透けて見えるところに
焼肉には人のテンションを上げる何かがあると宗太郎は思う。
朱塗りの格子の向こう、国産牛に塩をつけて頬張る鏡花の幸せそうなこと。雅な電灯の下、美食に耽る美少女の姿は、舞台の上の芝居のようでもある。漂う空気は肉の香ばしい匂い一色だ。
「たまらんな。これにゲランドの塩をチョイスする、おとよさんのセンスにも脱帽だ」
もぐもぐと食べつつ、おとよ賛辞を欠かさない。今日は蘇芳の地に黒い大輪の百合柄の着物を纏い、その着物を汚さぬよう前掛けを掛けた鏡花は、唇の紅も蠱惑的で、そこが開かれ牛肉を迎え入れる様を見ていると、何やらいけないものを見ているような気になる。歯が真珠みたいに白い、などと宗太郎はぼんやり考える。そして、見ていた宗太郎の胃も刺激されてぐ、ぐうう、と鳴いた。夕食は既に終えたというのに、と赤面しつつ腹を押さえると、鏡花と目が合った。にんまりと鏡花が笑む。
「宗太郎。味噌お握りがあるが、お前もおとよさんに貰って来たらどうだ?」
「いや、俺はもう食べたから」
ぐううううう。
「…………ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃい」
そうして鏡花は牛肉の箸休めに味噌お握りをゆっくり味わう。お握りは大きく、天辺と中に合わせ味噌がある。白米は適度な塩気を含み、ほっかり温かい。すぐに戻った宗太郎も、牢の前に座り、お握りを食べ始めた。
「肉も美味いが、お握りも絶品だな」
「ほう。宗太郎にも判るようになってきたか。そう、この絶妙なバランスの味加減を作り出すことの至難。宗太郎もおとよさんを見習えば良いのに」
「……俺は料理はしない。そういうのは……」
「女の仕事? へーえ。ふうーん。お前、旧弊だな」
もぐもぐとお握りを食べつつ鏡花にずばりと指摘され、宗太郎は苦い顔になる。亡くなった鏡花の母・白衣太鳳は、仕事も家事も育児もそつなくこなす美貌の超人だったと言う。そんな母を見て育った鏡花が、おとよを尊敬し、宗太郎に呆れる気持ちも解らないでもない。だが。と、牢内を見回す。文机に並べられた筆と硝子ペン、万年筆。赤青緑、多彩な色のステンドグラスの硝子版。月球儀。装丁も麗しい数々の書物。これら、ずっと見ていたら幻惑されそうな品々に囲まれ、呑気にご馳走をばかすか食べてばかりの鏡花に言われたくはない。
呑気に……――――。
〝草の根分けても捜し出し、必ず相応の報いは受けてもらうぞ〟
鏡花は、呑気ではない。時に享楽的とさえ思える美少女の振舞いの向こう、和紙を一枚隔てたところには悲しみと憤りが今も尚、燻っている。
だから宗太郎は、下手なことを言って、彼女を悲しませてはいけないのだ。
食後には梨が艶やかに水気を湛えて硝子鉢に盛られていた。食むと甘い汁が溢れる。ジャクジャクと食べて、気づいたら大きな一切れを三つも四つも食べている。鏡花も、鏡花のお相伴に預かっていた宗太郎も、同じタイミングで顔を合わせ、笑い崩れた。
宗太郎が、朝早く、おとよに料理指南をしてもらう姿が見られるようになるのは、その後のことだった。