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美食牢  作者: 九藤 朋
美食牢 
49/58

夜明けと黄昏

「時の異能で何とかならないのか!」

 宗太郎が千鶴の襟に掴みかかる。普段であれば、粗野な振舞いを受けることを好まない千鶴が、この時はそれを気にも留めない。

「無理だ。潜在能力が一気に噴出している。鏡花の異能が強大過ぎて、俺の時の異能では歯が立たない」

 千鶴は一瞬、思案したように緑の目を光らせた。その時の目が、妙に宗太郎の脳裏に焼き付く。

「……宗太郎。金剛明王を、今、発動出来るか」

「出来る」

「ではそれで、鏡花を内に迎え入れろ。火傷を負うかもしれないが、決して手放すな。神楽耶から聴いた。君は群青扇風という、異能を散らす異能も使えるんだろう。鏡花を抱えたらそれを発動し続けるんだ。暴走が、多少マシになる」

「お前はどうするんだ」

「……蒼穹の玉を使って、紅蓮の玉を破壊する」

「そんなことをすれば鏡花は、」

「鏡花は無事だ。良いか。決して鏡花を離すな。業火に焼かれようと、抱え続けろ」

 白い砂浜は、夜は影色に染まっている。そこここに漂流物があり、気を抜けば脚を取られそうだ。空には変わらず、まばらな星が浮かんでいる。

「金剛明王!」

 宗太郎が、燃える鏡花の身体を抱き留める。熱い。火に炙られているようだ。

「群青扇風!」

 鏡花の、強大な異能が薄まる気配がした。後は、千鶴が上手くやるのを待つしかない。千鶴は、スラックスのポケットから、無造作に青い玉を取り出した。蒼穹の玉だ。身近に持ち歩いていたのか、と宗太郎は鏡花を抱えながら思う。早くしてくれなければ、自分も身が持たない。せめて、鏡花だけでも救いたい。千鶴が蒼穹の玉を天にかざした。それは微かな星の光を受けて、美しい輝きを放った。千鶴が両手で三角形を作ると、その中央に蒼穹の玉が浮く。すると玉は意思を持ったかのように、鏡花の胸元目掛けて飛んだ。鏡花の身体が発していた火焔が鎮まる。異能も、落ち着きを見せ始めた。成功したのだ、と宗太郎は歓喜した。しかし、千鶴の様子がおかしい。今度は千鶴の身体から、青い焔が上がっている。宗太郎は、鏡花を抱き上げて千鶴の元に走った。

「おい、どうなってる!」

 これではまるで、鏡花の身に起こった災難を、千鶴が肩代わりしたかのようだ。千鶴が、宗太郎に向けてにやりと笑った。凄絶な笑みで、それまで澄ましかえった千鶴の笑みしか憶えのない宗太郎には、初めて見る彼の一面だった。

「蒼穹の玉を、紅蓮の玉にぶつけたんだ。相反する力を持つ宝玉同士。多少の反作用はある。今回は、術式の担い手が俺だったから、反作用は俺に返った……」

「待て。お前、死ぬんじゃないだろうな」

「鏡花に、迂闊に衝撃を与えたのは、俺の落ち度だ」

 ふふ、と小さな笑い声を千鶴が上げた。

「鏡花は……」

「気を失ったままだ。無事だ」

「良かった。彼女が起きたら伝えてくれ。不肖の兄だけれど、俺も君が好きだったと。……愛していた。出来ることなら、兄ではなく、血の繋がりのない異性として、出逢いたかった、と。良いか、鏡花に、俺を惜しませるなよ。君がそんな不甲斐ない男なら、俺は、君を認めない」

