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青いウサギはそこにいる  作者: 鈴木志稀
すれ違いディストーション
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すれ違いディストーション②

 翌日、校内は昨夜の余波で騒然としていた。

 写真は軽音楽部のグループチャットから、面白がった部員の手で一気に外部へ拡散されていた。廊下ですれ違う生徒たちの口から漏れる「ヤリマン」「寝取り」という無慈悲な言葉。当事者である軽音楽部は活動を休止し、顧問の大和田を交えた幹部たちの緊急会議が続いていた。

「だから伊藤はどうしたん。なんで俺だけ詰められるみたいになってんの」

 平井は苛立ちを隠さず、幹部たちに言い放った。

「落ち着け平井。伊藤は今、顧問とスクールカウンセラーの水森さんと話しとる。……お前、あんなもんチャットに流すのはやり過ぎや」

 部長の長谷川が窘めるが、平井は一歩も引かない。

「こっちは大切なメンバーが被害に遭ってるんや。被害者はウチらやろ! バンドは家族同然や、その家族が同じ部活の女に彼氏取られたと聞いたら、頭にくるのが普通やろ」

 そこへ、顧問の大和田がやってきた。彼は懐中から取り出した扇子をバッと拡げると、二、三回仰いでから、めんどくさそうに口を開いた。

「いやー、めんどいわ。平井くぅん、なんであんなめんどいコトしたん?」

「悪いのは伊藤の方やないんですか? ほっといたらもっとややこしくなりますよ」

 大和田は頭を掻くと、教室にいる幹部たちにも聞こえるような声で言った。

「学校としては、大事にしたくない。……間に入ったるから、話し合って解決してくれ」

「俺らは被害者ですよ!」

「喧嘩両成敗ってところで手を打たんか? お互いそれが一番ええと思うんやけどな」

 大和田のにこやかな笑みの裏に潜む「黙れ」という圧に、平井は反論できずにいた。

 一方、部員が集められている視聴覚室。

 そこには、ののかを罵る声と、面白半分で相手の男を特定しようとする卑俗な好奇心が渦巻いていた。

「なんなのあの写真……。信じられへん」

「あ、見て。このホテルから出てきた男、これ二組の野々村やん。岡崎さんの彼氏やろ?」

「え、最悪。岡崎さん可哀想……」

 たまきの耳に、下世話な噂話が毒のように流れ込んでくる。その会話を聞き、平井が添えた『家族が被害に遭っている』という言葉が環の中で繋がった。

(……そういうことか。のんちゃんがバラ撒かれたんは、岡崎さんの……)

 教室の中程で、舞星まいせが俯いていた。そこへ二年の女子二人が近づいていく。

「岡崎さん、ウチらは味方やからね。元気出して」

「伊藤さん、酷い人やわぁ。同じ部活の仲間やのに……」

 その同情の声に、舞星の我慢の糸が切れた。

「……あたし、そこまでやって欲しいなんて思ってないし!!」

 舞星が椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、叫んだ。教室内が凍りつく。女子たちが逃げ出す中、舞星は「クソ……ッ!」と両拳で机を叩きつけた。

 その目の前に、環が立っていた。

「……のんちゃんが写真をバラ撒かれたのは、岡崎先輩に原因があるんですか?」

 舞星は答えない。環はより強い口調で畳み掛けた。

「のんちゃんがこんな目に遭ってるんは、岡崎先輩に、原因があるんですか!?」

「……あんたには、関係ないやろ」

「関係ある! このままじゃ、のんちゃんと一緒にバンドできひん!」

「そんなん知るか! あたしは平井くんに愚痴っただけや! こんな大事になるなんて、あたしなんかには想像できんわ!」

 舞星が教室から出ていこうとする。環は必死にその腕を掴んだ。

「……ピアノを聴いたんや。あの美しくて、切なくて、心が躍るような音。一人でも自分の理想の演奏が目標やったウチが、初めて『この人と一緒にやりたい』って思ったんや。だから、なんとかして欲しい。のんちゃんのピアノは、それくらい魅力的なんやから!」

