午前四時半
食事を終え、寝る段になって卓と鏡花は揉めた。
二人とも、相手にベッドを使わせようと譲らない。結局、卓が「男をすたらせないで」と言って、鏡花をベッドに押し込み、自分はリビングの床に寝た。今度、給料が出たらソファーを買おう、と思う。
「はーい。じゃあ、おやすみー鏡花ちゃん」
保育士さんのように言って、電気を消して即席の寝床に潜り込む。
暗闇の中、間接照明と、カーテンを透かして漏れ来る街の明かりがうっすら、室内を明るくする。本来なら卓はいつも夜更かしするのだが、鏡花を放ってテレビゲームに興じたり、ネットサーフィンしたりする気にもなれず、早々に就寝となった。
カーペットの上とは言え、固い床は居心地が悪い。
寝つきの良い性質で良かった、俺って何てジェントルマン、と思う。しがみついた鏡花からは良い匂いがして、宗太郎はこの子と毎晩、同じ布団に寝て何もしないでいられるのか逆に変態、等々、考えながら眠りに入ろうとした卓の耳を、鏡花の声が打った。
「卓」
「ん?」
意識が早くもとろとろしていたので、一瞬、「あれ、何で鏡花ちゃんがいんだ?」という思いが頭をよぎる。そして現状を思い出す。
「宗太郎が、零になりたいと言っている」
「――――――――」
意識が覚醒した。
尊はマイホームに帰らず、寮で寝ていた。
ドアの外側には鴉がトールペイントされた札がぶら下がっている。愛妻・明子のお手製だ。
寮のほうが職場に近い。愛する家族の待つ我が家は、何光年と遠く感じる。
着流しの上、綿入れに袴、と横着して仕事着で寝ていた彼の枕元に置いていた携帯が喚いた。目が開き、素早く携帯を取る。時間帯に関わらず、零への出動要請は多い。
着信の名前を確認すると、緊張した身体が一気に弛緩する。この時間、この相手で仕事絡みの可能性は低い。それでも一応、外向きの対応をする。
「はい、こちら零」
フルネームも正式な肩書も面倒なので、ずぼらして一番、簡潔な名称を告げる。
『何やってんすか、先輩』
「それはこっちの台詞だよ、卓。今は君の活動時間帯じゃないでしょ」
結んでいない薄茶色の長い髪を搔きながら、欠伸した。時計は午前四時半を示している。
『鏡花ちゃんが俺んとこにいます』
卓は尊の皮肉を無視した。
「――――はい?」
『話は聴きました。俺は隊長職にあんまり興味ないです。後輩いびりやめろ。そんだけ』
通話が切れる。
卓の短い台詞を統合して、尊は点と点を結びつけた。腑に落ちる。
「あー……。そうなっちゃうかあ」
がっくり、項垂れる。その可能性を見落としていた。「駄目じゃん、鏡花ちゃん。嫁入り前の女の子がさあ」、などと他に責任転嫁した独り言を呟きながら、ボス、と枕に顔を埋めた。
嫌な予感がする。
卓は、我ながら柄にないことをしている、と苦虫を嚙み潰したような顔で、次に頭の良い莫迦に電話をかけた。鏡花を起こさないよう、キッチンに移動している。相手は尊と同じくらいに素早く反応し、正式な肩書ではないものの、きっちり名乗った。
『はい、こちら第一の甲。九曜宗太郎』
「おい、頭の良い莫迦野郎」
『……卓。仕事じゃないなら切れ。何でこんな早くに起きてる。いつも遅刻ギリギリの癖に』
その説教臭い台詞を聴いて、卓の腹の底にあった火山が噴火した。桜島規模である。
「鏡花ちゃんがうちにいる。おやっさんにどやされたくなかったら、とっとと迎えに来いっ!!」
当の鏡花を起こす懸念も忘れ、つい怒鳴ってしまった。
『――――寝言か? 切るぞ』
「昨日の鏡花ちゃんの着物は緑青の地に梅の花柄、帯は濃い紫」
間があった。
『すぐそっちに行く。お前、鏡花に指一本触れるなよ。事と次第によってはくそ面倒臭い手続き踏んででも、決闘してやる』
「上等だ、石頭の朴念仁! 飛んで来やがれ」
実際、宗太郎は飛んで来た。交通機関を使わず、空を経由して。
牢屋の中に、鏡花はいなかった。卓は嘘を言っていない。
ベランダの窓硝子を叩くと、仏頂面の卓が待ち構えていた。
「遅い」
「鏡花は?」
「奥の部屋。まだ寝てるから、起こすなよ」
宗太郎はお邪魔しますも言わず、草履を脱いで室内に入ると、卓のベッドで寝ている鏡花の姿を確認した。ほ~~~~っ、と脱力する。
腕組みした卓が、白けた目を向けた。
「着物一式と鏡花ちゃん、抱えて帰れ。服は貸しとく」
「どうして鏡花がお前の服を着ている」
宗太郎の咎める声に、再び、噴火しそうになる桜島を抑え込んで答える。
「女が着物姿で寝るのはきついだろうが。だから、俺の服を貸したんだよ!」
「……そうか。助かった。けど」
「あん?」
「彼Tみたいで不愉快」
緊縛、の言葉を必死で呑み込む。
