投げつけられたダイヤモンド
尊との話を終えた後、宗太郎はマフィンの入った包みを大事に抱え、公共交通機関を経て真っ直ぐ自宅に戻った。今日は正午までの勤務だった。雪がそこかしこにうっそり白くわだかまり、近所や九曜家の庭の梅が、今は見頃を迎えている。聳える門を平然と通り抜け、広い邸内を歩く。長身の宗太郎が大股、早足で進めば、邸も一回りコンパクトになる。鏡花のいる牢の扉を開け、中に入る。真ん中に置かれた炬燵に入り、鏡花がうたた寝していた。白い頬に、短い焦げ茶色の髪の毛が数本、くっついている。
宗太郎の心に、ふ、と柔らかさが生じると同時に、不安も芽生える。また、目覚めなくなったらどうしようと。
「――――鏡花」
慎重に声を掛けると、眠る鏡花の、紅梅めいた唇が僅か、動いた。瞼が、長い睫毛を伴いゆっくり上を向く。鏡花は、ぱ、と身体を起こし、宗太郎の姿を認めると、梅の綻ぶような笑顔になった。マフィンの入った包みを持つ宗太郎の手に力が籠る。
「宗太郎。お帰り。早いな」
「ただいま。うん。今日は昼で上がれたから。習練場のほうは融通が利かないが、書類仕事はその気になれば瞬殺出来る」
そのようにして、宗太郎は瞬殺出来る仕事を片付け、日頃からなるべく早い帰宅を可能としている。鏡花が長い眠りに就いてから、ついた習慣だ。九曜家の跡取りは文武両道、と言われる所以だ。尊も書類仕事は恐るべきスピードで捌くのだが、零であり、彼が彼であるゆえに、宗太郎ほどには時間が作れない。尊に不死の異能がなければ、とうに過労死していただろう。
「ほら、お土産のマフィンだ」
「おお、有り難う!」
まだ温もりの残る包みを渡せば、鏡花は無邪気に喜ぶ。家政婦に紅茶を淹れてもらうよう頼む彼女の横で、宗太郎は外套を脱いで畳に置く。襟に光る八重桜と、「甲一」と刻まれた徽章を見るともなしに見る。
「梅が見頃だ。お茶が終わったら、庭に一緒に観に行こう」
「うん。今日は、尊と会ったのか?」
「……どうしてそう思う?」
「宗太郎は尊と会うと、安心すると同時に、引き締まると言うか、高みに挑むような顔つきになる」
鏡花の観察眼は確かで、鋭い。
「――――そっか。会ったよ」
「ふぉふぇふぇふぁふぃふぉふぁふぁふぃふぁんふぁ?」
「鏡花。口の中のマフィンを食べ終わってから話しなさい」
鏡花は、了解、と言うジェスチャーをして、しばらく口をもぐもぐ動かすと、ごっくん、と中身を飲み込んだ。紅茶を飲み、一息吐いてから改めて口を開く。
「何を話したんだ?」
「先輩に、零になりたい、と言った」
鏡花の切れ長の瞳が丸くなる。
「どうしてだ? 宗太郎が零になると、今より忙しくなるだろう。そうなると、私は寂しいぞ」
率直な言葉をぶつける鏡花が嬉しい。日に日に、彼女の美貌は際立って行く。去年より大人びた顔立ちは、少女と呼べる時期を過ぎつつあるように思う。
宗太郎は紅茶を一口飲んで、尊に告げたのと同じ言葉を繰り返した。
「鏡花を守りたいから」
「……零になる必要はないだろう。第一の甲で、十分だ」
「いいや、十分じゃない。それで、先輩に条件を提示された。春、桜が散るまでにお前から一本、取れと」
「無理だ」
鏡花が無表情になり、言い切った。
「それは尊の意地悪だ。無理ゲーだ。あいつ、今度会ったらしばいてやる」
尊相手にこんな口が利けるのは、鏡花か禎允くらいのものだ。宗太郎は紅茶碗を置いた。
「無理でも何でも、俺は可能性に賭けたい。鏡花。模擬仕合で俺と戦ってくれないか」
鏡花の顔が曇る。柳眉が顰められている。彼女は少し俯き、口を開いた。
「宗太郎は、私相手に本気で戦えるのか。模擬とは言え、負傷することもあるんだぞ」
「……お前に傷を負わせずに勝つ」
鏡花の白い手が拳を作った。
宗太郎の実力が、去年より急上昇しているのは鏡花も知っている。第一の甲の中でも、トップクラス。卓同様、抜きん出ているだろう。今までよりも、他を置き去りにして。だが、それでも零にはまだ遠く及ばない。残酷な実力差がある。鏡花は、異能部隊に属してはいないが、零である尊とほぼ同等の力を持つ。力をつけてきているとはいえ、そんな彼女相手に宗太郎が傷を負わせずに勝つと言うのは、如何にも甘い見通しと思われた。
「――――宗太郎には出来ない! どうしても私を負かしたいと思うのなら、全力以上を出さなくてはいけない。がむしゃらに戦い、どうして私を無傷で済ませると言える。私は、お前を傷つけたくない。……お前は、私を傷つけて、それで平気なのか」
「平気じゃない。けれど、これは譲れない」
揺るがない宗太郎に反して、鏡花の顔はくしゃりと歪んだ。
