徒然なるままの果てに④
ギターのネックを握る環の指に力が入る。二度、三度と開いては閉じるのを繰り返し、緊張をほぐした。その様子を見て、ののかがピアノ音源でAの音を鳴らす。それに合わせて環もAの音で返し、優里のドラムが短く締めた。
昨夜、本番前の最後の練習でののかが提案した演出だ。オーケストラのようなチューニングをバンド編成でアレンジして曲前に披露すれば、これから始まるステージへの期待感を煽れる――。わずか五秒ほどのサウンドチェック。しかし、それは会場の空気を一変させ、何かが始まると予感させるには充分すぎる幕開けだった。
曲の始まりは環に委ねられた。
慣れないシェイクハンド。親指を六弦に回し、唸りを上げるようにリフが始まった。
(のんちゃんも、とんでもない曲を選んでくれたわ……)
環ならできる。ののかが信じてくれているなら、やるしかない。シェイクハンド、カッティング、そして空ピック。小五の時から欠かさず握り続けてきたギターだが、ここ数日は指先の感覚が麻痺するほど、徹底的にリフを体に叩き込んだ。
動画サイトで見かける伝説的なギタリストのような、しなやかでリズミカルな動きにはまだ届かない。けれど環は、積み重ねてきた全てをこのリフに込めて演奏した。
印象的なフレーズに、教室中の部員たちが息を呑む。その静寂を、優里のドラムが激しく現実へと引き戻す。ののかの狙い通り、完璧なタイミングで曲が走り出す。
選考会本番前の最後の練習に向かう前、環は父・洸平にアドバイスを求めていた。かつてBOØWYをリアルタイムで体感し、その衝撃でバンドを組んだという父だ。
「とにかくキレ良く、リズミカルに弾くことかな。あれは真似できるもんでもないし、環なりの解釈で弾くのがええと思う」
洸平は嬉しそうに答えてくれたが、その時はイマイチ納得できずにスタジオへ向かった。
「とにかく、雰囲気を持って演奏することや」
スタジオ『ジミーちゃん』でののかに言われた時も、環は「曲についていくのがやっとで、雰囲気なんて意識できない」と漏らした。ののかは少し考え、環にこう告げたのだ。
「ならこうしよう。どっしり構えて、『このリフを聴け!』って演るんや」
その言葉は、ストンと腑に落ちた。自分はいつもそう思って弾いてきたはずだ。必死に、全力で。
ののかは瑞稀の方を向き、言葉を重ねる。
「瑞稀も雰囲気を大事に。ボーカルはセクシーに、カッコよくな。瑞稀ならできる。やろ?」
「はい!」
「今回、うちと瑞稀はサポートや。うちらの本番は学祭のステージ。環と優里は、今まで黙って見てたこの軽音部をぶちのめしたれ!」
三人は「はい!」と、迷いのない、はっきりとした意思で応えた。
ボーカルの瑞稀が、ののかの指示通りしなやかに、そしてセクシーに歌声を響かせる。
サビに組み込まれたドラムソロでは、優里がリズムの限界まで激しく攻め立てた。
そして、ののかがアレンジした環のためのギターソロ。原曲へのリスペクトを込めつつ、さらに引き延ばされた旋律。環はネックを押さえる指と、握り込んだピックから目を離さない。それでも放たれる音は、「この音を聴け!」と衆目に訴えかけるには充分な説得力を持っていた。
部員たちの間から、感嘆の声が漏れる。もはやここには、彼女たちを拒むアウェイの空気など存在しなかった。
環が魅せ、優里が衝撃を与え、瑞稀が歌い上げる。今の自分たちが持つすべてを出し切った演奏。それは、ののかが確信していたこのバンドの真骨頂だった。
最後のサビを駆け抜け、曲が終わる。
この瞬間、彼女たちの学園祭ライブ出場が決まった。
そして同時に、そのステージから漏れたのは、演奏することすら叶わなかった平井の『ゼニスムジカ』。そのメンバーの姿は、もう会場のどこにもない。
やり切った笑顔の環と優里に向け、ののかが誇らしげにグッと親指を立てた。
呼応するように、三人もまた力強く親指を掲げた。