「そんなん、知っとるわ!!」

 舞星が叫び、環の手を振り払った。

「「ウチら世代で音楽やっとって伊藤ののかを知らん奴はいない」

 教室中に緊張が走る。みんな舞星の次の言葉を待っていた。

「伊藤は関西ピアノコンクールの常連。……あいつの演奏を初めて聴いたあの日から伊藤ののかはあたしの憧れで、目標やった。でも彼女の演奏を聞けば聞くほど自分の才能の無さを痛感させられてわたしはピアノを辞めた。でも、いつか同じステージに立つために、あたしはベースに転向したんや。……なのにあいつは中二でいきなり消えて、再会したと思ったら『誰やったっけ』やと? 眼中になかったってことやろ! ……そこにきて彼氏まで寝取られた。惨めやろ。音楽でも、女としても負けて、挙句に存在すら認識されてないなんて!」

 舞星の悲痛な独白に、環も優里も言葉を失った。舞星は険しい表情で環を睨んだ。

「……平井くんに写真をバラ撒くよう頼んだわけじゃない。そこまで腐っとらん」

「じゃあ、うちらがのんちゃんとバンドを続けていくために、協力してください」

「……無理や。伊藤にどんな顔して会えばええかわからへん」

「平井は、ウチらやのんちゃんを潰そう思て先輩を利用したんやろ? 悔しゅうないんですか」

「……わかったわ。邪魔はしいひんし、なんかあったらフォローもしたる。……でも、それだけやで」


 その頃、生徒指導室。ののかは大和田と向き合っていた。

「双方謹慎三日、部活動二ヶ月の禁止。……これで手打ちや、伊藤」

「二ヶ月? 選抜も学祭も出られへんってことですか? ……先生、ウチ被害者なんですけど」

「穏便に行こうや。お互い落ち度もあるやろ」

 大和田の笑みを見て、ののかは察した。揉み消そうとしている。

「……先生。ウチの家、そこそこお金持ってるんですよね。入学の時の多額の寄付、ご存じですよね」

「それがどうした。今は関係あらへんやろ」

「関係ありますわ。ウチの兄貴、国立の法学部なんですけど、今めちゃくちゃ怒っとるんです。写真の投稿ページも会話ログも全部魚拓取って、父の会社の顧問弁護士と、どういう罪が適用できるか、放置した学校の管理責任をどう問うか、相談してるって言ってました」

 大和田の顔から色が消える。

「……軽い罰で揉み消せると思てまへん? 喧嘩両成敗? クソですなぁ」

 ののかの目は、驚くほど冷静で鋭かった。

「学校がなんて言おうと、ウチはとことんやる覚悟です。示談にも応じません。警察に全部持って行きますわ。そうなれば学校がどういう態度を取ったかも問題になりますね」

 大和田は観念したように両手を上げた。

「……まいった。降参や。落とし所は決まっとるんやろ、聞かせてくれ」

「謹慎三日は受けます。反省文も書く。でも、部活動禁止は受け入れられまへん。一生懸命やってきたバンドメンバーに迷惑かけたくないし。騒動に対しては『謹慎三日』だけでええやないですか。その代わり、平井には掲示板と個人のSNSに正式な謝罪文を載せてもらいます。……それで、許してあげてもええですよ」

 翌日、ののかの主張が全面的に認められた。


「……なんで俺が謝らなあかんのや!」

 顧問の大和田から正式な処分が伝えられて平井はその怒りをバンドメンバーへぶちまけていた。

「平井、落ち着け。今回はやりすぎた」

 谷川が静かに言う。平井は「舞星のためにやったんや!」と吠えた。

「……平井。お前、慶應の受験に失敗したコンプレックス、まだ引きずっとるんやろ。SNSで数字を集めて、エスカレーター組のボンボンらを見返したい。その為に軽音部部長の肩書きが欲しかっただけなんだろ? だから自分を否定してくる伊藤が、ウザかったんやないか?」

「うるさい……! 俺は正しいことをしたんや!」

 平井は捨て台詞を残して飛び出していった。残された舞星は、自分が平井の野望に利用されたていただけだと知った。

 谷川の弾くチューニングの音が、歪んで聞こえた。「今日は帰る」。舞星はそれだけ絞り出して、教室を後にした。

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