ヒーロー
著しく衰えてしまった筋力を、鏡花は宗太郎に支えられながら取り戻していった。体調もだいぶ快復した頃、宗太郎は彼女を伴い、約束通り、宝飾店に指輪のサイズ直しに出向いた。店員はにこやかにサイズ直しを請け負ってくれ、年若いカップルを微笑まし気に送り出した。
「サイズ直し、早く出来そうで良かったな、宗太郎。帰りはどこかに寄るのか?」
「うん。ちょっとな……。鏡花、寒くはないか、ちゃんとマフラー巻いてるか? 手袋もしてるな?」
「うん」
マフラーは、禎允が買ってやった、フェイクファーのマフラーだ。真っ白い毛並みが、色白の鏡花によく映える。相変わらず細々した宗太郎に、鏡花は笑いを零した。宗太郎が、手袋だけでは足りないとばかりに、鏡花の手を握る。
「どこに行くんだ?」
「……寺」
「大事な人が眠っているのか」
「そう」
お前のな、と胸中で付け加える。急な坂道の続く通りを、草履の鏡花を気遣いながら、その手を引いて宗太郎は進む。やがてこじんまりした、禅宗の寺に着いた。
「あれ? 結界が張ってある。珍しい寺だな」
「…………」
門柱に宗太郎が触れると、結界が開錠された。
目指す墓は境内の中程にあった。宗太郎は、予め買っておいた菊などの花を供え、線香を立てる。御影石の、艶光する肌には、大目黒家の墓、とある。千鶴の死亡後、宗太郎は、彼の遺体を早急に隠密に弔うよう禎允に進言した。これには禎允も苦慮した。大罪人・大目黒千鶴は、白衣太鳳の息子であり、鏡花とは父を異にする兄妹だった。禎允個人の心情としても、宗太郎の言を容れたい気持ちは強い。配慮の必要があったのは、白狐の一族だ。人と異形である白狐の一族の法の擦り合わせも厄介だった。ゆえに禎允は、押小路や貞川と諮り、偽の死体を用意した。無論、高官にあるまじき民衆への裏切りである。しかし、千鶴の遺体を白狐の一族が見れば、肉の細切れになるまでの報復を受けることは目に見えていた。それは、怜羽の友であった禎允にとっても、耐え難いことだったのである。気遣いの人間である貞川はともかく、押小路も意外にすんなり了承した。眼鏡の縁を弄りながら、これで貸し一つですよ、との言葉で済ませる柔軟性を、彼が持ち合わせているとは思わなかった。そんな経緯があり、千鶴は無事に菩提寺の墓で眠りに就いている。この寺も、当分は結界警備を敷くという念の入れようである。
宗太郎が手を合わせるので、鏡花も倣って手を合わせる。
「…………なあ。お前、最後に、鏡花にあれを言うことで、自分を諦めさせようとしたんだろう。何でだ? 挙句、死んじまって。頭の良いお前が、あんなミスをするだなんて。お前だって、欲しくて仕方ないのは同じだった筈だ。なのに、どうして、鏡花から身を引こうとした。俺には、お前は、つくづく最後まで理解出来ない男だった。でも遠慮はしない。貰うからな。文句言うなよ。死んだ後なら聴いてやる」
宗太郎は、千鶴に語り掛けているので、鏡花には意味が解らない。
「宗太郎? どうしてお墓参りで喧嘩を売っているんだ?」
「親しい仲の、親愛の情だよ」
適当に嘯いておく。この墓参とは別に、太鳳の墓には、先に参っていた。鏡花が、少し考えた後、再び墓に手を合わせた。
「宗太郎を怒らないでくれ。私の大事な人なんだ」
