日中デートは火薬の香り
『鏡花。これは私と貴方だけの約束だから。誰にも言わないで』
『宗太郎にも?』
『宗太郎君にも』
ピチュ、チュン、という雀の声。障子越しに朝日が射し込んでくる。鏡花の身体はじっとりと汗ばんでいた。
「約束……死んじゃったら守れないじゃないか」
そのまま、牢内の天井を目で移ろう。伊織は知っているのだろうか。太鳳と鏡花の交わした約束を。考えても詮無いので、シャワーを浴びて着物に着替えた。気分をすっきりしたかったので、浅葱色の絹地だ。帯は銀と白の二色のものを締めた。着替えて戻ると、宗太郎が来ていた。
「おはよう」
「おはよう。どうした? 宗太郎。仕事は」
「今日は非番だ」
「お前……折角の非番に、牢に幽閉されている美少女に逢いに来るしか用事がないのか」
「あのな。俺だって書類仕事とかあるんだよ。朝、お前の顔を見て……」
「私の顔を見て?」
「元気を貰おうと思ってな!」
開き直ったように宗太郎が胸を張った。やけくそにも見える。鏡花の唇がにんまりする。
「そうかそうか。私の顔を見たら元気が出るか。可愛い奴。なあ、宗太郎。書類仕事なんざいつでも出来るだろう。今日は私に付き合わないか」
「デートか! 良いぞ!」
二つ返事だった。
宗太郎は群青の単衣に紺の袴。鏡花は着物に日傘を深く差し掛けて。
まだ暑い初秋の陽射しを受けながら、二人は百花通りを歩いた。百花通りとは『百花の乱』が起きた通りの名である。献花台が設けられ、今も花を手向ける人は絶えない。赤に青に、色鮮やかな花が沈黙している。
その横を通るぶっさか通りは、名前もさることながら、名店の立ち並ぶ百花通りと比較して、下町の風情賑わう通りである。濡れ煎餅や三色団子、クレープなど、早速、鏡花は買い食いに余念がない。
「ほら、鏡花。クリームついてる。違う、そこ」
「ここか」
ペロリ、と鏡花が口元を舐めると、はずみで宗太郎の指も舐めた。宗太郎がバッと手を引っ込める。鏡花は一向に気にした様子がない。負けているなと思いながら、覇気ない足取りで鏡花の跡を歩く。やがて鏡花の脚が、一件の白粉屋の前で止まった。
「鏡花? 白粉が欲しいのか?」
「この店は大目黒千鶴の通っていた美術専門学校に、専ら仕入れしていたそうだ」
はっと宗太郎が鏡花を見る。
「済まない、店主。少し訊きたいことがあるのだが」
「はいはい。おんや、こら、イケメンさんと別嬪さんが二人連れで。何でござんしょ」
胡麻塩頭の、開襟シャツにグレーのスラックスを穿いた中年男性が、額の汗を拭き拭き店頭へ出てくる。
「ここは個人の注文も請け負うのか」
「そりゃね。うちみたいな小口だと色々、顧客は広げないと」
「大目黒千鶴という顧客はいるか? いや、本名でないかもしれない。目が緑色の若い男だ」
「おおめ……? 『百花の乱』の関係者かい? うちは犯罪者には売らないよ。ああ、でも、目が緑のお兄ちゃんなら常客だなあ」
「……そうか。解った。有り難う」
「鏡花。千鶴の目は緑色なのか」
「ああ。ビー玉みたいに透き通った、綺麗な」
線が繋がった。それは宗太郎も鏡花も感じていることだった。千鶴が近くなる。
店から出て少し行った木陰だった。宗太郎が鏡花を庇うように前に出た。
「群青かすがい」
ざわり、と漆黒の衣を纏った男に宗太郎の異能が掠めた。絡め取るまでには行かない。鏡花が右手を出す。
「焔召しませ、剣召しませ」
火焔で相手が怯んだ隙に、日本刀で殺到する。
「鏡花、程々にしろ! 後は俺がやる。群青アラベスク」
群青アラベスクは相手の脳内に直接働きかける。黒い男が転がった。ザクッと鏡花がその顔の前に刀の切っ先を刺し込む。
「発狂したくなければ教えろ。大目黒千鶴を知っているか」
「く、くふふふふ、さっきの店に行ってみろ」
「何――――?」
「鏡花」
宗太郎の声に顔を上げると、彼は首を横に振った。男は舌を噛み切り自害した。後を警察に任かせ先程の白粉屋の元まで戻ると、爆音が上がり、小さな店舗は、もう跡形もなかった。
「千鶴っ!!」
鏡花の咆哮を、きっと千鶴はどこかで聴いているだろう。
警察での事情聴取も済んで、憔悴した鏡花を連れた宗太郎は、彼女を蕎麦屋に連れて行った。
憔悴した中にも、ぼそりと「腹が減った……」と鏡花が言ったからである。竹林を通った箇所にある隠れ家のような店は、こざっぱりとした店内に和風情緒があって品が良い。品書きを見て、鏡花は首を傾げた。蕎麦は蕎麦でも、「蒟蒻蕎麦」と書いてある。癖になるぞ、と言う宗太郎は、実食済みらしい。
やがて運ばれて来た蒟蒻蕎麦、見た目は普通の蕎麦だが、口に入れると、こしが違う。つるつる、しこしこ。店特製の出汁、小葱、紫蘇、そして一味唐辛子が非常によく合う。
「豆乳をかけてもいけるぞ」
宗太郎の言葉に従い、備え付けの豆乳をかけてみる。するとどうだろう。出汁の醤油風味と豆乳のまろやかさが相まって何とも言えず美味である。
「宗太郎」
「うん?」
「有り難う」
「どういたしまして」
これで少しは男の面目躍如出来たかな、と宗太郎は密かに思った。
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