愛の挨拶
怜羽は夜更けに帰って行った。帰る前、宗太郎を廊下に連れ出した。暗い廊下。天井の小さな電灯が仄赤い光を滲ませている。その中、白、水色、銀の色を持つ怜羽の存在はきらきらしかった。
「何ですか」
「玉の行方が判るまで……即ち透かし身の鏡を千鶴に簒奪されるまで、今しばらく私が時を稼ごう。むざむざ殺されてやる積りはない。しかし、必ずや〝その時〟は訪れる。宗太郎。鏡花を頼むぞ。鏡花はお前より強いやもしれぬが、年端もゆかぬ少女じゃ。お前が守っておやり」
「……貴方は、本当に、その」
「死ぬぞ?」
重大事を、怜羽は童子のように邪気のない笑顔で告げ、ではなと言って去った。怜羽が去ると、輝きが去って侘しくなったように感じた。
宗太郎は牢内に鏡花と卓を置いて、禎允の執務室へ向かい、今日あったことの洗いざらいを語り聞かせた。
「そうか……怜羽殿がそのように」
「知っているんでしょう、彼女も」
「透かし身の鏡を持っているのであればな。そして母ちゃんも」
「母ちゃんって言うな。あの人は巫女だからな。当然、お見通しなんだろうさ」
「尖るな、宗太郎。自覚を持て。鏡花ちゃんを守れるのはお前しかおらぬ」
「……鏡花は俺より強いさ」
ふー、と禎允が嘆息を吐いた。宗太郎の中に、鏡花に対するコンプレックスがあるのは承知している。しかし、宗太郎とて凡才ではない。第一の甲だ。
「しばらく、鏡花ちゃんと行動を共にしろ」
「え?」
「あの子のことだ。怜羽殿を殺させまいと奔走するだろう。そのどこかで、大目黒千鶴ともかち合うかもしれん。危険だ。だからお前は彼女につき従え」
「第一の甲の、副隊長の任は」
禎允が苦々しい顔つきになる。
「そこよ。そこ。お前の堅苦しいところは。副隊長の肩書なんぞ、自由に動く名目にしてしまえ。私の次の地位ともなれば、第一の甲はもちろん、県警とて無暗に邪魔は出来ぬだろう。幸いもう一人の副隊長である卓はピンピンしておる。面倒事はあやつに押しつければ良い」
宗太郎は、執務室の観葉植物をぼんやり眺めた。植物の緑には癒し効果があると言う。今日は色々なことがあり過ぎた。宗太郎は無意識のまま観葉植物のサンセベリアの鉢を抱えて退室しようとし、禎允に「おい、私のサンセベリアちゃんを誘拐するな」と言われるまで気づかなかった。
翌日は流石に卓も公務に戻った。宗太郎は、朝食を摂る鏡花に、禎允の言葉を伝えた。……卵かけご飯が美味しそうだ。自分もそうすれば良かった。黄色い米粒を口の端につけた鏡花は、話は解った、と頷いた。
「禎允殿は解っている。申し出がなければ、私一人でも千鶴を捜しに行くところだった」
「本当に行くのか」
「もちろん。『婦女子連続胸穴事件』と千鶴は繋がっている。いずれを追っても、獲物は釣れるだろうよ。その前に宗太郎」
「卵かけご飯のお代わりだな。はいはい。あ、俺にも一口食わせて」
「ええ~~~~嫌だ」
「けちめ!」
夜の牢も妖しい美しさがあるが、朝方の牢もこれはこれで、清々しく爽やかだ。偏に、牢内を健全に保とうとする家政婦たちの執念が感じられる。鏡花はこの牢内において、姫君であり女主なのだ。今日は茜の絞りに黄色の帯を合わせ、瑪瑙で彫られた猫の根付を刺している。捕物には縁遠い、初秋の時分に似合う装いだ。
とりあえず外に出た二人は、どこへ向かうか話し合った。
「捜査本部から情報を貰えないのか? 副隊長だろう?」
「ああ……。利用しているようで気が引けるが訊いてみる」
電信柱の影で、正面にある美容院の硝子越しに内部の様子を見ながら、鏡花は宗太郎の電話が終わるのを待つ。通話を終えた宗太郎に、どうだった、と目線で尋ねる。
「大千原神社のあたりが怪しいと」
「伊織殿の予言か?」
「……そのようだな」
「では行こう。バスで三つ停留所を過ぎればすぐだ。比較的、近所で良かったな」
「……」
「どうした? バスが出るぞ」
バスにのろのろ乗り込む宗太郎を引っ張るように、鏡花は座席に向かった。
「近くに集中していないか?」
「え?」
宗太郎が言ったのは、バス停を一つ過ぎた時だった。学童前の児童たちが、先生に手を引かれて横断歩道を渡っている。
「夜市も大千原神社も、俺たちの近場で、神域や、妖の領域だ。もしかしたら玉にはそうした場所に惹かれる特性がある、と千鶴は考えているのかもしれない」
「……あ、次だぞ」
大千原神社の参道は、土産物屋や飲食店で賑わっている。
「それでどうして抹茶ソフトクリームなんだよ……」
ちゃっかりソフトクリームを手にして、それを舐めながら歩く鏡花は、呆れ果てている宗太郎に不可解な顔をした。
「莫迦を言うな、宗太郎。人間いつ、死ぬかもしれん。大事の前であればあるだけ、心残りを残さず食べるべしというのが、私の座右の銘だぞ」
「はいはい……」
「ん~~~~抹茶の風味が濃厚! 甘い! 冷たい!」
ご満悦の鏡花を後ろにして、宗太郎は足を進めた。予言では、鎮守の森が危ないと出たらしい。これもだ。夜市の、楠の森に通じる。神聖で、人外の領域とも言える場所。玉が惹かれ、その玉を捜す千尋が出没する可能性のあるところ。
きゃーーーーーーーーーーー――と甲高い悲鳴が起こった。今、まさに向かおうとする鎮守の森近くだ。宗太郎と鏡花が駆けつけると、若い女性が黒服の男に襲われようとしているところだった。宗太郎が抜刀して男の腕に斬りつける。
「焔召しませ」
鏡花の右掌から火焔が生まれ男を包む。男は悶え苦しむように暴れた。その隙に、鏡花が女性を後ろに庇い、保護する。男は一人だけではない。
「宗太郎。行けるか?」
「ああ。群青アラベスク」
発狂させる強力な異能も、凶悪犯相手ならば手加減なく発動させる。男たちは、宗太郎が手も触れていないのに、呻き声や奇声を上げて倒れ伏した。これが普通である。卓のように耐性があるほうが異常なのだ。
鎮守の森の樹も、楠だった。神社境内では楠が多い。夜市のような妖気漂うところに群生しているほうが稀だ。鏡花の動きが止まったままなので、宗太郎は怪訝に思い、彼女の見つめる虚空に目を遣った。
白いシャツ。黒いスラックス。透き通った緑の目。
「千鶴……」
千鶴はふわりと舞い降りて来て、宗太郎など目に入らないかのように、鏡花を抱き締めた。
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