国宝異能
「あー。死ぬかと思った」
尊は悩んでいた。今現在、九曜邸にいる人間の中で、最も心臓が頑丈であるのは誰か。明子はもちろん除く。彼女が心労とショックの余り、倒れでもしたら困る。鏡花にも出来れば見せたくない。他、家政婦たちも然り。となると、残す人間は一人しかいなかった。
禎允は、結界に馴染みの気配を感じ、一時開錠した。その気配が結界内に入ることを確認して、再び結界を張り直す。執務室の扉がノックされる。戻るのが早いなと思いながら、慣れた様子で応じた。
「隊長……」
「鴉ヶ谷か。早かったな。パソコンは無事、持ち帰れたか?」
「隊長って心臓疾患とかありましたっけ」
「……?」
禎允は怪訝な表情で扉から顔だけを覗かせて、未だ入室しない尊を見る。
「健康診断では至って良好だ」
「良かった! 頑丈な心臓で有り難うございます! じゃ、せーの」
次に禎允が目にしたのは、〝宙に浮いた尊の生首〟だった。
「きゃああああああああああ」
「え、僕、今、鬼禎允の悲鳴聴いてるの?」
「なんっじゃお前そらああああふざけんなあああああ年寄りの心臓を労われっ」
「日頃から年寄り扱いするなって言ってるの、隊長じゃないですかあ」
ぶーと唇を尖らせて生首が不満を述べる。いや待て落ち着け、落ち着け私、と禎允が自分に言い聞かせる声が聴こえる。すー、はー、と深呼吸。
「……我ながら愚かなことを訊くが、鴉ヶ谷、お前、死んでいるのか?」
「あ、いえ、生きてます」
「嘘つけ、生首になってペラペラ喋りおって! そんな人間がどこにいるかっ」
「生首だけじゃなくてですね、結構、こっぴどくやられちゃって、ほら、腕とか脚とか胴体なんかもあるんですよ」
ひょいひょい、と自分の切断された両腕、両脚、胴体を浮遊させて禎允の目の前に見せる。ボタボタと血が夥しく落ちて執務室を汚しているが、室内の男二人は、そんなことに構っていなかった。正確に言うなら、禎允にそんな余裕はなかった。
「ぎゃああああああああああ」
「……鬼禎允って結構ビビりなんですね」
「お前と違って普通の神経を持ち合わせとるだけだ! 何だお前は、人間なのか本当に!」
「だーかーらー、不死の異能ですよ」
何でもないことのように尊が説明する。尊の持つ異能には、稀有なものがいくつかあるが、不死の異能もその一つである。〝国宝異能〟と称され、国内でも特別視される異能だ。不死の異能ではあるが、老衰に亡くなることはある。他、何をされても、病気になっても、絶対に死なないということが、この異能の最たる特色だった。鏡花の螺鈿総譜もまた、国宝異能の一つである。因みに、尊を鴉と呼ばしめる異能、人の異能を収集する異能は他に類を見ないが、「卑しむべき行為」と政治家の非難もあり、国宝異能には数えられていない。禎允が了承したように机に両肘を置き、両手を組んで額を乗せる。重く深い溜息が出た。
「聴きたくもないが、何でそうなった。お前をそんな有り様にするなど。千鶴か?」
「いえ、黒斗初道です。あと、ノートパソコンと雨が~で、気が急いちゃって。あれですね、さしずめ摩利支天が彼に味方したってところですね。それに、彼とは異能の相性が悪くて。油断をした次第です。てへ」
「可愛くない! もう良い! 鏡花ちゃん呼んで来るから、お前は大人しくここでお化け屋敷やってろ! 間違っても台所に近づくんじゃないぞ。明子さんがいるからな」
「ラジャ」
執務室を出た禎允は、一瞬、扉を振り返り、ここに結界を張って尊を閉じ込めてやろうかなどという、剣呑な考えを抱いたが、諸々、その後の対処を考えると面倒になり、廊下を突き進んだ。
