この世で一番好きなのだあれ
確かに今晩の夕食は和風あっさり味だったかもしれない。しかし。
「はあ~あ。濃厚豚骨スープ美味い~」
あれだけお代わりをしておいて、深夜に小腹が空いたとラーメンの出前を頼むのは如何なものだろうか。しかも餃子二人前つき。
「鏡花。お前、おとよさんの料理だけじゃ飽き足らないのか。この浮気者め」
「無論、本命はおとよさんの料理に決まっているとも。だがな、宗太郎。おとよさんの手を以てしては生まれ得ない、ジャンクフードというものがこの世には存在するのだずるずるぞぞー」
今、鏡花の前で湯気を上げているどんぶりには麺、スープ、もやし他野菜、煮卵、なると、メンマ、そしてチャーシューがどっさり盛られている。夕食を済ませた宗太郎には、絵面からしてきつい。
「チャーシューやわらかあ。この脂身が堪らんのよ」
美麗な牢内にラーメンと餃子の匂いが充満している。明日の清掃係に換気を十分するように言っておかなくては、と宗太郎は思う。思う間にも鏡花はラーメンを喰らう、喰らう。二人前くらいはあったラーメンが、途端に心許なく見えて来てしまう。これぞ鏡花マジック。鏡花の箸は餃子にも伸びた。ぐわっと割り箸が開き、餃子の三つを一気に掴み取ると酢醤油につけて口に放り込む。もっちゃもっちゃと頬張る顔は、実に幸せそうだ。
「……なあ、鏡花」
「うん? もぐもぐ」
「この世で一番好きなのだあれ」
「…………いないな。母様は、この世にはいない」
「生きてる人間の中で、お前が好きなのはおとよさんだけか?」
どんぶりを置いて、鏡花が少し切なそうに目を細くする。
「宗太郎も好きだよ」
「千鶴とどっち」
「宗太郎」
まるで、駄々をこねる子供をあやすような、優しい口振りで鏡花は答えた。違う、こんな風に追い詰めて無理矢理に答えを聴き出したい訳じゃない。そんな宗太郎の物思いも置いて、鏡花は食事を再開させる。ずず、ぞぞーむしゃむしゃ、との音を聴いていれば、こちらがむきになるのが阿呆らしく思えてくる。ふと、鏡花が顔を上げた。焦げ茶の透き通った瞳が宗太郎を見る。
「宗太郎も食べるか? 私が食べるのを見ているだけでは、味気なかろう」
「いや、俺はもう腹一杯……」
「美味いぞ? 別腹というものは実際に出来るものだと、科学的に実証されている」
「……」
宗太郎は牢内にそっと入ると、もう一膳あった割り箸を持った。豚特有の、もったりした脂の匂いが流れてくる。差し出されたどんぶりから麺を啜ると、意外に口当たりが優しい。これなら食べられそうだ。ずるずる、調子に乗って啜っていると、頭をぽかりとやられた。
「こら。私の分を残しておけ。餃子も食べろ」
「……」
生殺しだ、と思いながら餃子に箸を伸ばす。酢醤油をつけて、からしも少し。あんぐりと開けた口に入れたその餃子の肉汁! 皮のぬめりけ! 端はパリッと! 夢中になって咀嚼してしまった。鏡花が、そんな宗太郎をにやにやしながら見ている。
「どうだ? 深夜食の背徳も、悪くないだろう?」
それを否定するには、宗太郎の食べた量は多過ぎた。




