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美食牢  作者: 九藤 朋
美食牢 
9/58

腹下し

 今日の夕食は冷しゃぶだった。いつも通りに堪能し、いつも通り、美食で幸せに浸っているであろう鏡花のいる牢に行くと、どうも様子が変だ。見れば盆の上には手をつけておらず、鏡花が丸くなって床の上に転がっている。病気だろうか。心配になった宗太郎は、朱塗りの格子越しに呼び掛けた。

「おい、鏡花。どうした」

「宗太郎お~~~~」

 弱った猫のような声である。声が湿っている。泣いているのだろうか。宗太郎は牢の扉を急いで開けると、中に入った。

「お腹が痛い……」

「食べ過ぎか!?」

 訊いてから、鏡花に限ってそんなことがあるだろうかと思う。

「解らない。お腹がしくしくする」

「待ってろ。医者を呼ぶ」

 うん、と頷いた鏡花は、普段の十倍はしおらしく、いつもこうだと可愛いのに、と宗太郎は思った。果たして呼ばれた白髪の医者が言ったことには。

「軽い腹下しですな」

「大事には至りませんか」

「至りません。ほい、お薬」

 丸い丸薬の入った硝子瓶を渡された。

「朝晩に二錠、飲みなさい。じゃ、お大事に」

 後には虫のすだく音と、仔猫のように小さくなった鏡花が残された。

「おい、鏡花。とりあえず、浴衣に着替えろ。着物じゃきついだろう」

「うん……。あっち向け」

「はいはい」

 蓮の花柄の浴衣に着替えた鏡花は、しどけなく床に横たわった。宗太郎は常温の清水を入れた湯呑みを持って来た。

「ほら、薬を飲め」

「ん」

 鏡花の上半身を抱え起こして支えてやり、薬と湯呑みを渡した。鏡花は、今日に限っては従順に宗太郎の言うことを聴く。

「それからな、これ」

 そう言って、宗太郎は土鍋を差し出し、蓋を開けた。独特の芳香が牢内に満ちる。

「豆腐を煮崩した粥だ。お前のことを話したら、おとよさんが作ってくれた」

 粥には胡麻油がほんの少し入っていて、それが食欲を刺激する。優しく柔らかい口当たりの、養生食である。鏡花は(ちり)蓮華(れんげ)で粥を掬い、ふう、ふう、と息をかけて冷ましながら少しずつ食べる。日頃の大食漢振りとはまるで違う在り様に、宗太郎の庇護欲がそそられた。

「食べ終わった。美味しかった……」

「今日はグルメリポーターをしないんだな」

「私はそんなことをした憶えないぞ」

「そうかそうか。下げてくる」

 土鍋を載せた盆を掴み、牢の扉に向かおうとすると、宗太郎の着ている単衣の袖を、鏡花が摘まんで引っ張る。

「うん?」

「すぐ戻る?」

「うん」

 上目遣い、潤んだ瞳で尋ねられて、「諾」以外の返答が出来ようか。

 台所ではおとよが心配して宗太郎を待っていた。

「若様。鏡花様のお加減は如何ですか?」

「だいぶ落ち着いてましたよ。大丈夫です。おとよさんの作ったお粥を美味そうに食べてました」

「良かった……。若様、しばらく鏡花様について差し上げてくださいね?」

「その積もりです」

「理性を忘れてはなりませんよ?」

「……その積もりです」


 牢に戻ると、鏡花はすうすうと、寝息を立てて眠っていた。

「すぐ戻れとか言った癖に」

 呆れつつも宗太郎は鏡花の眠る傍に片膝立てて座った。牢内にはまだ、優しい粥の匂いが残っている。持参した文庫本を読みながら、宗太郎はしばらく鏡花が眠る牢内に留まった。虫の清らな音色はいつも通りで、これでは邪心も起こらないな、と宗太郎は軽く苦笑いした。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 「食べてよし。囚われて愛おし。病んでなお愛しき」でありますな(ꈍᴗꈍ) [気になる点] 特にありません! [一言] ご快癒を!お粥だけに(*ノω・*)
[良い点] なんだかんだで想い人の面倒を一から十まで見る宗太郎はイケメン……。 [一言] おとよさんおっとりに見えて結構いい性格してるな。
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