「…………」
「やあ、鏡花ちゃん」
執務室に呼ばれた鏡花は無言だった。日頃から表情のやや乏しい少女ではあるが、バラバラ死体になった尊に爽やかに笑い掛けられても、無反応だった。
「尊。お前。何してる」
「あーと。ちょっとへました」
「不死の異能は」
「発動中なう」
「なあ。お前、いっぺんそのまま死んでみたらどうだ?」
「物騒なこと言わないで、明子が泣いちゃうでしょ! 早く螺鈿総譜で治してよー」
そうか、明子さんが悲しむか、と鏡花は呟き、渋々のように両手をバラバラ死体にかざした。まるで明子が悲しみさえしなければ、このままでも良いかと言わんばかりの口調だった。
「螺鈿総譜」
艶やかに広がる色彩。千切れた繊維が、肉が繋がり、尊は服装はぼろぼろのまま、生きた人間の姿を取り戻す。
「ふう。有り難う、鏡花ちゃん。これでやっと放置してたパソコンも取りに行ける」
「あ」
「ん?」
「バラバラのところ、写メ撮るの忘れてた……」
「…………」
『日本異能の会』本拠地・通称『光の宮』の応接間では、異能の会会長である時雨豪志が、ワイングラスを揺らしていた。向かいには大目黒千鶴が座り、やはり静かにグラスを傾けている。
「憂い顔ですな」
「ええ……。少し、仕事を仕損じまして。中々、思い通りには行かないものですね」
「大目黒先生のように大望がおありなら、尚更そうでしょう。無理もありません」
訳知り顔で頷く時雨を、千鶴は冴えた目で見た。
「美味しいワインだ」
「お気に召しましたか! シャンパーニュ・ディディエ・ショパン・プルミエ・クリュ・ブラン・ド・ブラン。メダル受賞の栄誉に浴した白ワインです。先生にお出しするに相応しい逸品かと」
「先生はご容赦ください」
千鶴が苦笑し、ワインを飲む。
「辛口だ。だが、そこが良い」
白い革張りのソファーに悠然と座る千鶴は、高級な家具とも相まって、絵になっていた。
「貴方は俺が犯罪者とご存じだ。なぜ匿っていただけるのですか?」
「今更、それをお訊きになる。貴方の大望に共鳴したからですよ。異能こそ至高。それを世間の凡愚に知らしめるのが私の夢です」
「そうですか……」
千鶴はグラスを傾け、再びワインを口に含んだ。
「辛口だが、癖になる」
昼食が出来た時には九曜邸におけるお化け屋敷の様相はすっかり落ち着き、日常の風景が戻っていた。食事の用意を終えた明子の前に、尊は平然とした笑顔を見せて、戻ったよ、といつものように告げた。これを聴いていた禎允と鏡花は、内心で尊に殴る蹴るの暴行を加えていた。禎允と尊、明子夫婦は居間で、鏡花はいつものように牢の中に食事を運び込んだ。剣道場から戻った宗太郎の分も加え、二人分である。ここのところは、そのように二人して、牢内で食事を摂ることが増えていた。そのことに気づかない禎允たちではなかったが、彼らは黙して、若い二人をそっと見守るに留めた。
「鮭が美味い」
「塩加減が丁度だろう。明子さんと按配を図りながら塩を振ったんだ」
「そうか」
宗太郎が鏡花に笑いかける。その笑顔には、今までにない優しさと穏やかさが含まれていて、向けられた鏡花も無邪気に笑う。一つの大きな枷が外れた鏡花の表情には、柔らかさが宿っていた。宗太郎は、鏡花に告げた日、告げられた日、そのことを禎允に話した。なぜ、鏡花に重荷を負わせたのか、と糾弾もした。禎允はしばらく沈黙し、真摯な声で済まなかったと告げた。宗太郎は、鏡花に言ってやってくださいと返し、執務室を出た。
「これは?」
「蕪と帆立の煮物。片栗粉でとろみをつけたから、舌に優しいだろう」