「宗太郎の言うことは、まるで筋が通っていない! 出て行け、莫迦! 梅なんか一人で観てろっ。大っ嫌いだ!!」
宗太郎の頭の中が、一瞬、真っ白になった。
鏡花が炬燵から出て、有言実行とばかりに、自分よりずっと大きな図体の宗太郎の身体をも炬燵から引き摺り出すと、牢の扉を開け、宗太郎の背中を蹴って締め出した。数秒後、牢の扉が僅かに開き、その隙間から小さな輝きが、とどめとばかりに宗太郎に投げつけられる。
それは、宗太郎が鏡花に贈った、ダイヤモンドの婚約指輪だった。
宗太郎の眉間に皺が寄る。指輪を握り締めた。
「……それでも俺は、零になる」
特に大きな声ではなかったが、牢内の鏡花には聴こえただろう。
傷つけて、平気な訳がない。
鏡花の身体も、心も。
彼女が悲しむと知りつつ、酷な頼みをする。鏡花が受けた痛手は、倍になって宗太郎に跳ね返っている。
――――死なれるよりはずっと良い。
その夜、宗太郎は邸内の自室で寝た。
久し振りの自室は、宗太郎には余所余所しく感じられる。もう、鏡花と過ごす牢屋が、宗太郎の居場所になっていたのだ。
いつも寄り添う彼女の温もりが、今はない。暖房は入れているのだが、ひどく寒いと感じる。
投げつけられた指輪は、文机の上で沈黙している。
「ごめん」
誰も聴くことのない謝罪が、がらんとした部屋に響いた。
左耳に翡翠のピアスをつけた卓は、寮のキッチンに立ち、簡単なチャーハンを作っていた。好きなベーコンをたっぷり入れ、香ばしい匂いが室内に立ち込める。手早い料理なら出来る程度に、一人暮らしに慣れていた。宗太郎より、私服は洋装率の高い彼は、好きなジャズミュージシャンの写真が白黒にプリントされたタートルネックを着て、ジーンズを穿いている。ふんふん、と鼻歌交じりに夕食を拵えていたら、チャイムの音が鳴った。
「……」
この時間の訪問者の心当たりがない。
訝しく思った卓は、それでもコンロの火を止め、ドアスコープも覗かず、チェーンも掛けずにドアを開けた。どうせ寮全体に結界が張ってあるんだし。卓のこの適当さは、己の力への自負と、面倒臭いという思いから来るものであったが、禎允あたりが見れば雷を落としただろう。
「はいはーい、どちらさ、うぐぅっ!」
適当さが仇になったのか、腹部にいきなり何かがぶつかった。かなり痛い。結界を突破し、異能課の寮に強盗に入る豪胆な人間がいたかと、戦闘態勢を取ろうとして、卓は固まった。
「……鏡花ちゃん」
「……」
道行すら着ていない、着物姿だ。
鏡花は、しがみついたまま、離れない。外気の寒さを慮って、とりあえず卓はその体勢のまま、ドアを閉め、鏡花を中に招き入れた。よく解らないが、彼女はとても傷ついていると感じた。泣いていたらどうしよう。彼女を泣かせるとしたら、卓には一人しか思い当たる男がいないのだが。
とりあえず、鏡花をくっつけたまま、リビングに移動して座る。新米ママになった気分だ。ふう、と息を吐く。
「どうしたの、鏡花ちゃん。こんな遅くに、野郎のうちに来ちゃいけないよ」
「宗太郎が莫迦だからいけない」
くぐもった返事が聴こえ、やっぱりあいつね、と思う。
確かに宗太郎は、莫迦の一種だ。頭の良い莫迦だ。
「夕飯は?」
「まだ」
「チャーハンで良い?」
「どんぶり三杯。卵スープも追加で。かずさんレベルの味を要求」
ハードルが高い。
「……畏まりましたからお姫様。ちょーっと、離れていただけますか? これじゃ俺、動けねえ」
そう言うと、やっと鏡花が離れた。
目尻が濡れているのを見て、くそ、と卓は思う。彼女の左手の薬指に、後生大事にしている筈の婚約指輪がない。
頭の良い莫迦が、何かしでかしたのだろう。卓は立ち上がると暖房の温度を上げ、自分の厚手のカーディガンを鏡花の肩に掛けて再びキッチンに向かった。
宗太郎「卓の父の名前で九藤が悩んだらしい」
卓「ろくな悩みじゃねえだろ、どうせ」
宗太郎「うん。『卓の父か。柱…ないな。板…もっとないな。ええい、もう、従兄のひろし君にしちゃえ!』って」
卓「悩んでるか? それ。従兄のひろし君って誰」
宗太郎「そのまんまだ。『備考:カクテル作るの上手な弁護士』。どうでもいいな」
卓「親父、そんな洒落たことしねえぞ」
宗太郎「漢字、最初は紘でひろしにしようかと思ったが、八紘一宇の漢字で何となくやだなと」
卓「ふんふん」
宗太郎「従兄のひろし君とガチで同じでもあれだから、最も簡単な広、にしたそうだ」
卓「親父に哀れを禁じ得ない」
宗太郎「ところで卓。独り寝って寂しいものだな」
卓「その口を閉じろ、頭の良い莫迦」
宗太郎「形用矛盾……。何か怒ってるか?」
卓「九藤より追伸『宗太郎の魅力が迷子なう』。ほら見ろ」
宗太郎「…………」




