すれ違いディストーション④
環たちは、中書島駅へ向かう電車の中にいた。
環が何度メッセージを送っても、既読すらつかない。瑞稀は完全に心のシャッターを下ろしていた。
「あかん、無視や……。あ! 優里、メイクグループのチャットに瑞稀ママおったやん!」
「……え、それはさすがに、バツが悪すぎるんと違います?」
「でも、うち瑞稀ママと週に何度かメッセしてるもん。仲良しやし」
「いつの間に……」
呆れる優里の横で、ののかが二人の背中にそっと手を置いた。
「……瑞稀の性格を考えたら、早い方がええ。選考会、もう来週やし」
ののかの言葉に背中を押され、環は瑞稀の母へメッセージを送った。数秒後、スマホが震える。
「もしもし、たまちゃん? 瑞稀、今バイトやねん。一時間くらいで帰ってくる予定やけど……」
「おばちゃん、今から家行ってもええですか? どないしても、今日中に話がしたいんです」
出会い橋近くのマンション。出迎えてくれた瑞稀の母は、三人の重苦しい表情を見て「どないしたん」と驚きながらも、リビングへ招き入れてくれた。
環と優里が言い淀むのを制し、ののかが静かに口を開いた。
学校の掲示板に写真が晒されたこと。自分が複数の男性と関係を持っていたこと。それが原因で、瑞稀に「もう一緒にやれない」と拒絶されたこと。
瑞稀の母はじっと目を閉じ、ののかの話を聞き終えると、ゆっくりと話し始めた。
「……あのな。瑞稀の父親……ウチの元旦那はな、酒に逃げて、最後は飲み屋の女とくっついてしもうた男やった。離婚する前にその女を平気で家にあげたりもしとってな。……瑞稀は、それをずっと間近で見てたんや。だから、あの子は人一倍、男女関係に対して潔癖で、激しい嫌悪感を持ってるんやわ」
「そう……だったんですか」
ののかが、責任を感じたように俯く。
「酔っ払って瑞稀のお腹を蹴り上げたのを見て、ウチがボコボコにして離婚した。……もう十年前の話やのに、あの子の中では、今もその時の『汚れ』が引っかかってるんやな」
その時、玄関が開く音がした。帰宅した瑞稀が、リビングにいる三人を見て立ち尽くす。
「……話すことはないって、送ったやろ。もう終わりや。はよ帰って」
拒絶する娘の腕を、母親が掴んだ。
「あんたな、友達が来てくれてんねんで。嫌なことから逃げて関係を切って、それで一生独りぼっちでええの? ここ数ヶ月、あんなに楽しそうにのんちゃんやたまちゃんの話をしてたんは、嘘やったん?」
反論できず、唇を噛み締める瑞稀。母は三人を椅子に座らせ、促した。
「……おばちゃんは古い人間やから、ののかちゃんの生き方を全部は理解できひん。でも、家まで来てくれるってことは、あんたも瑞稀と仲直りしたいんやろ? ……ののかちゃん、あんたの気持ち、聞かせてくれへんかな」
ののかは立ち上がり、瑞稀の目の前まで歩み寄った。鼻先が触れそうなほどの距離に、瑞稀が身を引こうとするが、ののかの瞳は逸らされなかった。
「……ウチ、人と距離感が違うんよ。子供の頃から家族に『可愛い可愛い』って抱きしめられて育って、それが普通やと思ってた。パーソナルスペースってあるやん? ウチは、他人とこれくらい近くても、全然平気なん。ドキドキも、不快感もない。……でも、その距離感で接してると、男の子は勘違いする。『俺のこと好きなんやないか』って。……それで身体を求められると、拒絶するのが可哀想になってまうんよ。求められるのは愛されてる証拠やと思ってしまうし、イヤでもないから、もうどうでもええって応じてしまう……。おかしいんよ、ウチ」
ののかの独白に、沈黙が降りた。瑞稀には理解が追いつかず、環と優里も衝撃を受けていた。
「……おかしないよ」
母が、ののかの肩を優しく叩いた。
「感覚の違いは誰にでもある。ただな、女の子の身体は大事なんや。簡単に許してると、いつかののかちゃんの心も身体もぶち壊れてしまう。そこは、気ぃ付けなあかんで。……それと、人様のもん(彼氏)に手を出すんは、揉めるからやめとき」
「……はい」
ののかが小さく頷くと、優里がソファから身を乗り出した。
「……大智とは、どうなってるんですか。腕、組んでましたやろ」
「大智は……一度だけ。でも、それからは友達。あいつは身体をしつこく求めてきたりせぇへんし、相談にも乗ってくれる。一緒にいる楽しいんよ。恋愛としての『好き』はわからんけど、あいつとの関係は切りたくない。……大切な、友達なんや」
環が、隣で震える優里の手を握った。優里は、ひとつ大きなため息をつくと、ののかに手を伸ばした。
「……のんちゃん。一緒にやろう。大智のことやら、もうええわ。ウチらは、のんちゃんと音楽がしたい。……瑞稀はどうや?」
「うちは……」
母が瑞稀をそっと抱きしめる。
「瑞稀、男と女の関係はもっと複雑なんや。自分の考えと違う人を全部拒絶してたら、あんなに大切にしてた仲間まで失ってしまうで。……ええの?」
「……いやっ!」
瑞稀は母にしがみつき、声を上げた。張り詰めていた糸が切れ、涙が溢れ出す。
「……瑞稀のめんどくささは、たまちゃん以上やな」
優里が「やれやれ」と肩をすくめ、場の空気を緩めた。
「ウチら全員、のんちゃんの音楽に惚れとるんや。やらないって選択肢、最初からないやろ。……選考会まで一週間。明日から、死ぬ気で練習やで!」
優里の言葉に、全員が力強く頷く。
ののかは、何も言わずに微笑む瑞稀の母へ、深く頭を下げた。
そこには、完璧ではない、歪なままの絆が、もう一度結び直された確かな熱があった。