この言葉一つで、有頂天になるのだから、我ながら単純だ、と宗太郎は思いつつ、鏡花の手を引いて、九曜邸に戻る前に喫茶店に寄り、フルーツ大盛りのパフェを奢った。鏡花が足りない、と以前のように旺盛な食欲を見せるのが嬉しくて、更にパウンドケーキやら様々なショートケーキを奮発した。鏡花は、美味しい美味しいと言ってもりもり食べる。鏡花が元気を取り戻して来てくれたことが、宗太郎には何より嬉しかった。九曜邸に戻り、牢内で二人、寛いでいると、鏡花が今更のことを訊いて来る。
「なあ。どうして、宗太郎まで牢で暮らしてるんだ?」
「え。それは、お前が眠ってたから……」
「私が眠っていると一緒に暮らすのか」
「いや、違う! 断じて、そういう意味じゃないぞ」
「何の話だ」
説明がし辛い。まさか、眠り続ける鏡花恋しさに牢内に居座ったとは言えない。そんな宗太郎の気持ちを知ってか知らずか、鏡花がしみじみと言う。
「まあ、あれだな。宗太郎も寂しかったんだな。私を母と思っても良いんだぞ?」
「断固、御免被る」
これで、本当に結婚ルートに行けるんだろうか、と宗太郎は不安になる。しかしまあ、婚約指輪はそれとしてちゃんと認識されているし、墓参りであんなことを言ってくれたし、少しは前向きに考えて良いのでは? とも考える。何せ、鏡花の眠っている期間は長かった。長過ぎたと言っても良い。それでも宗太郎は、鏡花を忘れて他の女性と付き合う想像など、微塵も出来なかった。鏡花を自分の命だと考えている。また、こんな強烈な女、他にはいないとも。鏡花が宗太郎の命なら、その命を繋いだのは千鶴だ。だから、宗太郎はその点においては、千鶴に感謝している。あの海での夜。千鶴がいなければ、鏡花は今、ここにいなかった。あれほどに鏡花に執着していた千鶴が、ギリギリの局面において、自分の命を糧に鏡花を活かした。鏡花を活かした結果、彼女の隣に宗太郎が座ることも承知の上で。だから、白衣家と大目黒家への墓参は毎年、欠かさない積りだ。太鳳は罪深い女性だったかもしれないが、鏡花を産んでくれた意味では、千鶴と変わらぬ恩人だ。鏡花を活かす全てに、宗太郎は感謝の念を抱いていた。
「いや~、冬は鍋に限るなあ」
牢内に出した炬燵の上で、キムチ鍋がぐつぐつ唸る。
「鏡花。肉ばかりじゃなく、野菜も食べなさい」
「野菜は宗太郎が好きだろう。私の分もやるから、存分に食べろ」
「お前な、折角快復してきたのに、そのままじゃ、また栄養が偏って体調不良になるぞ。そうなっても俺は知らんからな。嫁に貰ってやらんからな」
勢いで言ってしまってから、しまったと思った。ついうっかり、口が滑った。鏡花の箸が止まる。鏡花の視線を片頬に感じ、宗太郎は内心、だらだらと冷や汗を流した。どうしよう。今更、婚約解消などと宣告されたら生きて行けない。
「……宗太郎」
「はいっ」
静かに名を呼ばれ、思わず背筋が伸びる。第一の甲として現場に出る時でも、ここまで緊張しないのではないか。速まる鼓動を感じながら、鏡花の次の言葉を待つ。嫁にならない等の類の言葉が出たら、切腹したくなるくらいの妙な自信がある。
「嫁に、なれないのか。私は。宗太郎の」
「あ、いや、それは……っ」
「婚約指輪までくれたのに。他に好きな女性が出来たのか? かずさんか?」
「出来てないし、鏡花以外に興味はない! ……お前、家政婦頭好きね」
鏡花がほっと息を吐いて笑った。宗太郎も息切れした気分で安心した。真面目な話、首の皮一枚が繋がった気がする。宗太郎にとって、鏡花と結婚出来るかどうかは、それほどの重大事だった。
