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美食牢  作者: 九藤 朋
美食牢 
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愛しき鴉

 時に運命は天才を殺す。





 卓と宗太郎は剣道場で向き合っていた。二人とも、防具をつけていない。竹刀とは言え、危険な行為だったが、それを止める人間はいなかった。清々しい早朝の空気が、道場内にまでうっすら漂っている。

 先に仕掛けたのは卓だった。正眼から宗太郎に打ち込む。宗太郎はそれを竹刀でいなし、それから二人は何度か打ち合った。これを常人が見れば、二人が何をしているのか目視出来なかったかもしれない。卓の剣は俊敏さに長けるが、宗太郎の剣もまた負けてはいない。突き、打ち払い、擦り流し、間合いを取る。稽古を始めてから十分ほどが経過したところで、どちらからともなく竹刀を下ろす。静寂が道場内を支配し、それまでの剣戟の激しさを物語る。

 脇の長椅子に置いていたタオルをそれぞれ取って、汗を拭く。

「灸をすえてやれそうか?」

 宗太郎の問いに、卓が思案顔になる。

「どうだかな。あいつはお前よりは弱いから。お前、腕を上げたな。何かあったか?」

「別段、何も」

「ふうん? ああ、汗臭い。剣術は好きだが、こうなるのが俺は嫌なんだよ」

「師範クラスに聴かれたら小言を喰らうぞ。早くシャワーを浴びて来い」

 宗太郎が呆れて卓を追い立てた。


 九曜邸では、尊が立場を良いことに、邸内に宛がわれた部屋で、明子に膝枕してもらい、のんびりと過ごしていた。襖が開いたので、うん? と片目を開けると、そこには不機嫌な顔の鬼禎允が仁王立ちしていた。

「おはようございます、隊長」

「莫迦者。もう昼だ!」

「こんにちは」

「はい、こんにちは。違う、そうじゃない。鴉ヶ谷。お前な。うちに居候を決め込むのに味を占めて、公務を全てすっぽかす積りか?」

 尊が緩慢に起き上がり、頭を掻く。

「いやー。だって、僕がここにいることが即ち公務でしょ?」

「その為には奥方と始終、べたべたしていて許されると」

「うん」

「莫迦者! お前は自衛くらい出来るだろう。県庁に行って若い者をしごくなり、書類仕事をするなり働かんかっ」

「隊長」

「何だ」

「僕、天才だからずっと働き通しだったんですよね」

「自分で言うのが厚かましいが、まあ否定はせん」

「これくらいの休息があっても然るべきだと思うんですよ」

「お前、ついに休息と明言したな」

「書類仕事くらいならしますよー。書類持って来てください。この部屋でやりますから」

「上司を雑用に使う、その心意気は見上げたものだ。お前、何で書類仕事も出来るの? しかも超早いスピードだし。鴉ヶ谷尊は人間じゃない説まで異能課には流布しているぞ」

「だって僕、鴉ですから~。バサバサバサ~」

 禎允は何か言おうと口を開きかけたが、結局閉じて、部屋の襖を閉めた。数分後、鴉ヶ谷夫婦滞在の部屋には、山と積まれた書類が場所を取っていた。

「尊。良いの?」

「何が?」

「私ならこちらに寄せさせていただいているから大丈夫よ。お仕事に行って来てくださいな」

「やだ! 折角の機会なんだ。身ごもってますます綺麗になった明子と一緒に少しでも長く過ごしたい!」

 明子は微苦笑する。これが異能課のエース、国民的人気を持つヒーローの実態なのだから微笑ましい。尤も、尊のこの在り様を〝微笑ましい〟で片付ける寛容さを持つのは、明子が明子だからだとしか言い様がない。

「見張ってるしね」

「誰が?」

「千鶴たち。時々、結界の外に気配を感じるよ。だから、この家にいるからと言って、油断は出来ない。特に明子は狙われる。僕は心配なんだよ。傍にいたい。妻子を守るのは夫の役目だ」

 そうまで言われては、明子に夫を窘める言葉はない。尊は気のない様子で文机に書類をまとめると、ガリガリとボールペンの音を響かせて仕事に着手した。

「パソコンが欲しいな。異能課に置いてある奴がないと、どうにもやりにくい……」

「行ってらしたら? 私は大丈夫だから」

「うーん。うん。すぐに戻るよ。お昼ご飯はちゃんと取って置いてね!」

「はいはい」

 明子がクスクス笑いながら、年下の夫の要望に返事をした。


 玄関先に立つと、如何にこの邸の結界が堅固かが判る。流石は禎允が特に念入りに張った結界である。

「じゃあ、僕、ちょっと出かけてきまーす」

「行って来い、行って来い。傘は持ったか?」

「傘?」

「昼から降るとの予報だ」

「ああ、じゃ、持って行きます。空飛ぶ傘差した仕事人なんて、メアリーポピンズみたいですね」

 禎允が顔をしかめた。

「お前がそんな可愛いものか。ほれ、早く行って来い」

「はいはい。口煩……」

「何か言ったか」

「いえ何も」

 尊が結界を抜ける時、独特の感触があった。透明の分厚いゴムにも似た壁を通過するような。出る際だからこれで済む。不届き者が入ろうとしたら結界はその侵入を頑として受け付けない。九曜邸の石塀の外から、尊は宙に浮き、県庁の方角向けて飛んだ。

