母の面影
その部屋は一面が真っ青で出来ていた。調度は少なく、白い器に活けられた榊の濃い緑が、新鮮と言えば新鮮だった。榊の隣には硝子コップに入った清水。深山の湧水である。部屋の中央には純白の長髪、青い目の女性が巫女姿で端座している。彼女こそが県庁直属の巫女・笹部伊織だった。禎允の元妻にして、宗太郎の実母である。百花の乱が起こるより前、巫女として特化した異能が発現して、県庁に迎え入れられた。禎允は抗議したが、異能は公の扱うところにして私心の入る余地あらず、と跳ねのけられた。彼女に禎允との意思の疎通を図ることは出来ない。そうなることを予め見越した伊織は、入庁する前に、禎允に予見で知れる限りのことを伝えた。それは今もトップシークレットであり、押小路美晴でさえ知らない。禎允との遣り取りは禁じられているが、不思議なことに鏡花との文通は許可されている。何か情報を掴めるとでも思っているのかもしれない。無論、検閲されている。
鏡花からの手紙はいつも和紙の封筒と便箋が使われ、季節の草花が梳き込まれている。書かれていることは他愛ない。今日は何を食べた、何が美味しかった、……宗太郎がどうした。
父を見限るように入庁したかに見えたであろう母を、宗太郎は嫌っているだろう。大人の事情が呑み込める年でもなかった。
しかし。ごろん、と伊織は転がる。
「禎允さんと宗太郎君に逢いたい~~~~」
言ってじたばたする。妙齢の、神秘的な美女には似つかわしくない態度に、側仕えの妙が慌てて歩み寄り、しかし、伊織に直接、触れて良いものかどうかと手をパタパタさせる。その内、伊織が自らむくりと起きて、乱れた白髪をがしがしと掻いた。
「押小路長官にお願いしてみては……」
「どうせ却下の一言よ、あの冷血漢」
ふん、と伊織が言い捨て、鏡花への返事を出す準備を妙に言いつける。す、す、と擦った墨をたっぷりつけた筆で、さらさら書く。日々のどうでも良い、よしなしごとだ。それでも鏡花と、禎允たちとの繋がりは出来る。――――……歯痒い。本当であれば押小路に告げた託宣のみならず、〝全て〟を彼らに伝えたい。しかし、伊織は体のいい囚われの身である。それを行うことは不可能で、彼女はただ、筆を動かしながら、深い嘆息を漏らす他なかった。
「あ、伊織殿から手紙だ」
宵の朱塗り格子牢の中、鏡花があっさりそう言った時、宗太郎はべたん、と勢いよく床にダイブした。
「な、おま、何で」
「言ってなかったな。伊織殿と私はペンフレンドだ。まあ、遣り取りする内容は他愛ないものだが」
鏡花は文机の抽斗に伊織からの手紙を入れた。ちろ、と宗太郎を見る。
「読みたいか?」
「良い。……捨てた人だ」
「誰をだ。お前をか。禎允殿をか。家族をか」
「全部だ」
鏡花が溜息を吐く。
「宗太郎。当時、伊織殿に選択の余地はなかったのだよ。お前たちを盾に取られていたと言っても良い。それゆえに県庁に身を投じた伊織殿を、お前はそれでも薄情だと詰るのか?」
「…………」
「まあ見ろ、冬瓜のそぼろあんかけだ。まだ季節だったのだな。私はこの冬瓜のそぼろあんかけに目がなくてな」
コロッと態度を変えて、ニコニコしながら鏡花は盆の上を眺める。
「冬瓜は皮が厚く扱いが難しい。おとよさんが指を切って怪我でもされないかと思うと、私は胸が痛くなる。あーん、もぐもぐもぐ」
あんかけには千切りの紫蘇と枝豆が散らされ、おとよ一流の工夫となっている。麩の吸い物、茄子の肉味噌挟み、さっぱりした大根と帆立と紫蘇のサラダ。もったりにはさっぱり、油にもさっぱり、バランスを心得た品々だ。
「ほ、美味いな。淡泊な冬瓜の身が、餡の中でいじらしげに蕩けおるわ。紫蘇の風味が粋だな」
もぐもぐ、ぱくぱく。
「肉味噌挟みのパンチ力よ~~!」
身体全身で「美味しい」を体現している。宗太郎は、母・伊織のことを考えていた。自分も、もう二十歳になる。いつまでも母親のやんどころなかった事情に無理解なのは、大人気ないかもしれない。
「鏡花。肉味噌ついてるぞ」
ぼそりと言って、最後に逢った伊織の面影を思い出していた。
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