「良かった。では、肉を喰うべし。国産牛はやはり良いな。高級取りの家の牢は居心地が良い。ほれ、宗太郎。春菊をやろう。法蓮草も喰え」
「なあ。お前、本当に野菜も食べろよ。怒るよ? 本当は、俺はキムチ鍋は豚肉派なんだからな」
そう口では言いつつ、禎允に負けず劣らず鏡花に甘いのが、宗太郎だった。まずもって鏡花への怒り方が解らない。元々、惚れた弱味や鏡花の境遇に対する同情もあり、妹のように甘やかす傾向はあった。千鶴が死んでから、その傾向にはより一層、拍車がかかり、今までにも増して、殊更、鏡花に甘くなってしまった。そんな次第で、宗太郎の口に入った国産牛は、僅かに二枚だった。その、牛の出汁で作った雑炊を締めに二人で食べ、鏡花も流石に満腹になり、二人、幸せな気分で寝床に就いた。
バー『リトルムーン』は今日も卓の愚痴の吐きどころと化している。
鏡花の目覚めは喜ばしい。しかし、その後、宗太郎とより一層、親密になっていると知り、やはり落ち込みの激しい卓だった。今はアーモンドを親の仇のように噛み砕いて行きながら、ギムレットを飛ばしている。
「女が欲しいんじゃないんすよ」
「うんうん。普通にモテるもんね、卓」
「運命の女が良いんですよ、聴いてますか、鴉ヶ谷先輩!」
「聴いてるよ~。珍しく絡み酒だねえ、卓。幸せそうな鏡花ちゃんたちが羨ましくなっちゃったかな? まあ、かく言う僕も、明子以外の女性なんて目に入らないしねえ」
「ぶっちゃけ、羨ましいっすよ! マスター、ギムレット、お代わり! あとプロシュートも」
「まあほら、独身貴族も良いじゃない。お金貯まるでしょ? うちは激務だけど給料は良いし」
「先輩、心にもないこと言うのやめてください」
「……はあい。ごめんなさーい。でも給料良いのは本当でしょ。うちのローンも一括で払えたし。子供の教育費の心配もしないで良いし」
「先輩が死んだら全部、元の木阿弥ですからね。忘れないでくださいよね」
「もー。何なの、この子は。そんなに僕を早死にさせたいのかい。悪いけど僕には不死の異能があるからね。明子と一緒に共白髪まで生きるよ」
「……今更ですけど。鏡花ちゃんが紅蓮の玉を持ってること、先輩はいつ知ったんですか」
尊の薄茶色の瞳がちらりと卓を窺う。
「遠征から戻って翌日。隊長に知らされた」
「宗太郎は、それより早く知ってたんですよね」
「そうだね」
尊がグラスの縁に口をつける。栗色の双眸が歪む。
「俺だけ蚊帳の外かよ…………!」
「卓。君は、僕たちの中で、最も正道を歩むタイプの人間だ。少年漫画で言えば主人公タイプ。だから、隊長が余計な事前情報を与えず、自由に動くようにと計らったことは、僕にも同意出来る。ここだけの話、次期特殊異能部隊隊長は僕になるんだろうけれど、その後を継ぐのは君だろう」
「何で……。だって、宗太郎は。九曜関係なしに、実力で言えば十分、」
「少なくとも、任免権が僕にあるのなら、僕は宗太郎を後継には指名しない」
静かだが、尊ははっきり言い切った。
薄茶色に、僅かに痛ましいような色が混じる。
「実力云々の問題じゃなくてね。あの子は少年漫画の主人公にはなれない。違う道を選択してしまったから。だからね。次代のヒーローは、渡瀬川卓。君だよ」
「……慰めですか」
「違うよ。みんな、君が好きってことさ」
非難の言葉も、責める言葉も、尊の余りに優しい微笑に封じられてしまった。卓はそれ以上は言わず、ギムレットを追加注文した。




