別腹デラックス
吹く風が少しずつではあるが涼しくなってきている。季節が移り替わっているのだ。鏡花のいる牢に入る冷房も、温度が緩やかに上がっていた。鏡花は今日の午前中、美容師に髪を整えてもらっていた。無論、美容院に行くのではない。美容師に出張して牢の中まで来てもらうのだ。ここまで来るともう、幽閉とは何ぞや、という疑問さえ抱くのは虚しくなる。シャンプーとリンス、それから頭皮マッサージまでしてもらって、さっぱりした鏡花は機嫌よく読書に勤しんでいた。整えられた焦げ茶の短髪の下、続く白いうなじが一段と匂やかだ。
日暮れ頃になって、宗太郎が不承不承といった顔つきで客人を連れて来た。渡瀬川卓である。とよ太郎がいても良いから、鏡花に逢いたい! と駄々をこね、呆れた宗太郎が根負けして彼を家に連れ帰ったのだ。折しも鏡花は、デザートのチョコレートデラックスパフェを食べていた。甘味の暴力である。
「卓ではないか」
「鏡花ちゃん! 久し振り」
すちゃ、と右手二本指を額に添える卓。ちゃらい仕草も何となく様になるから得である。
美麗な牢内に容姿の良い男女三人が集まると中々に壮観だ。窓硝子からは暮れ行く残照の光がぼんやり入ってきている。室内を藤色に染め上げていた。
「元気だったかもぐもぐ」
「うん。美味しそうなもの食べてるね」
「分けないぞもぐもぐ」
「鏡花、お前、夕飯前にそんなん食べて、夜が入らなくなるんじゃないか?」
「ふ、宗太郎。愚かなり。世には別腹なる言葉が存在するのだ」
通常の器より一回り大きな硝子の器に、でーんと盛られたクリームやチョコ、バナナ、カステラ、アイスなどは甘い物好きな人間には振るいつきたくなるような魅力がある。鏡花は実に美味しそうにそれを一人で平らげようとしていた。
「鏡花ちゃん。とよ太郎なんかやめてうちにお嫁にお出で」
「とよ太郎?」
ぶっと飲んでいた茶を吹き出したのは宗太郎である。咳き込む内にも卓は切々と言い募る。
「ここは優雅だけど、牢は牢だ。俺の家にお出でよ。お嫁さんにおなりよ」
「待て卓」
熱烈な卓のアプローチに、鏡花はチョコを口の端につけてきょとんとしている。
「私はここにいるぞ? 何と言ってもおとよさんがいるからな」
「おとよ?」
「とよ太郎のことだ。愛称で鏡花はそう呼んでいる」
卓に耳打ちする。
「何と! 二人はもうそんな深い仲なのか……! ジーザス!!」
「お前、クリスチャンだったっけ」
「んにゃ仏教徒」
二人のこそこそした話は気に掛けず、パフェを堪能中の鏡花はにこにこと上機嫌だ。
「うん、まあ、一口くらいなら、食べても良いぞ、卓」
「マジで!」
「マジだ」
鏡花と卓の間に宗太郎が滑り込む。スプーンを鏡花から奪い取り、ティッシュで先端を拭き取ると消毒液を吹きかけ、パフェの一角を掬って卓の眼前に差し出した。
「はい、ああああああん!」
「嬉しくねええええええ」
「スプーンは新しいのと取り換えてくるからな、鏡花」
「うん」
「扱いよ」
宗太郎と卓は、邸内の長い廊下を歩いていた。
「安心したか?」
「ああ。お前の元にいるから、大丈夫だとは思ってたよ」
「百花の乱の件、協力してくれ」
「解った。俺からも探りを入れておく。親父は弁護士だしな。当時、表に出なかったことも詳しいかもしれないだから今度鏡花ちゃんとデートを」
「却下」
ぶすくれる卓を他所に、宗太郎は廊下の窓から外を見る。樹影と薄闇が広がっている。もうしばらく経つと、虫が鳴き出すのだろう。カレーの匂いが鼻腔をくすぐる。今晩はカレーらしい。おとよが復活して、腕によりをかけて作るカレーはさぞかし逸品だろう。何しろ香辛料から拘りがあるらしい。鏡花が喜ぶと良い。いつまでも続く平穏ではない兆しは、宗太郎も感じていた。