 昼間のビジネス街には独特の熱気がある。尊はそれらを眼下に見ながら、県庁前に降り立った。課員証を入口で提示し、異能課のある九階までエレベーターで上がる。尊が異能課に居座ることは珍しいので、姿を見た課員たちがわらわらと寄って来る。今はその相手をしている暇がないので、笑顔で適当にあしらいながら、自分のデスクのノートパソコンをよいしょ、と持ち上げて持って来たバッグに収納する。デスクトップではなく、ノートなのでこんな時には重宝である。窓から飛んでいこうかな、と怠惰に考えながら窓の外を見ると、灰色の雲が立ち込め、ポツポツ、振り出していた。禎允の忠告に従って正解だったようだ。尊は窓を開け放つと、それじゃ、と課員たちに挨拶して蝙蝠傘を開き、躊躇いなく九階の窓からノートパソコンを持って飛翔した。機械類は水に弱い。堅牢な蝙蝠傘で、自分よりパソコンが入ったバッグが濡れないように傘を差し掛けながら、尊は街上空を飛んだ。

 尊の表情が変わったのは、もう九曜邸近くまで来た時だった。

 宙に浮く巨体。黒斗初道。手荷物あるのになあ、と尊は呑気に思う。九曜の結界から出た、こんな僅かな間隙を突かれるとは、予想以上に千鶴たちはこちらを注視していたらしい。

「やあ、初道君。あのさ。僕、今ちょっと手が離せなくてね?」

「殺し合いの際にも貴方はそう言い訳するのか」

 駄目だこれは、と思い、尊は降下して地面にパソコンの入ったバッグを置き、せめてもと思い傘で覆った。近代文明の申し子よ、守られたまえ、と祈りつつ、再び飛翔する。

「君、一人?」

「はい。千鶴殿は数で押すことを望まれましたが、自分の我儘を通させてもらいました」

「武士道かい? 感心だね」

 初道が、自らの大きな手を握り、開く。雨は彼の身体も、尊の身体も平等に濡らしている。

「貴方は一対一で殺すに相応しい人物とお見受けしました。ですから」

「それはどうも。黒曜(こくよう)(はく)(じゃ)

 尊は初道との勝負に早く決着をつけたかった。パソコン、明子の昼ご飯、諸々の理由の為である。ゆえに初めから異能を行使した。

 黒い霧が生じ、初道を半透明の巨大な蛇の胴体が締め付ける。

「えーと。あと、これね」

 技名をすっ飛ばした。尊にはよくあることである。何せ有する異能の数はゆうに百を超える。一々、正式名称まで憶えていられないのだ。初道は蛇の締め付けに手こずっていたが、やがて恐るべき膂力でその胴体を引き千切った。バラバラになった白い塊が赤に塗れて落下する。次いで、尊の異能がまた襲来する。それは純粋なる打撃。例えるなら重い鉄球を光速で投擲したような威力がある。初道は、これを避け、或いは叩き落した。そして攻勢に出る。跳躍し、頭上から尊の頭をかち割ろうとする。かすった、だけに留まる。尊が、パチン、と指を鳴らした。落雷。それも、初道を目指してのものだ。初道は避け切れなかった。同時に、尊が勝負を急いでいることに、自分の勝機があると感じた。

 天才異能力者・鴉ヶ谷尊の、唯一の欠点。それは万能ゆえに、決着までに性急であること。

「あーあ。またか」

 尊も感じていた。〝異能が削られている〟。

「厄介だね。やっぱり真っ先に、君の異能から奪っておくんだった」

 言いながら、ことはそう単純ではないと尊にも解っていた。天才の名をほしいままにする鴉ヶ谷尊にも、奪いやすい異能と、奪いにくい異能とがある。奪いにくい異能とは千鶴然り、初道もまた然りだった。そして尊の異能がダウンさせられた以上、初道との仕合は非常に難儀なものへと変貌した。相性の悪い相手というものはいる。尊にとって、初道がそれだった。

 空中で格闘戦が展開される。膂力は初道、スピードは尊が上。それを見切った尊は、躊躇わずに抜刀した。どんなに固い肉でも、尊の刃に斬れないものはない。尊は初道を殺すことに集中していた為、初道の口角がにやりと上がったことに気づかなかった。

「鏡返し」

 初道の異能は、まだ全てではなかった。今、彼が発動したのは、自分に向けられた攻撃を利用し、相手に返す異能だった。

 その為、肉塊と化す筈だった初道の運命は、そっくりそのまま、尊に返った。

 尊の四肢が千切れ飛ぶ。首、腕、脚、それら全てがばらばらの場所に落ちる。

 雨が激しくなっていた。初道は、尊の亡骸を確認し、それから傘で守られたノートパソコンの入ったバッグを一瞥すると、長居は無用とばかりに飛翔して去った。

 残された雨に煙る凄惨な光景の中、落ちた尊の左腕の、手の薬指に嵌まるプラチナの指輪だけが、一点、小さな輝きを放っている。


 九曜邸内の台所では、明子と鏡花、他の家政婦が昼食の支度をしていた。

 ふ、と顔を上げた明子に、鏡花が声を掛ける。

「明子さん? どうかしたか?」

「いいえ、何でもないの。何だかちょっと。尊の声が聴こえた気がして」

「早く明子さんの顔が見たいんじゃないか」

 鏡花の軽口に明子がくすりと笑う。

「そうね。そうかもしれないわね。……あ、」

「どうした?」

「お腹の子が、また蹴った。暴れん坊さん。貴方も早くお父さんに逢いたいのかしら?」


 私もよ。


 心の中で呟いて、明子は台所の窓を眺めた。


 早く帰って来て。私の愛しい鴉。



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― 新着の感想 ―
[良い点] えええええ!!!うそぉ。゜(゜´Д`゜)゜。 絶対、大丈夫だと思ってた人がぁ!!
[一言] 鴉逝く……。
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