 千鶴が吐血した。純白のシャツが赤く染まる。それは、彼の残り時間の少なさを物語っていた。

「待て。兄だと言っておいて。あいつの心を攫っておいて、勝ち逃げする気か! ……そうだ、鏡花が起きるまで持ちこたえろ。螺鈿総譜なら、お前を治せる」

 千鶴の森の瞳が、それまでにない透明感を以て必死に言い募る宗太郎を眺める。余りに澄んだ双眸は宗太郎を恐れさせた。死期が迫るゆえと確信したからだ。

「無理だな。そんな余裕はない。宗太郎。君を、鏡花の兄としていびることが出来なくて、とても残……念……」

 語尾でくふ、と血の花が咲く。

 それきり、千鶴の声は途絶えた。潮騒は残酷だと宗太郎は思う。こんな時ですら、静けさを与えてはくれない。永遠に歌い続ける。今夜は、月が満ちてもおらず、満天の星も出ていなかった。ごくありふれた夜だった。そんな夜に、一人の男が想う女の為に逝った。宗太郎は、今でも千鶴を赦すことが出来ない。鏡花をこれ以上なく傷つけた。歪んだ愛情を押しつけようとした。おとよとして鏡花を騙し、思慕の念を一身に受けた。赦せないことは、数え切れない。それでも千鶴が自分の命を投げ打って鏡花を救ったことが、宗太郎の心に刻みついて離れない。きっとこれは、一生の刻印になるだろう。顔を上げると、地平線が白んで来ていた。夜明けが近いのだ。これまでの人生で、一番、長い夜だった。

「う、たろう、」

「鏡花?」

「づる、ち、づる、は」

 宗太郎は、込み上げる嗚咽で、答えることが出来なかった。焼け焦げた着物を着て、白い肌にも火傷を負いながら、尚、美しい鏡花が、今、最も求める相手が、もうこの世にはいないのだと、答えることが出来なかった。彼女はこれで残されていた唯一の血縁をも喪い、真に天涯孤独の身となったのだ。やがて感情の嵐が収まると、宗太郎は九曜と県警に連絡を入れ、事情説明を終えると鏡花を抱えて家に帰った。九曜邸では、波乱はあったようだが、皆が無事で、鏡花を抱きかかえて無言で帰った宗太郎を見て、労わりの沈黙で帰還を祝った。

 卓は寮に戻り、尊は明子と共に家に帰宅した。宗太郎は、今まで通り、変わらず、知り得たことの全てを禎允に打ち明けた。太鳳と親しかった禎允も、太鳳と千里の関係、千鶴と鏡花の関係までは知らず、驚いていた。驚きと言えば、何より勝手気儘に生きて、人の命など何とも思わないように見えた千鶴が、命を賭して鏡花を救ったことに驚愕を隠さなかった。

「まさか千鶴の異能の強さが、白衣の血筋ゆえだったとは。真っ当な道を歩んでいれば、いずれは大成したであろうものを……」

 そう言って、今は亡き青年の前途に広がっていたかもしれない将来を惜しんだ。

 鏡花は牢内の床に臥せ、昏々と眠り続けた。身体や異能の消耗もあるだろうが、精神に負った深手が、彼女に長い休養を強いた。九曜家では、新しい家政婦頭を迎え入れ、その腕前による美食で、早く鏡花を喜ばせようと、鏡花の目覚めを待ち侘びていた。やがて樹々の葉が赤や黄色に染まり、落葉する頃になっても、鏡花はまだ目を覚まさなかった。入院させてはどうかという意見もあったが、これは頑として宗太郎が撥ねつけた。それでは鏡花の身体が持たない、と諭されれば、自分の異能力で補完すると言い張る。生命力と異能力は近しいものがある。片方が減少しても、もう片方を増やすことで補い合い、生命維持が叶う。宗太郎は、毎朝、眠る鏡花の唇から直接、自分の異能力を吹き込んだ。毎朝、しつこいくらいに繰り返すその行為は、恋着なのか延命ゆえなのか、一見定かではない。宗太郎が屈んで鏡花に口づけると、彼の異能の特色である群青が、淡く牢内の空気を染めた。彼は仕事から帰ると庭を一人で散策し、綺麗に染まった落ち葉を拾っては、鏡花が喜びはしないかと思い、牢内の枕元に置いて飾った。時折、眠る彼女に話しかけたが、いつも宗太郎の独り言で終わった。強気でもぶっきらぼうでも、鏡花の声が聴きたくて堪らなかった。