「うん。おとよさんの料理も、もちろん美味かったけど、鏡花は良いお嫁さんになるな」
「誰のだ?」
悪戯っぽい光のある瞳で鏡花が宗太郎の顔を覗き込む。宗太郎は狼狽した。
「…………の」
「ううん? 聴こえんなあ」
「俺の! お嫁さんになってください!」
「良いぞ」
鏡花は顔を真っ赤にした宗太郎に笑いながら答えた。雨は上がり、日が牢内にまで射し込んでいる。調度品を控え目に輝かせ、その中で睦まじく共に食事をする二人は、見る者がいれば微笑ましさを喚起させただろう。
午後になり、禎允が家人を執務室に招集した。
「専守防衛を捨てる」
あっさり、放り投げられたような宣言の意味するところを、鏡花たちは解っていた。尊が〝殺された〟ことは、禎允にそれを決断させるだけの衝撃的な出来事だったのだ。宗太郎も、尊が死にかけた話は聴いていた。俄かには信じ難かったが、禎允たちが嘘を吐く筈もない。鏡花の螺鈿総譜がなければ、今でも尊は四肢バラバラで浮遊していただろうと聴かされ、ゾッとした。一人、夫の危難を知らされていない明子は、只、不安そうな顔をしている。
「結界を開錠して、千鶴たちを誘い込むんだな?」
鏡花の言葉に禎允は頷く。
「卓にもこちらに来るよう伝えた。今夜にも、ここは戦場となるだろう。千鶴たちがこの隙を逃がすとは思えない。ついては、押小路長官から母ちゃ……、巫女の託宣を預かった」
宗太郎がごくりと咽喉を鳴らす。
「何と?」
「誰も彼もが命の危機、ゆえに私に全体の守護を任じよと」
「まっとうだな」
「母ちゃんはいつもまっとうだ。でもお前らが頼もしいから、ぶっちゃけ私は必要ないかもしれんとのおまけつき」
得心の行かない顔で、禎允は付け加える。おかしいな、今夜は私のターンじゃないの? とかぶつぶつ言っている。
「隊長。明子を異能課に避難させて良いですか」
明子が尊を勢いよく振り返る。
「嫌っ! 私も一緒にいる」
「お腹の子のこともある。明子。お願いだ」
明子は年下の夫の懇願に昔から弱い。しかも今は状況が状況だった。甘い感傷は許されず、命取りになりかねない。
「護衛に第一の甲を複数、つける。鴉ヶ谷、それで良いな?」
「はい。お心遣いに感謝します、隊長」
「お前……」
「はい?」
「たまには部下らしい物言いも出来るんだな」
「隊長の星が一つ減りました」
散開の後、禎允は宗太郎一人を密かに招いた。
「父さん、まだ何か?」
「母ちゃんからの、託宣だ。皆には言わなかったが、お前には知らせておく」
「どうして、俺だけに」
ギシ、と椅子を後ろ向けに回し、宗太郎の顔を視野の外に置いて、禎允は答える。一見、日光浴を楽しんでいるように見える。
「最も適任と判断したからだ。本来であれば、私が守護するのが最善なんだろうが、きっとあの子はお前を選ぶだろうから。……私も人の親ということかな。皆に命の危機があると言った。それは確かだ。しかしより正しく言うなら、中でも、とりわけ鏡花ちゃんが危うい。確定ではないが、死も覚悟せよ、と」
宗太郎の身体が硬直する。
「告げても鏡花ちゃんは戦いを選ぶだろう。皮肉にも、それだけの力がある。……お前に叱られて、私は鏡花ちゃんに謝った。あの子は、気にしなくて良いと、私をあっさり許した。宗太郎、私はお前との約束を守ったぞ。次はお前の番だ。鏡花ちゃんを守れ。もし万一、あの子が死ぬようなことになれば、私は金輪際、お前を息子とは認めん」
「構いませんよ。俺も、もし鏡花を死なせるようなことになれば、俺自身を許せないでしょうから。では、失礼します」
「宗太郎」
「はい」
「……お前も死ぬな」
「はい」