卓は昨夜からあらゆる意味で忍耐力を試されていた。
「とっとと帰れ、ボケなす。二度と来んな。鏡花ちゃんは、可。但し、次、鏡花ちゃんがまた一人で泣いて来たら、お前には返してやらねえからな」
「……泣いて」
「おら、帰れっ」
ベランダの硝子戸を開けて、宗太郎を蹴り出した。
第一の甲、一番手とも二番手とも目される後輩たちの諍いを他所に、尊は再び眠りに就いていた。卓からの電話の後、彼はしばらくこれから起こる出来事を、色々と検証してみた。
結果。
「まあ、いっかあー」
寝た。
鴉ヶ谷家は、白衣家や九曜家のような、強い異能力者を輩出する名家とは異なる、ごく普通の一般家庭だった。
尊が生まれるまでは。
祖父母、両親から愛情を注がれ、兄とともに健やかに成長した彼は、五歳の時にはもう、第一の甲となる為に必須とされる、十以上の異能を有していた。家族はそれを喜ぶよりも、寧ろ危惧し、尊を守る為にその事実を隠して彼を育てた。
よく女の子に間違えられる幼い尊は、どうして異能を隠さなければならないのか、不思議に思って母に尋ねた。
「どうして、しー、なの?」
「尊が、普通に安心して暮らせるように。だから、このことは、しー。ね?」
尊は小首を傾げた。母の柔らかい笑顔。奥底に、守ろうとする意志を秘めた笑顔。
薄茶色の髪の毛が、さらさら流れる。
素直だった彼は、言いつけを守った。
しかし、小学二年になる尊が連続強盗殺人犯と遭遇したことにより、突出した能力は明らかになる。
尊「僕たちの着ている外套は、インヴァネスコートと呼ばれる種類の袖なしバージョンです。防雨・防寒用に着物の上に着こんだりして、明治時代なんかには通称とんび、とも呼ばれていました」
卓「和装には合わないけど、俺はトレンチコートのほうが好き。いいっすね。ピンで表紙」
尊「九藤が体力ゆえに鉛筆でザッと描くしかできなかったんだって。外套の塗りが粗い。僕の髪の繊細さが表現されてない。筆文字下手か。鴉、重いし。徽章がちっちゃすぎて訳わかんない」
宗太郎「注文が多い…」
尊「宗太郎も描いてもらったんだろう?」
宗太郎「はあ」
宗太郎、髪伸びたバージョンなう
尊・卓「「…………」」
宗太郎「?」
卓「頭の良い莫迦が美化されてる気がする。小面憎い」
尊「イケメンだね。僕もアップが良かった。外套とか鴉とかのオプションなくても良いからさ」
卓「ここで、もらったバレンタインチョコの多かった順が下に。作中では二月だしな。一位から名前、チョコの数など」
№1 鴉ヶ谷尊 異能数と同様、ゆうに百を超える。数え切れない。
ちなみに二月十四日生まれ(なので作中で年を一つとっている)ホワイトデーが毎年、大変。
№2 渡瀬川卓 86
ブランドもののチョコは姉たちに取り上げられる。代わりに、ホワイトデーの準備を手伝ってもらっている。
№3 九曜宗太郎 79
貰ったチョコレートは全て鏡花の胃袋に収まる。鏡花は手作りのチョコレートをくれるので、それだけで満足する。ホワイトデーは、まめに返すが、鏡花には三倍返しくらいする。
№4 九曜禎允 35
本人曰はく、「母ちゃんからのチョコが欲しい」。まめに返す。但し、和菓子に偏りがち。
№5 貞川博 34
わりと本命チョコが多い。母からは早く結婚しろとの催促。ホワイトデーのお返しは部下に手伝ってもらう。
№6押小路美晴 30
内心では要らない、邪魔、と思っているが、一応は礼を言って受け取る。チョコの他、高級なネクタイピン、革小物、カフスボタンなども貰う。ホワイトデーが憂鬱なので、こんな行事、滅べば良いと毎年考えている。
№7大目黒千鶴 14
なぜか墓前にチョコが捧げられている。お返しの心配はない。
尊「ご婦人たちからのご好意はありがたいんだけどさ。ぶっちゃけ、明子から貰えればそれで良いんだよ」
卓「俺はチロル〇コとか板チョコで良い。あ、けどウィスキーボンボンは好きだからそれは姉貴たちにも譲らない」
宗太郎「鏡花のチョコレートが世界一」
尊・卓・宗太郎「「「…………」」」
卓「なあ、何であいつまでチョコ貰ってんの? あの世には届かないぜ。墓に蟻がたかるぞ」
尊「コアなファンがいるんじゃないの。ほら、彼、ビジュアルは良かったし」
宗太郎「ホワイトデーにお返しが届いたりして」
卓「いやいや、そんなホラーな」
尊「ねえ? ないない」
番外 白衣鏡花 ゆうに百を超える。
二月十四日になると差出人不明で「鏡花お姉様へ♥」とチョコが郵送されてくる。お返しできない。
卓「何、それ」
尊「鏡花ちゃん、チョコの数まで僕と張るの?」
宗太郎「鏡花は人気があるので。それも当然ですが」
卓「お前がドヤるな、宗太郎」