 宗太郎には恐れていることがあった。鏡花が、千鶴を選んだらどうしようという恐れだ。異性に淡泊な鏡花が、千鶴には惹かれていた。特別視していたと思う。惨い仕打ちを受けようと、それは不思議なほどに変わらなかった。嫁になってくれと言ったら、鏡花は笑って良いぞと答えた。けれど、今、同じことを望んでも、果たして同様に答えてくれるだろうか。

「鏡花。嫁にならなくても良い。お前が笑ってくれるならそれで良い。莫迦みたいに喰って、威勢よくしていてくれたらそれで良いから……。起きてくれないか」

 答える声はない。鏡花は眠り続ける。

 やがて白い雪片が舞い降りる季節になった。待望の、尊の子供が生まれた。予定より早産だったが、健康に異常はない。女の子だ。尊は狂喜乱舞して、鏡花の牢にまで赤ん坊を連れてやって来た。明子が、鏡花の短い髪の毛をそっと撫でながら、慈しみの視線を向けるのが印象深かった。宗太郎は、鏡花の牢内で寝起きするようになった。仕事の時以外は、ずっと鏡花の寝顔を見ている。まるで忠実な犬が、病身の主人の傍を離れないようだ。そんな彼を心配する声もあったが、禎允は好きにさせてやれの一言で放っておいた。禎允にとっても愛娘のような少女だ。心配でない訳がない。しかし、宗太郎の想いの深さには及ばないこともまた、よく承知していた。クリスマスが近づく。街は聖夜の祝いで賑わう。宗太郎も課員の女性数人から誘われたが、いずれも丁重に断った。仕事が終わると飛んで家に帰り、鏡花の眠る牢に籠る宗太郎を、流石に尊たちも心配し始めていた。

「……まあでも、どうしようもないよね」

 バー『リトルムーン』でいつものロングアイランドアイスティーを飲みながら、尊が呟く。卓は無言でギムレットを飲む。この店に来るとバーボンを頼んでいた宗太郎は、今はいない。

「それはそうっすけど。……眠り姫は起きてくれませんかね」

「過酷なことが多過ぎた。今は、鏡花ちゃんの魂の充電期間なんじゃないかな」

「充電期間は良いですけど、長過ぎると宗太郎が干からびちまいますよ。なのに、翳が出て大人の男の色気が出たとか言って、あいつの女性課員からの人気が上昇してるのが謎。堅物なんだから、どうせ無駄なのに」

「卓は良いの?」

「俺?」

「鏡花ちゃんのこと、好きだったでしょ」

「毎朝キス出来て羨ましい」

「正直な子だ」

「まあ、冗談は置いといて。鏡花ちゃんの過去を知ると、俺なんかが手を伸ばしちゃいけないような気になるんですよ。それこそ、宗太郎くらいの莫迦一途でないと、務まらないでしょう」

 鏡花に惚れていたのは事実だった。可愛くて、勝気で、どこか危なっかしくて。彼女が自分を選んでくれたのであれば、それはこの上ない幸運だっただろうが、そうはならなかった。仕方ない。

「あいつが鏡花ちゃんを幸せにしてやれるなら良いです。難関でしょうけどね」

 そう言ってギムレットをくいっと飲む。尊は、その栗色の髪の毛をわしゃわしゃ撫で回した。

「よしよし。お前は良い奴だ。うちの子ばやれないけど、その内、良い子がいたら紹介してあげるからね!」

「期待しないで待ってまーす」





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― 新着の感想 ―
[良い点] あまりに予想外な結末……。 千鶴は最後にこれ以上はない形で鏡花を手に入れたのやも……。 [一言] しかし尊の娘さんの将来が心配。結婚どころか交際さえできるのだろうか?
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