、瑞稀が呟いた。
「優里の、知らない一面を見たわ……」
驚きながらも、瑞稀は抱きついてくる涼子の背中をぽんぽんと叩いた。その様子を見て、環は我慢できずに吹き出した。
「え? なに? たまちゃん、なんで笑ってるの?」
「いや、翻弄されてる瑞稀がおもろくて」
「あ、ひどい。たまちゃん、そんなこと言うんや」
膨れる瑞稀を見て、優里も一緒に笑った。
「ああ、そうだ!」
涼子がいきなり叫び、瑞稀から離れる。
「角の甘味屋さんに行くんだった!」
彼女はくるくると回りながら甘味屋の方へ歩き出した。優里は「はぁ」と溜息を漏らす。
「まぁ、甘いもんは別腹ですからなぁ」
「いつも、こんな感じなんだ」
瑞稀がきょとんとして環に問う。
「仲良しやからな。もう瑞稀も一緒やで」
瑞稀は少し照れながら「うん」と返事をして、環と共に先を追った。
一方、MOMOテラスでお目当ての服を買った舞星たちは、大手筋のミスタードーナツへ向かうため市営バスに乗っていた。舞星は昔から、オールドファッションとダブルチョコレートにホットコーヒーを合わせるのが好きだ。昔観た映画の影響で始めた「ドーナツをコーヒーに浸す」食べ方は、彼女にとってほんのり大人の味がする。
ワクワクしながらドアを開けたが、店内は満席だった。
「あれ? これは無理ですね」
春奈が店内を見回して言う。思案の末、あかりが勧める近所の甘味処へ行くことにした。
「三名でーす」
舞星たちが少しおどけて入店したが、そこも賑わっていた。ふと店内を見ると、同じ制服のグループがいる。舞星はその顔に見覚えがあった。
――四方田環。伊藤ののかと同じバンドの一年生。
舞星の表情が、一瞬でキッとした鋭いものに変わった。
「どうしたん舞星? 怖い顔して」
あかりが不思議そうに尋ねる。
「あそこ、軽音部の一年やない?」
春奈も奥の席の四人組に気づいた。
環たちは、甘味処で繰り広げられる涼子と優里の掛け合いを楽しんでいた。
ガラン、と入り口のドアが開く。同じ制服のグループが入ってきた。その中の一人の顔を見て、環は驚きに目を見開いた。
ガタッ、と椅子を鳴らして立ち上がる。険しい顔で戦闘モードに入る環。瑞稀がその視線の先を振り返る。そこにいたのは、平井のバンドで弾いていた、あの先輩だった。
「平井の……」
その呟きを聞いて、優里も振り向いた。そこには、敵意を剥き出しにした先輩が立っていた。
優里はゆっくりと立ち上がると、自分たちを睨みつける小さな先輩に向き合った。
「先輩、お疲れ様です。うちら、部活もお休みですんで遊びに来てました。……うちらもう行くんで、ここの席使ってください」
涼子が「え? なに?」と狼狽えるが、優里のいつもとは違う気配を察して口を閉ざした。
「みんな、行きましょか」
優里が言うと、環も瑞稀も無言で席を立ち、会計を済ませた。
舞星たちとすれ違う際、環が大きく息を吐く。それを聞いた舞星が叫んだ。
「ちょっと待って」
舞星は、伊藤ののかのバンドメンバーに言いたいことがあった。平井のことも、バンドの解散も、もうどうでもいい。
七月、伊藤ののかが復帰した選考会を観た。八月の映像も見せてもらった。けれど、そこには舞星が憧れた「伊藤ののか」はいなかった。
「あんたらがわちゃわちゃして遊んどるから、あかんのや!」
唐突な言葉に環たちが戸惑う中、舞星は言い放つ。
「あんなの、伊藤ののかの本気やない! あんたらの未熟な演奏が足引っ張って、伊藤ののかが本気出せんと違うか!?」
舞星の瞳には、やり場のない悔しさが滲んでいた。
あまりの熱量で叫ぶ先輩に対し、環たちは、一言も返すことができなかった。




